小説 ふじはらの物語り Ⅱ 《陸奥》 28 原本
お産には、彼女の“仲間”の者や私の家内なども参じました。
皆、彼女が初産であるということでかなりの時が懸かるものと覚悟しておりましたところ、意外にもすんなりと終わったので、一様に拍子抜けの感じでございました。
ご夫君はその時、別室において文室将軍と碁を打ち合っておられたようであります。
そして、お子のお生まれが告げられるや、ぱあっと席を立たれて、そそくさと部屋をお出になったとか。
のちに、私は文室将軍からこのような話しを耳打ちされまして、実に微笑ましく感じたものです。
普段、お二人の対局は常に互角で中々勝負がつかないようなところを、あの時ばかりは明らかに広懐殿は焦っておられたとか。
兎に角、我々の間にまた一つ希望の種が芽吹いたことを、誰もが我が事のごとくに喜びであると思ったのでありました。」
「お子は女子でした。
一体、あのお方にとってこれが初のお子であったのかはよく存じないのでありましたが、それは、それは、正に目の中に入れても痛くないくらいの可愛がりようであったのでございました。」
陸奥介は自問した。
“家が断絶したからと言って、子が皆無であるとは言えまい。”
「とは言え、未だ嬰児(みどりご)をあやすのは、“可愛がる”というよりも“途方に暮れる”と言った方が正しいでしょう。特に男親には。
そして、あの夫婦、また、周囲の者達がいつもあの赤ん坊から心の安らぎと活気を分けてもらっているという至福の状況が、急転してしまうことになるのでした。」
いよいよこの話しの肝心なところに触れようとするに当たり、実にあっさりとした導入ではあると陸奥介は感じたものである。
「広懐殿はあの時分多少風邪をこじらせ気味でいらっしゃって、子に移らせてはいけまいとのご自分、また、周囲の者達の配慮から、親子三人の団欒の場であった粗末な家から、役宅の空いていた一軒にお一人で身を寄せられることと致されたのでございます。
それは、丁度私めの家のはす向かいでありました。
ですから、私めのうちの者や、隣近所に住んでいた私の同僚などの家の者なんかが、折に触れて臥せっておいでの広懐殿の看病に参っていたものでございました。
そのような時、あの母と子は、いつも外から家の中を心配そうに覗いておったのでありました。
もっとも、赤子の方は、母の背におぶわれて、専ら微睡(まどろ)むばかりで、たとえ家の中へ視線を送ったとしても、何の事だか分かるべくもありませんでしたでしょうに。
そうして、決して不養生などではなかったものを、広懐殿のご病状は一向に快方に向かわず、到頭重篤になっていったのでございました。
その頃からは、母と子は私めのうちに居させることと致しました。