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小説 ふじはらの物語り Ⅱ 《陸奥》 35 原本
藤原広懐の墓は存外国府よりほど近いところにあった。
“これならば、折に触れ女の親子、それも幼子とその母で気軽に詣でることが出来るわけだ”と、奥方は得心した。
“それに、これほどの距離でこのように歩きやすい道であるならば、もっと早くに知って、何度か往復でもしていれば良かった”と、彼女は思った。
そして、“今日はもしかしたら、出産前(ぜん)で最後のお墓参りになるかもしれない”と思ったものである。
もっとも、今回が彼女にとって最初のことでもあったのであるが。
お墓というのは土饅頭のことである。
この程度のものでさえ、人手、勿論男手のこと、が多数必要であることを思っては、陸奥介は、文室将軍やあの下役の顔を想起せずにはおかれなかった。
そして、葬列の様子などまでも思い描いたのである。
その墓の上には草花が端正に置かれていた。
一行の者どもも、用意して来たお供え、そして、これまた新鮮な季節の供花を手際良く墓前に据えて、そして、皆で目を閉じ、その墓に眠る者の冥福と遺された家族の今後の幸せを祈念するのであった。
京(みやこ)で生まれ、宮廷で活躍すべきであった、いや、活躍せざるを得ない立場にあった者の墓がこの辺境の地にあること、これは、藤原式家の一派の幕切れ、もしくはこと切れとして、人は“哀切”のみにより受け容れるであろう。
けれども、陸奥介はその気分に添えて、確実に憧憬の念を禁じ得ず、時にその表情に微笑を孕(はら)むような素振りまで見せる境地であったのである。
刀自の言うように、墓から少し先に開けた草地があった。
ここにはよく牛馬が来るらしい。
そこは、墓の辺りよりも少し小高い丘の上にあった。
そこからは竹林の前の広懐の墓が望めるし、陸奥国の大きな平野が目に入り、海岸線も分かるのであった。
家人の一人は、“東海から陽が上(のぼ)って、その光線が竹林の前の墓の辺りに射し込むのをここから眺めるのは、さぞや神々しいにちがいない”などと想像したりもした。
草地の脇には清水が流れている。
そして、「春には桜、秋には紅葉がこの辺りでは見物(みもの)である」と刀自は語った。
「もちろん四季折々に情趣が深い」などと洒落たことも言った。
離れたところから子供達の「キャーキャー」という声が聞こえた。
何やら指差して大笑いしている様子である。
どうやら牛馬の“落とし物”を見つけたらしい。
「茸(たけ)が、茸が。」
などと聞こえて来た。
刀自の娘は相変わらす木曽の家人の肩の上でこれらのことを眺めながら、楽しげににこにこと微笑んでいる。
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