死にたい
こんにちは、なーさんです。
注意:重い内容かなと思うので
人生happy!って感じの人は回れ右です!
●前書き
拙い文章で申し訳ありませんが、よろしくお願いします。
暗い話は嫌ですよね。私も好きではありません。
しかし、唐突にくる気持ちがあります。
「死んだほうが楽なんじゃないか」
「消えてなくなりたい」
私の場合は
小さい頃に両親が離婚時や
学生の頃、いじめにあっていた時
残業続きで仕事がきつくて仕方なかった時
何かを頑張ろうとしてる時など
唐突にやってくる”それ”は止めることができません。
”それ”を実行する前になんとか
踏みとどまります。
それが精一杯です。
「死ぬのは逃げだ」
「死ぬ奴は弱い」
「死んでどうするの?」
「死ね」
「迷惑かけるなよ」
そういう言葉をよく聞いたことがあります。
映画やドラマ、漫画やアニメの世界では
簡単に人は死にます。
現実ではどうでしょうか。
現実でも人は簡単に死にます。
電車の人身事故。
「くそっ、死ぬなら電車にするなよ。迷惑だよな」
よく聞きませんか?
これをどう思うとしても
自己の自由という事を前提に
私の価値観でお話しします。不快に感じたら読むのをやめてください。
人1人の命。
軽いものですか?それとも重いですか?
私は自分のことのように思うがゆえ
重い。
そう感じえざる終えません。
私は電車に乗るのが遅れてしまったとしても
死んでしまった人のことを想います。
前文でお話しした
「死ぬのは逃げだ」
よくわかります。
「死ぬ奴は弱い」
よくわかります。
「死ね」
死んだほうがいいかもしれませんね。
言葉の重みは
真剣に死と向き合っている人には突き刺さります。
常に”それ”はいるわけではなくとも
唐突にやってくるのです。
看護師としての話になりますが
がん末期の方を看護するとき
”死”を身近に感じます。
病気で苦しんでいる人を助けようとしているのに
自分が”死”を考えてどうするんだ。
と真剣に考えたことも多々あります。
そんな考えを精神科的に言えば
鬱や、精神障害で
簡単に片付けることができるでしょう。
生きる価値や
自分の価値など考え始めたらきりがありません。
なぜなら結論は最初から決まっているのです。
生きる価値はない。
そうならないように、思わないように考える。
小さい自己防衛。
その思い込みからこの現実に戻るまで
時間を要します。
時に負の感情は強いエネルギーがありますよね。
例えば嫉妬、憎悪、嫌悪など。
殺人などは
その感情によるものではないでしょうか。
そのベクトルが自分自身に向いている状態。
かなりやばいですよね。
自分を自分で殺しにかかっているんだから
正気の沙汰ではない。
そう。
正気じゃないんです。
負の感情に負けないように戦いながらも
力尽きてしまったんです。
どうでもよくなるんです。
あくる日、ツイッターで同じ考えを持った人の
ツイートがバズっていました。
私は
今、死を考えている人がいるならば
同じ同士として。
伝えたい。
「いつでも死ねることを思えば人は最強になれる。」(どっかで見た記憶あり)
行動は
他の誰でもない、自分や他者を傷つける前に
今まで少しでも支えてくれた人がいるのであれば
その人に感謝を伝えよう。
どんな言葉だって、表現だっていい。
最高の感謝を伝えよう。満面の笑みで。
死ぬのはそれからでも遅くないよ。」
本気で死と向き合うことは
とても勇気がいることだと
私は思っています。
まだ
「死ぬのは弱いやつだ」
そう想いますか?
アーティストのあいみょんの楽曲
「生きていたんだよな」
の歌詞ではこんなのがありますよね。
「今ある命を精一杯生きなさい」なんて綺麗事だな
精一杯勇気を振り絞って彼女は空を飛んだ
綺麗事。
そして精一杯の勇気を振り絞った。
私は思いました。
強い。
それが死ぬ方向であったとしても生きる方向だったとしても。
三月のライオンをご存知ですか?
3姉妹の中で中学生の女の子が
いじめられた子ををかばい
自分がいじめにあいます。
そんな中で
「私は 学校には絶対最後まで来る!無視は堪える!黙ったりなんかしない
こんな所何があったって生きて卒業すれば私の勝ちだ!」
というセリフがあります。
私もいじめの対象だった時、
原因がカッコよくかばった結果でもなく、
耐えられていたのかも不明ですが
「自殺してしまえ」
「死んだ方がいい」と言われた時には
絶対しない。
そう思っていました。
そう思いながらも実際は辛い日々でした。
けれど今思えば簡単なことでした。
学校なんかやめればよかった。
世の中にはいろんな学校があるでしょう。
根本の原因が自分にあるのだとしたら話は変わりますが
それを
自分も含めて大人も原因を探り
解決しようとするから辛くなるのです。
選択肢が狭くなる。
当時、私は必死に自分の悪いところを探し
加害者と仲良くなろうとしましたが
結果は変わりませんでした。
いじめというのは
面白いようにエスカレートしていきます。
なぜ被害者の自分が逃げなければいけないのか。
悪い方が罰を受けるべきではないのか。
そんなことを思っていた気がします。
客観的に見てもそうですよね?笑
しかし、社会はそんな簡単ではありません。
先生は全てが味方ではありません。
学校は味方ではありません。
親は味方ではありません。
加害者は平然と生きています。
そうなってしまった時どうするか。
簡単なんです。
それ以外に助けを求めましょう。
警察も悪くないでしょう。
SNSも悪くないでしょう。
なんならここのコメント欄でもいいです。
死ぬ選択肢はまだ早い。
勇気を違う方向に向けるられるように。
助けを求めることは一番できそうでできないこと。
近くの人が解決できないのであれば
それ以外の人に。
世界は広いのです。
私は自分が死にたいと思うときもありますが
今苦しんでいる人を助けたいという気持ちもあります。
今、苦しんでいる人がこれを読んで小さな勇気を出せることを祈って。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
なーさん