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小説 ふじはらの物語り Ⅱ 《陸奥》 25 原本
「さて、広懐殿があの者に京の言葉や和歌、はたまた、経文の文句などを囁(ささや)いては、彼女が新しい物事を会得する際にその内に湧き上がる感動というものを、ご自身でも共有したいと思われたなら、それは、それまであのお方が研鑽を積まれて来られたことどもが、実はご自身の中でよく“据わり”を得ていなかった故である、とも申せましょう。
広懐殿はそのようなことを通じて、改めてご自身の存在をご確認になっていらっしゃったやに、私は思います。
ですから、あれらのことは、寧ろ広懐殿ご自身の切ない自己救済のために、“たって”なされるべきことであって、あの者に対して『上から下を望む』というようなことには相当しないのであります。
はっきり申しまして、大の男がかような無様な様を女にさらけ出すなど、よく出来るものではありませんし、それに適当な者も中々見つかるものとも思われません。
それに、初めは良くとも、日の経つにつれ、その関係に微妙な歪(ゆが)み、たわみが兆し行かぬ保証はありません。
ところがどうして、ここまで申して、敢えて元の認識に立ち表現するならば、あの者は、飽くまでも夫に“従順”であったのでございます。
恐ろしいことに。
かような女は並みの男には手に余るでしょうし、一方で、あの当時の広懐殿には、それはまるで天恩とも言うべき掛け替えのない女で彼女はあり得たのでございました。
あの夫婦は、正に結ばれるべくして固く結ばれたのでございました。
かくもつらつらと、私めが広懐殿とその妻の有り様(よう)に言及するのを、介殿には訝しくもお思いのことやに、私は存じます。
それには、一つ訳がございました。
広懐殿がこの憂き世で晴れて伴侶を得られて、どれほどの時が経ってのことであったか、身供(みども)にかようなことを仰せになったのでございました。
『私は今まで空の器につまらぬ自負心を仰山(ぎょうさん)盛り込んでは、そのこぼれ落ちるのを、目に角立てて、その都度悔やむような日々を送って参りました。何と浅はかで意地汚い振る舞いをしたものかと、今ではとてもそれを振り返るのさえ耳を赤らめてしまう始末でございます。
私は、今初めて己れの生きる価値をあの者の存在によって見出だしたのでございます。』
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