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小説 ふじはらの物語り Ⅱ 《陸奥》 44 原本
今回の大津波では、旧国府址の約三分の二が水に浸(つ)かった。
陸奥介は決意した。国衙(こくが)、郡衙(ぐんが)の穀倉を滞(とどこお)りなく開封し、必要最低限を残して、全て被災民の救恤(きゅうじゅつ)にあてがう。その上で、近隣各国に救援を願う。勿論、京(みやこ)にも。
とは言え、自らを恃む以外に当てがない事ぐらい知らないような愚か者ではない陸奥介であった。
たとえ、近隣からの救援が叶うとしても、それは今すぐではあり得ない。
けれども、今すぐどうにかしなければ、人命はその大半が風前の灯なのであった。
陸奥介のその判断は、官人達に好感を以て迎えられた。
尤(もっと)も、国の最高の政事担当者として、それは定石と言えば定石であり、度肝を抜かすような良策であるとの感慨を、彼らに刻したというのではなかったものの。
すなわち、それまでまともな良吏がこの国を治めてはいなかったのであった。
次に、食料、及び、救恤物資を被災地全域に出来る限りくまなく届けさせるに当たり、鎮守府の兵員を全て用立てると陸奥介は決めた。
つまり、普通の男手では行き着かないような僻地(へきち)への派遣を、彼らのような者達に主に任せるということであった。
また、彼らは、被災地において、民の生活が自律的にはかどり出すまで各地に留め置かれるとした。
これには官人達の間で異論が噴出した。
そのような事をしては、国府の安寧(治安維持)が保てないと。
つまり、内憂外患の問題があると。
陸奥介は勿論その説くところを承知しない訳ではなかった。
そして、その異論に対しては、種々(くさぐさ)反駁(はんばく)の理由を丁寧に申し述べたのではあるが、そんな中でもより大であったのは、「今まさに死に至らんとする民草を座視、黙殺するのは、夷狄(いてき)、奸賊(かんぞく)に襲われて死者続発するよりも早い」ということであった。
その上で、「民心を失っては、その後、いくら国府の城柵(じょうさく)を固めても、ざるに水を汲むようではないか」とも付け加えた。
また、このような異論もあった。
国府の長として、鎮守府の兵員を動かす典拠はどうなるのか。兵事でないにも関わらず。
これについては、「自らが全ての責めを負い、事後、直ちにその旨を京に上表する」と陸奥介は応えた。
それはつまり、彼は辞意を暗に仄(ほの)めかしたのである。
結局、鎮守府の兵卒のほぼ全てが被災地の各所に小分けにして送られることとなった。
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