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小説 ふじはらの物語り Ⅱ 《陸奥》 41 原本
運よく陸奥介の邸は倒壊を免れた。
また、国府の官舎、役宅も概(おおむ)ね損傷を免れていた。
それは、向かいの鎮守府も同様であった。
一まず生きた心地を取り戻した官人どもに恐ろしい知らせが届いた。
それは、裏山で薪(たきぎ)を拾っていたどこぞの子供が大地震に驚いて山を下る途中、例の藤原広懐の墓があるところよりも小高い丘の上である草地から、東海を遠望すると、幾重にも大きな黒い水の盛り上がりが陸に向かって押し寄せているのを、確認出来たというものであった。
その子が親に再会出来た時にした話しが、すぐに国府に伝わったのであった。
時に、その親子は山の中に入り直していった。
「津波。」
先に民からもたらされた知らせを耳にして、陸奥介はそのように発声したものの、今一つその現実についてピンと来ていなかった。
一方で、陸奥介よりもその知らせに愕然としたのは、あの下役の者を始めとした、言わば古参の者どもであった。
陸奥介はにわかに焦り始めた。
「津波というのは、ここまでやって来るものなのであろうか。」
一拍間を置いて、下役の者が答えた。
「もし、ここまで到達するのであれば、色々考え合わせますに、すでにこの地は押し流されていなければなりますまい。
さような場合、陸奥国の平地(へいち)は大方壊滅でございましょう。
私の個人的な見解としてお聞き届け頂きますれば幸いなのでございますが、“この国府にまで津波なるものが及んだ”という記録も形跡も、私の知る限り目にしたことがございませぬ。よって、当地は安全でございます。
介殿には、その上で、災後のご差配を我ら一同に下さいますよう伏してお願い申し上げます。」
彼がそう言い終わると、皆の者が威儀を正して陸奥介に向かって首(こうべ)を垂れた。
下役の者は、この時、陸奥介が国府の全ての者に対して山への退避を呼び掛けるのではないか、そして、その後の収拾のつかなさ、及び、本当に津波に塗(まみ)れた地、地震そのものによって打撃を受けた地への対応策が後手に回るのではと危惧して、その発言をしたものである。
では、もし、彼の予測が外れていたら、彼はどうなっていたであろうか。
彼は、たとえ生き延びても、つまり、津波をやり過ごせたとしてさえ、己れの官吏としての命を失くす覚悟ではあったのである。
それがどれほどのものであったか、他人が推し量るのは“野暮”というものである…。
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