魂が本当に求めているものを知る
今回のきっかけ:「魂を満たすには?」
毎度のごとく、つらつらと私の魂の成長過程を記しておく。まずは、今回の発見があったきっかけから。
2~3日間くらい停滞していて、なんか方向性が違うのかなぁと思っていたら、無意識のうちに意識が「使命に寄りすぎていた」みたいだった。
ハイヤーには、「使命へとつながる道はゆるやかに、でも確かに歩んでいくわけだが、それ以前に自分自身を満たすことが先だ」と言われた。
つまり、本格的に使命の道へ入っていく前に、まずは自分個人がやりたいことをやって、個人的な魂の欲求を満たしていく必要がある。それによって波動が上がるから、結果的に地球にも良い影響があるわけだが、それ以前に重要なのは自分を満たすことである。
では、自分個人の魂を満たすとはどうすればいいのかと尋ね始めたのが、今回のきっかけ。
・「欲」に対するガードを感じた
まず、これまでの時代のやり方だったら、自分を満足させるために「なにかをする」「何かを与える」と言った物質的なご褒美が考えられる。
私も最初はそこから考えてみたが、「あったらいいな」とか「できたらいいな」というものはあっても、渇望するくらい絶対欲しいものがないような気がした。「なかったらなくてもいい」という感じなのだ。
そこには「余分なものはいらない」というスッキリとした感覚と同時に、「それをする(手に入れる)意味はあるのだろうか?」という欲に対するブロックやガードなども感じられた。
この欲に対するブロックは、単なる欲深くなってはいけないというカルマ的なブロックではなく、「意識で体験できてしまうのに、わざわざ物質界で体験することにどれだけの意味があるのだろうか?」という疑問だった。
まず、「意識が現実を創っている」というのは言われ始めて久しいし、これは感覚的にもしっくりき始めているものだった。
ただ、同時に感じていたのが、「イメージのなかでリアルに体感できる物事によってある程度満たされるのに、わざわざ物質界で二回も体験する意味はあるのだろうか?」という疑問だった。
簡単に言うと、自分のなかで物質界の体験がそれほど重要なものだと思えなくなっていたのだと思う。
・自分を満たすものは「外側」ではなく「内側」にある
そこでもう一度、最初から「自分を満たす」とはどういうことかを感じ取ってみた。
すると、やはり根本は「自分を大切にすること」「自分を愛すること」が自分を満たすのだということが見えてきた。
そして、「自分を大切にすること」「自分を愛すること」は人それぞれにやりようがあるだろうが、私のなかでは『自分をよく知ること』が自分を大切に愛することだと感じ始めた。
たとえば、私はこの記事のように、昔から自分の思考や想い、感じることを文字に起こしてみるのが好きだった。小説などの文芸作品を書くこともあった。
外側の世界で何か面白い体験をしたとしても、最終的に最も満たされる瞬間は、自分の内側で感じたことや想いを整理し、理解し、腑に落ちた時なのだ。
逆に言えば、外の世界でなにか印象的な体験していなくても、急に自分のなかで気付きが生まれて満たされることもあるわけだ。
このとき、いったい何が起こっているのか、なぜ満たされるのかに注目してみることにした。
・魂が求めていたのは「自分と対話すること」
私が感じていた「自分をよく知る」ことで満たされる感覚は、「自分の内側と深くつながる」ことで得られる魂の満足感だった。
これはいわゆる『自己統合』の一部でもあり、もっと言えば、「内なる宇宙とつながる」ことでもある。
具体的には、自分が感じること・想ったこと・考えたことなど、自分の内側で湧き起こった感覚や感情、直感に焦点を当てること。無視して流さずに、拾い集めて受け止めていくことにある。
それは長々とした思考回路かもしれないし、身体的な感覚かもしれないし、爆発的で瞬発的な感情なのかもしれない。
いずれにせよ、自分の内側で動くものをとてもよく見ることだと理解した。
