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自己肯定感と鬱

生きて居れば良い事も有る。

そりゃ良い事もあるけど大概殆どは辛く苦しい事ばっかりだと思います。

その中で鬱病になる人とならない人が居ると思うんですが、鬱病になる人ってどう言う人なのって聞いた時。

鬱になる人って一言で言うと「優しい」人だと思うんですよ。

誰かに何かを言われた時、言ってる奴が100悪いんですよ、人様に悪口とか言っちゃいけねえって学校、下手すりゃ幼稚園の頃から教わるのに大人になってから平気で人に悪口とか嫌がらせするんですよ。

どう考えても人様に悪口言う奴が悪いのに、鬱になりやすい人って優しいからそれを言われるのは「自分に原因がある」と思っちゃうんだよ。

人は怒りを覚えた時って誰かに当たるか闘うか黙って我慢しちゃうかだと思うんですけど、黙って我慢しちゃう人っていうのは小さい頃に、親とか同級生とかに八つ当たりだとかされたり戦うと余計殴られたりとか痛い思いしたりだとかして。人の痛みが分かる人だと思うんですよ。
人の痛みが分かるから自分が相手にそういう思いをさせたら、「ああ、痛いだろうな」っつって自分が言われたらやらないの。
だからやり返さない、やり返さないから余計にいじめられる。舐められる。

本当だったらやり返さないと辞めてもらえないんだよ、強くない限り正義は絶対に通らない。

舐められると本当にそうなんですよ。

1+1は2って言ったって聞いてもらえないんですよ。

皆がみんなそうであれば良いんだけど、色んな人が居るし、それを知らないで大人になる人が殆どだと思うんですよ。

正直僕も幼少期はそうでした、何やられても親に相談したら

「無視しろ」

父方母方どっちも先祖代々仏教のお寺の血引いてるのもあって本当にそれしか言われなかったんですけど、やり返さないといつまで経っても虐められます。

小さい頃からそういう経験して大人になる人って、なんかそういう嫌な事あると「原因は自分にあるんじゃないか」っていう風に自分を責めるんですよ。
だっていじめる相手が100悪いのに、やり返せなんて教わってないから。いじめられる自分を責めるしか無くなるんですよ。

それに加えて優しいから人を傷付けるのが嫌なんですよね、普通だったらやり返されるから自分がやったら帰ってくるし相手にも同じ思いさせてしまうし。

だからやり返せなんて言っても出来無い。

それでどんどんどんどん自分を責めて自分の価値が分かんなくなって自分が嫌になって自傷行為(リストカット、ピアスとかも一部にはそういう名目でやったりする人も居るらしい、蛇にピアスとか)だとか薬物のOD、自殺

不幸以外の何物でも無い。

自己肯定感高める、自信持とうなんて無理があるんだよ。

そういう優しい人に言いたいのが

「苦しんでる自分を褒める」

これはどういう事かと言うと、馬鹿馬鹿しくても良いから
今までこんなに辛い思いして死にたい死にたいって思っててもなんだかんだ生きてる、生きてるって事は乗り越えてる。


「えぇ!?あんなに辛い思いして生きて来たのに自殺もしないで生きてこれたの!?すげえ!!」


みたいな

無理矢理でも良いからそう思い続けると段々と少しずつなんかよく分かんないんですが、自分に自信を持てる様になるんですよ。

辛い事があって、もう何処の扉も開かない時、その時乗り越えられるかどうかの証明は鏡見れば分かるんですよ。
鏡の前に立って、今まで色んな苦労をして来たけど、太々しく生きてる。
そうすると今まで死ぬほど、食えなかった事があっただろうか。

もうダメだ、もうお終いだ。
今まで何遍言って来ただろうか。

今それでもこうやって生きてる、乗り越えて生きてる、じゃあこれからだってそうだろう。
そう思えるし、乗り越えてる強い自分が居るんですよ。

ダメな人間なんて誰1人として居ないんですよ。

そうやって自己を肯定できる様になると、自信を持って何か自分がしたい事とか、やっていて楽しい事とか、視野が広まってやり始めるってなっても
「あんだけ辛い事乗り越えられたんだから、これも絶対うまくいくだろう」
ってやり始めやすくなるんですよ。

そうやって行ってどんどんうまくいく様になって幸せになっていくと。

「小さい頃あんなに辛かったけど、あの苦労があったから今自分は自分を許せてる、自分はダメじゃ無い」

そう思える様になれるんですよ、無理矢理でも良いから笑ってりゃ良いんだよ。

頑張ってる人は例外なく美しいです。
心から僕はそう思います。


僕は幼少期の頃から物心付いた頃には親が離婚して片親で育って来ました。10歳の頃に実の母親が二児の母、働きながらの家計を支えるには荷が重かったのか、色々なストレスから酒に逃げてしまって、肝硬変で亡くなりました。殆ど覚えていないんですが、姉曰く母の死のその少し前辺りはもう育児とかできる状況じゃ無い、ネグレクト(育児放棄)だったと言われ、大人になった今、そうだったのかなと思うんですが。
当時姉が12歳、僕が10歳、酒の事など分かる筈もなく、薄らに覚えているのが母親に頼まれて氷結レモンのロング缶を大量にお使いで買いに行っていた記憶だけは残っていて、毎日ロング缶5本飲んでたのは覚えており、大人になってから初めてあの飲み方は異常だったと思いますし、それ程に追い詰められていた母親に何も出来なかった自分が許せなかった。

そして母は重度の肝硬変で亡くなり、そこから母方の親戚が皆一斉に酒で亡くなって行き(母方の家系は皆飲兵衛で酒の飲み方が異常であった、僕もその血をちゃんと受け継いでますが)、10代の頃に5人亡くして。本当に祟りだと思いますし。10代の頃は葬式の思い出ばかりで、僕の中の10代は人生のどん底だと思います。中2の頃にギターを独学で習い、音楽に目覚めてから高2で高校を辞め、バンドの為に働く決意をし今に至るわけなのですが。
20になるまでは母親と同じように酒に逃げ、何度も酒で迷惑もかけ、死のうかと本気で考えていた時期もありました。

ですが20になる頃に、ここまでドン底でも生きてる自分凄えなとふと思えるようになり、自分を肯定出来るようになり、正直10代は人格形成の中でかなり大きな年代だとは思いますが。


もう10年は苦しんだ。

10歳の何も出来なかった自分が居た代わりに、10年間あれだけ母親、親戚の死があっても、生きてこれた自分が居る。乗り越えられた、だからこれから先何があったって乗り越えられる。

自分が死を選ばない限り、絶対に何があっても大丈夫。

そう言ってここまで生きて来れたと胸を張って言えると思います。

これがどれだけの人に広まるかは知りませんが、少なくとも僕を応援してくださる方々、心から僕が愛する人達に伝われば幸いに思います。

神様がいるのだとしたら、神様は俺達を不幸にしようとはして居ない、ただ幸せになる材料は山ほどくれているんだと。
神は幸せは直接くれない。
「これで幸せになれ」って幸せに変える物をくれるんだと。

だから不幸を山ほど持っているのだとしたら、幸せに変える材料は山ほどある。


この文を通じて、何か心に辛い物を背負ってる人の肩の荷が少しでも軽くなり、苦しんでる自分を少しでも許し、肯定し、胸を張って生きられる様になれる力添えが出来ればなと思います。

10代の頃に、神様から貰った材料で、僕は今心から幸せに生きれて居ます。本当に心から幸せです。

どうも有難う御座います。

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