小説 ふじはらの物語り Ⅱ 《陸奥》 43 原本
そして、あの下役の者が陸奥国府にやって来て二年程ののち、今回ぐらい大きな地震でこそなかったものの、長い長い揺れを味わった小半刻(こはんとき)後ぐらいに、沿岸部を黒い大波が洗い出し始めるということがあり、それは川を逆流し、田畑や野山を覆い尽くして引いていくという災害があったのである。
その時は、旧国府址(あと)の一部まで海水が上がって来た。
また、急峻な山並みが軒並み海に沈み行くような海岸部では、場所により“例の目印”目前で水が引き始めるといったことがあったらしく、古参の官人達がその話しを真剣な表情で言い合っていたのを、何の事かまだ分からないなりに、自らの心証に留め置いた当時の彼なのであった。
そして、その時の被災民の対応策はと言えば、色んな意味で凄絶を極めたのである。
時に、今回の地震の規模とあの“黒い水の盛り上がり、しかも、大きなものが幾重にも押し寄せている”という表現に、ただならぬ予感、いやもはや「現実」をどのように受け留めるべきか、思いあぐねるのが空恐ろしく覚える彼やその同僚なのであった。
各地域や郡衙(ぐんが)から続々と、今回の大地震、及び、大津波による陸奥国内の被災状況が国府へと伝えられて来た。
それは、どれも惨憺たるものであり、その範囲、及び、規模は「空前」かと陸奥介には思われた。そして、目眩(めまい)がして倒れかかりそうな己れを、どうしても鼓舞しないわけにはいかない彼なのであった。
「全戸流亡」「総員喪失」「一村全焼」、郡衙も幾つかが大打撃を受けたようである。
主に津波による海岸部の被害の甚大さが際立っていたが、当然、その前のあの大地震による家屋の倒壊等の損害、田畑における地割れ、山の崩壊などの報告が、国内各地から陸奥介ら国府の中枢に次々ともたらされて来た。
勿論、それらによる死者の数も相当数に上(のぼ)ったと思われた。
そして、陸奥介達はずうっと官舎に詰めていたため知らなかったものの、国府のそこかしこにおいても、要は、官舎ではないほとんどの民の家屋が倒壊、または、激しい損傷に見舞われていたのである。
陸奥介の家のあの刀自と娘がかつて身を寄せ合っていた住居も、にべもなく倒れた。
けれども、彼女達が以前同様そこに住み着いていたとしても、彼女達はそんなに悲劇には遭わなかったやもしれない。
そこにおいては、揺れを感じたら、すぐに外に出ればよく、余っ程細い柱に挟まれて往生するかしなければ、藁を頭から被(かぶ)るか…。
いや、たとえどんな家であろうと“侮るべからず”かもしれない。
国中の被災の状況が一通り国府に伝えられて、さて、これから、陸奥介の差配如何(いかん)に衆目が集まり掛けた頃、鎮守府から副官が陸奥介の許を訪れた。
彼は、将軍からの言伝てを帯びていたのである。
それはこうであった。
「全軍、いつでも出動態勢にあり。
貴下のご下知(けち)を謹んでお待ち申し上げてござい(おり)ます。」
陸奥介は奮起した。