もちろん、そこで湧き起こったものに「ジャッジメント」はしない。基本中の基本だが、良い悪いの判断ではなく、ただ「そう感じたのか」と『気付くこと』が重要になる。
自分の内側に「気付く」「知る」ということ。
私たちの多くは自分の話を聞いてくれる人に好印象を抱く傾向にあるが、結局のところ、本当に自分を知ってほしい・気付いて欲しいのは自分自身なのかもしれない。
・物質世界は自分と対話するための「ツール」
魂が満たされる方法が「自分と対話することだ」ということは分かったが、であれば、やはり物質界で体験する必要はないような気もする。
それに対するハイヤーセルフの応えは、「物質世界での体験は自分と対話するためのきっかけとなる『ツール(道具)』だ」というものだった。
地球という物質界にはいくつかの特徴がある。
地球にいる私たちは、「からだ」という身体的な感覚を得られる状態を持ち、そこには五感がある。これは地球ならではのオリジナリティのひとつで、そこから得られる刺激は思考回路とは別の回路で私たちの感性を刺激する。
また、自己と他者、自分と外の世界という分離もまた地球独自のモノである。これまでは極限の分離を体験してみる時代だったが、今度は分離から統合やワンネスを感じ始める時代に入る。
分離は孤独を感じるためのモノではなく、分離しているからこそひとつに戻っていく過程に気付きや刺激を感じる時代に入るわけだ。
他にも気付いていない地球という物質界の独自性があるかもしれないが、とにかく、地球での物理体験は私たちの内側を独自の方法で刺激してくれるキーアイテムとなるらしい。
もちろん、瞑想などで自分の内側を見つめるだけでも十分に「内なる宇宙との対話」は成り立つ。
だが、せっかく地球という特殊な状況を体験しているので、地球らしい刺激によって自分の内側とつながってみてはどうだろうか、という提案らしかった。
・「自分軸」であれば何をやっていてもいい
魂を満たす方法は自分と対話することであり、対話には物質界で「何を感じ、何を考え、何を想ったか」という刺激をきっかけにすることもできる。
つまり、自己との対話を求める魂になってくると、外の世界で「なにをするか」はまったく問題ではなくなってくる。
何をしようと、それが失敗や成功であろうと、何もしていなかったとしても、その時々の自分が「何を感じ、何を考え、何を想ったか」という『自分軸』に注目し続ける限り、私たちは「内なる宇宙」と対話し続けることができる。
たとえば、一番簡単な動作と言えば、食事や呼吸があるだろう。身体的に何かを取り入れ、その感覚を味わい、感じ取るというのは最も簡単な自分との対話だ。
もっと大きな物事にチャレンジしていくときも、「チャレンジするかどうか」「この道でいいのかどうか」といった選択肢に迷う必要もなくなる。
重要なのはそれを選んだ結果ではなく、その時々に自分が「何を感じ、何を考え、何を想ったか」だからだ。
この事実は、私たちに「とにかくやってみたらいい」という、結果に頓着しないで好奇心を実行する自由を与えることになるだろう。
終わりに:魂のありのままを生きる
この発見は、魂の目的が「外側の世界」で何かを成すことではなく、「内側の世界」を見つめることへと変化していったという点で、私の世界観を大きく変えた。
同時に、子どもの頃から感じていた「この行動には意味があるのだろうか?」という自己満足的な行動に対する疑問をも、振り払うものになった。
魂は物理世界を体験し、そこから何を感じた時点で目的を達成していた。必ずしもそこから何か発展的な展開が必要なわけではないのだ。
私たちの行動はより自由になり、「選択に迷う」という余計な悩みにエネルギーを使う必要がなくなる。思いついたら即行動、でいいわけだ。もちろん、やっぱりや~めた、でもいい。
ここまでわかったところで、そういえば年明けくらいに「魂のありのままを生きる生き方ってどんなものなのか知りたい」というオーダーを通していたな、と気付いた。
どうやらこれがひとつの答えらしい。