小説 ふじはらの物語り Ⅱ 《陸奥》 51 原本
文室将軍は、着々とその退任を見据えて様々な残務処理に手を着け始めた。
中でも、彼が特に意を用いたのは、鎮守府の兵員達の以後の身の振り方についてであった。
それと言うのも、京のほうでは、“鎮守府の兵卒の数が多過ぎるのでは”と槍玉に挙げられたことは、将軍も当然のながら先刻承知である故に、“実際、今後中央からのお達しにより削減対象になってしまった兵のそれからについて、今から考えておく必要がある”と、彼は思ったのであった。
これについては、将軍直々に国府の陸奥介の許を訪れて、懇(ねんご)ろに相談に与(あずか)ってくれるよう頭を下げもした。
元来、陸奥国に居住する者で見識ある者達は、“今の鎮守府の兵員の数は少ない。もしくは、少な過ぎる”と感じていたものである。
そして、昨今のように、宮廷の上層部のお歴々達がこれについて目を付け出す前までは、文室将軍が、中央の直属の担当部署との丁々発止の折衝により、辛うじて今の兵員数まで“押し上げた”上で、それを維持して来たのであった。
陸奥介と文室将軍との度重なる協議ののち、“もしも、京の指令により削減対象となってしまったような鎮守府の兵卒達は、国府の後押しの下(もと)で帰農を勧奨される”、とされたのである。
大体において、この件につき、二人の目算は最初からその方向性が似通っていた。
当時、陸奥国における農業はまだまだ発展途上もいいところで、とりわけ、狩猟採集、紙業、漁業の、華々しいとまでは言い難いものの、その“手堅さ”と比較して、かなり見劣りがするものであった。
けれども、その地の気候、地味、及び、水の利などを考え合わせれば、余っ程、東山道のそれ以南の諸国よりも農業の発展性は期待されると、ある一定の人達には観測されたものである。
ただ、『陸奥』と言えば、金であり、中央も、在地の官人どもも、とかくその上がりにばかり気を取られてしまい、農業の振興になど、今まで然(さ)して力を傾注しようとは考えて来なかったのである。
そして、陸奥介は、前々から、国府近辺の平野は大変に魅力的な農地としての発展性を備えているに関わらず、その大半が手つかずのままであると認識しては、口惜しさを募らせて来たものである。
“農地としての発展性を備えている”とは言うものの、そこは、大木生い茂る原野にほかならなかったが。