小説 ふじはらの物語り Ⅱ 《陸奥》 50 原本
陸奥介が従兄弟に例の文(ふみ)を送ってから初めての除目(じもく)において、文室氏の鎮守府将軍解任が正式に公表された。
時に、後任は源某(なにがし)とかや。
その報は陸奥国にも達した。
そして、陸奥国内において、文室将軍後を巡り動揺が民心に走った。また、無論、国府においても。そして、当然のことながら、鎮守府内においても。
それは、中々収まり難かった。
陸奥領内を全体的に覆うそのような雰囲気とは裏腹に、文室将軍、彼自身は、実にあっさりとした面持ちを見せるばかりで、“もしかしたら、腹に一物蓄えたのでは”と思う者も中にはいたものであった。
彼の言うところによれば、「これは、通常の中央の判断の域を出るものではない。寧ろ、自分は将軍の座に長くい過ぎて、方々に迷惑、そして、負担を課しかねない存在にすでに成り下がっていて、汗顔の至りでしかない」と。
この意見を傍観者的に弁(わきま)えれば、至極全(まっと)うであると言わざるを得なかった。
ところが、陸奥領内においては、偏(ひとえ)に民が、そして、官が文室将軍の威厳、そして、その手腕、並びに、その徳に依存しきってしまったためか、今回の将軍解任は暴挙としか、彼らには思えなかったのであった。
これを、中央の者どもがよく認識し、そののちの手当てをよく考えたというところが、源某による文室将軍の後継人事であったのか、事の推移を、心に余裕のある者は、静かに見守ろうと心掛けていた。
今回の文室氏の鎮守府将軍解任の報に接し、陸奥介は、“あの従兄弟への文がこの件に関して吉と出たのか、凶と出たのか、それとも、何ら影響しなかったのか”、皆目判断が付かなかった。
ただ、彼は、京(みやこ)から漂って来た文室氏についての不評というものに多大な不安を感じてしまい、あのような挙につい出てしまったのであった。
“不安”とは、取りも直さず、文室氏が鎮守府将軍解任の憂き目に遭って、そのまま、西国、もしくは、それ以南にまで“飛ばされる”とか、罷り間違って、謀反の嫌疑を掛けられるとかいうものであったわけである。