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"教え"にとらわれすぎて、"人間じゃなかった"私
幼い頃からずっと、母から言い続けられてきた言葉があります。母の言うことは絶対で、正しくて、その通りにしなければ大人になれないとさえ思っていた私は、大学進学で実家を離れるまでその"教え"を守ってきました。
大学という場所は、教室の中だけでも全国各地から集まった人であふれていて、18年間ずっと変わらない思考で生きてきた私にとっては、考え方も価値観も習慣も、何もかもが違っていてとても戸惑ったのを今でも鮮明に覚えています。
いちばん言われて驚いたのは、
「あなたって、人間じゃないみたい」
という一言です。
意地悪されていたわけではなくて(笑)今でも親交の深い友人から、笑いながら ぴしゃりと 言われたのですが、でも今思うと心配の想いも込められていたような気がします。
この一言がきっかけで、
母の"教え"にとらわれすぎて世界を狭めていた自分の思考に気がつくことができました。
人にされて嫌なことは人にしてはいけません
この言葉、よく聴くと思います。
私が母からいちばん"教え"られた言葉です。
幼い頃から、争いごとは苦手です。
アニメや漫画の世界のことでも、「たたかわないで対立しないで、お話して仲良くなれればいいのに」と思っていました。
友人や誰かと喧嘩したことは、ほぼありません。
というよりも、私自身が相手と喧嘩にならないようにと、のらりくらりかわしながら(笑)ものごとを進めているような気がします。
いわゆる反抗期も、私は迎えませんでした。
何しろ母が"絶対的"だったし、父は"絶対的味方"だったので、私が反抗してこの家族の空気が壊れちゃうのは嫌だなという思いの方が強く、反抗することなく大人になってしまいました。
人にされて嫌なことはしない
この"教え"を頑なに守ってきた結果、言われたのが先述した「人間じゃない」という言葉です。
一緒にいた相手が気を悪くしてしまって、感情的になって泣いてしまったから、
「ごめんね」と私は謝った
「なんで謝るの?」
「あなたが泣いているから」
「泣いたから謝るの?泣かなかったら謝らなかったの?」
「あなたを嫌な気持ちにさせてしまったから」
「何が嫌だったか、分かる?」
「ううん、分からない…でもあなたがこんなに泣くほど嫌だったなら、私が全部悪いから」
「ごめんなさい」
「……もういいよ」
「この間喧嘩になっちゃったんだ〜」と言ってから、この一連の流れを友人に話しました。
そこで返ってきた言葉が、「あなたって、人間じゃないみたい」です。
???と頭の中は、はてなでいっぱいです。
どういうことだろう…と考えているのが顔に出ていたのでしょう。(笑)
友人は続けて、
「あなたが怒っても、言い返しても良かったんだよ?」
と言いました。
私が怒る?!
相手を嫌な気持ちにさせて、泣かせてしまった私が?!!と、さらに?????とはてなでいっぱいになりました。
「あなたの話は、相手の気持ちを受け止められなかった話。何が嫌だったか、聞かなかった?」
「受け止めて、聞いたうえであなたの気持ちをぶつけてないから、それは喧嘩じゃない。」
私のせいで嫌なことがあったのに、原因の私が理由を聞けば、嫌なことを思い出してしまうし、さらに嫌な気持ちでいっぱいになっちゃうから、理由なんてわからなくていい。私が全部悪いんだから。と思っていました。
でも友人からの「喧嘩じゃない」の一言に、ハッとしました。そして、私の気持ちをぶつけるってどうやるんだろう、と悩みました。
それまでの人生で、自分の中の感情を相手にぶつけることがなかったのです。
幼い頃から感情移入はしやすく、感受性は高めでわりと涙もろいところがあるのはわかっていたのですが、たしかに"怒り"に関しては鈍感すぎるほど鈍感でした。
のらりくらり、争いごとをかわし続けてきたそれまでの人生が、ぶわあっと走馬灯のように脳内を駆け巡りました。
人にされて嫌なことは、人にはしない
母に"教え"られ続けてきたこの考え方は、人として思考の根幹に置いていても良いけど、それにとらわれすぎて感情のやり取りをしてこなかったんだ、と気がつきました。
私がされて嫌なことは、相手は嫌じゃないことかもしれない
私がされても嫌じゃないことは、相手は嫌なことかもしれない
相手は思いの丈をぶつけてくれたのに、私はそれをキャッチせずに、体当たりで受けていただけなんだ。
ぶつけてくれたその感情のボールは、私に当たったあとコロコロ…と虚しく転がっていくだけで、相手の気持ちは転がった先の"そこ"に留まるだけだ。
なにもない。
私と、相手とのやりとりには、なにもない。
なるほど、人間じゃないって私の考えていることがわからないってことか。
そんなことを思いながら、目の前の友人にとても感謝しました。
「話を聞いてくれてありがとう。」と。
友人は困ったように笑いながら、
「いや、今のも言い返してくれてよかったんだよ?ちょっと覚悟してたのに。(笑)」
と言いました。
まさか。
気づきを与えてくれて、ありがとうだよ。
相変わらず争いごとは避けるし"怒り"にも鈍感ですが、友人のおかげで私は「人間になれた」のです。