小説 ふじはらの物語り Ⅱ 《陸奥》 19 原本
「あのお、私どもは、親一人子一人でございまして、ほかに縁者がございませぬ。もし、こちらにてお取り立て頂けますあかつきには、この子を傍(そば)に置いておきたいのでございますが。」
この刀自の願い出を聞いて、奥方は、一目目を幼児(おさなご)の顔(かんばせ)に移して、即断した。
「ええ、それは構いませぬ。」
その時、奥方は、女の子の遊び相手として、これはまたとなく相応な相手が思いがけずに見つかったとの思いもあって、そう返答したのである。
そして、今までは、大人数の働き場で、彼女が働いている間、誰か別の者がこの子の面倒を見ていたのであろうかなどと考えて、不憫に思ったりした。
かの者は、奥方のその言葉を聞いて、まるで霧が晴れたかの表情になった。取り敢えず、“一山越えた”といった感じで。
最初、何となく辛気くさいのか、あまりに上下の隔たりを重んずるのかと奥方には感じられていた、その人となりは、実のところ、拍子抜けするくらい屈託がないのである。
何もかもが、偏(ひとえ)に子供のためを慮(おもんぱか)っての緊張のゆえであったのである。
そして、話しは、実際の仕事の内容の方に移っていったのである。
かの女の言によれば、「炊事、洗濯、掃除をはじめ、何でもお任せ下さい」とのことである。
奥方は、彼女のそちらの手腕についてはすでに存じおりであった。
そして、来たるべき奥方の出産については、勿論、彼女自身が一度経験しており、まるで無知でない上に、何人か産婆を知っているとのことであった。
彼女は、陸奥介夫妻に召し抱えられることと相い成った。そして、彼女とその娘は、お屋敷の一隅、納屋を改造したようなところに住む身となった。
それまで、彼女達は、とんと京(みやこ)でもお目に掛からなくなった竪穴式住居に住んでいたのである。
これは、当地ではまだ良い方である。
かつて、はじめて陸奥介ら一行が国府に着いた時には、然(さ)まで当地における民の住まいが“古色蒼然”たることにまで、皆思いが至っていなかったのであった。
でも、あの女とその子にとって、それはそれでとても居心地の良いところであった。
いつも、横になる時は、抱っこしながら。
厳寒の折りには、稲わらの中に、二人とも埋(うず)もれるようにして。
そして、何よりも、その女にとって、その住まいには、我が子が一才にも満たない時に世を去ってしまった夫との、ささやかながらも濃密な暖かい日々の思い出が、隙間なく充満しているのであった。
寡婦とその子は、今まで住み慣わした小さな家を後にした。
彼女は、今回の勤め先と住まいの移動が、亡き夫から「後押し」を受けているのだと確信していた。