小説 ふじはらの物語り Ⅱ 《陸奥》 62 原本
萌野は、自分が、そして、母が権守一家、及び、家人達と一緒に京(みやこ)に行けるであろうことを姫から耳にするのであった。
その話しを二人で共有した時、彼女達は目を輝かせて喜んだ。
そして、これに関して、萌野の方から母に水を向けた。
「私は京に行きたい。
お母さんも行こうよ。」
これには最初、刀自はうっすらと顔に微笑みを浮かべるばかりで、言葉ではっきりとは応じなかった。
そのようなことが何度かあった。
その都度、音に聞き、目で追ったことのある京の壮麗さを、帝(みかど)とか、内裏、五重の塔といった言葉を持ち出して来ては、子供ながらに母を説得しようとする際に用いたのであった。
また、宮廷の貴族の中には唐土(もろこし)や高麗(こま)からやって来た者達の末も居(お)るなどと語った。
そして、きっと殿は京で有望であるとか、母はずうっと今よりも広いお屋敷で暮らすであろうし、日がな一日その中で過ごすであろうとか、京の流儀によれば、男女の別が 厳しく、家の中で直に顔を接するのは見知り置きの女達ばかりが殆どであるとも語った。
さらに、京では、女はおろか、男も上流の者は白粉(おしろい)を顔に引き、眉墨を描く、果ては、内裏では、末の男衆までがそれに倣うのが今風であるとも。
ほかには、牛車の話しなどもした。
極め付きは、「お父上のお生まれになった、そして、お育ちになった、お暮らしになっていた京というものをこの目で直に見てみたい」と駄々をこねるのであった。
ただ、彼女も子供なりに、
「こんな所になんか居たくない。」
という文言を終始喉の奥深くに仕舞い込んではいたものである。
けれども、のちのち、この時の記憶は思いの外に彼女の心を蝕(むしば)むのであった。
以上のようなことがある度に、刀自は娘とともに亡き夫の墓に詣でるのであった。
そうこうする内に、ある時、刀自は自ら娘に向かってこの話しについてポツリポツリと語り出し始めた。
自分はお父上のお墓を守らねばならないから、この地を終生離れるわけにはいかない。
そして、そなたはお父上の魂とともに一度京にお上(のぼ)りなさい。
そして、そこでお父上の名残りを十分に感じたならば、どうかこの母の元に必ずや戻って来ておくれ。
また、権守はじめ、ご一家の方々、そして、その家人の方々、いずれも信頼に足るお方達であるから、そなたを皆々様にお託し出来ることは願ってもない幸いである。
ゆめこのご厚意を無にするべきではない。
といったことどもも、刀自は娘に語ったのであった。
娘は一まず、自分が京に行けることを喜んだ。
片や、母を一人で陸奥に置いていかねばならないことにつき、頑強に抵抗しようと試みたのであった。