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小説 ふじはらの物語り Ⅱ 《陸奥》 29 原本
広懐殿は、いまだお話しが出来る内に、私めと文室将軍の足労を願われたのでありました。
すでにご覚悟を召されたものであると、私と文室将軍は合点したのでありました。
文室将軍は御(おん)枕元の左に、私は右に座して、絶えず咳き込んでおられた広懐殿の最後のお話しを、一言一句洩らさずに聞き取ろうと、両者固唾を飲みながら、何ともやつれ果てたその顔(かんばせ)に辛い気持ちを押し殺して視線を集中させたのでありました。
案の定、広懐殿は、この度の招請に快く応じた私と文室将軍の志のほどを深く深く拝謝される旨を懇切に申し述べられ、また、それまでの厚情をあの世に赴いてまでも決して忘れることはないと、強く念を押されたのでありました。
その上で、次のような本題に移っていったのでありました。
それは勿論、後に遺される母子(ははこ)のことでございました。
返す返すも、この期に及んで他界しなければならないというのは、無念の極みでいらしたでしょうに、つとめて淡々とお語りになったのでございました。」
「私は、まもなくあの世に旅立ちます。これはどうにも禦(ふせ)ぎようのない運命(さだめ)なのでございましょう。
私は、己が死を迎えるに当たって、かつて、こんなにも恬淡(てんたん)と構えることが出来ようとはつゆ夢想だにしませんでした。
はからずも流謫(るたく)の身に及び、私は…、生ける屍として死ぬよりも耐え難い屈辱に甘んじねばならない運命(さだめ)を、血反吐(ちへど)を吐くような思いで怨み抜いていたかつての私であったならば、己が死を、その人生に対する最も効果的な怨嗟(おんさ)の数々で彩ることをば、畢生(ひっせい)の大業と心得ていたでしょうに。
私は幸いです。
正に慨嘆すべく、また、愚かの域を出まい一人の男の人生の幕切れを“免れ得て”、不思議なことに、赤子のような心持ちで土に還れそうであるのは、いかなる大丈夫にも真似できまい最期の心境ではないかと、内心悦に入る具合なのでございますれば。」
そう言ってから、広懐は、少しばかり頬を緩ませたのであった。
つられて、二人も顔に笑みを浮かべたものである。
「それもこれも、この私に添うことを自らの喜びとすると心に決めて、爾来(じらい)倶(とも)に歩んで参りました妻に全てを負うものでございます。
また、先頃それにあの子も加わったのでございます。」
文室将軍は、これを聞いて、“分かっておる、十分に分かっておる”と心で叫んでいた。
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