小説 ふじはらの物語り Ⅱ 《陸奥》 18 原本
当時官舎で炊事などの用をしているというその者は、土間に控えて、殿と奥方のお越しを静かに待っていた。
そこに二人が入って来て、板敷きの上の座にそれぞれ着くと、奥方が、かの者に顔を上げるよう命じた。
そして、その女が顔を上げると、二人は少々息を呑んだ。
それは、胡族の女であった。
また、その背中越しに一人の女の子がかわいい顔をこちらに向けているのを知って、また驚いたものである。
奥方は、その者にどう問いかけてよいものかと狼狽(うろた)えた。
すると、その女の方から切り出した。
「お召しにより参上致しました刀自(とじ)でございます。奥方様のご期待に沿えますよう、誠心誠意あい努めます所存でございます。どうか宜しければ、私めを、こちらにてお取り立て頂けますれば幸いでございます。」
奥方と横に居た陸奥介は、思わぬ神妙な口上が見慣れぬ顔をした者の口から出て来たことを、何となく不思議に思いつつ、これを好ましく感じた。
「見慣れぬ顔」と言っても、ここは陸奥国府、街では胡族の顔などザラに見受けられはするものの、官衙の中では多少勝手が違う故、二人には、少し眼前の光景が奇異に感じられもし、また、そのような丁寧な語り口は官人の中でもあまり見られない鄙(ひな)で当地はあって、その者のことが、彼らには関心を引かれずにはおかれなかった。
況して、彼女のしゃべりは京(みやこ)風でありながら、覚束ないというか、不完全さがありありとしているのが、二人には、どうしても解しかねることではあったのである。
「そなたは、京(みやこ)に上ったことがおありなのですか。」
奥方は、かの者に問い掛けた。
「いえ、そのようなことはございませぬ。ただ、私めの先年亡くなりました夫が、京からの者でございました。」
この応えに、二人は一応の納得を見た。
「時に、そのお子は、そなたのお子なのですね。」
先ほどより、女の体から決して離れようとはしないものの、ちょろちょろと辺りを物珍しそうに窺(うかが)いながら、時折、陸奥介やら、奥方に愛くるしい笑顔を振りまくその幼児(おさなご)の顔(かんばせ)は、俗に言う「あいの子」のそれであった。
「申し訳ございませぬ。このような場にまで引き連れまして…。」
「いえ、別にそれは構いませぬ。私も、二人子供がおります故、その年頃の子供は目が話せないことは、重々承知しておりますから。」
奥方は、どことなく目の前の者に対して好(よしみ)を感じ始めていたのである。
土間の薄暗がり、そして、何もない時のひんやりとした空気が、二人の眼差しが地べたに膝をついている者の容姿をよく見窮めようとすることを、なぜか今までは阻害していた。しかし、今は違うのである。
彫りの深いその眼窩に据わった瞳は、殊の外に柔和であった。そして、子供っぽかったのである。
今までに感じたことのない煌めきをその周囲に放ちながら。
その者と子供が親子であるというのが少し腑に落ちないとまで、二人には感じられた。特に奥方の方には。
何と言うか、子供が子供をあやしているようでもあり。