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心が休まる場所。
今はもうあまり使われないけれど、
「登校拒否」という言葉がある。
e-ヘルスネットによると、何らかの心理的、情緒的、身体的若しくは社会的要因又は背景によって、児童生徒が出席しない又はすることができない状況(病気又は経済的理由による場合を除く。)らしい。
もう一つ、不登校ということばもあって、不登校については文部科学省が、 何らかの 心理的、情緒的、身体的あるいは社会的要因・背景によって登校しないあるいはしたくともできない状況にあるために年間 30日以上欠席した者のうち、病気や経済的な理由による者を 除いたもの、と定義している。
登校拒否という言葉を最初に聞いた時に、この拒否している側は生徒というイメージを受ける。
息子が学校に行けなくなったあの朝、私自身、体調が大丈夫なのに行かないなんて許されない、とどこかで思っていた。だから最初の頃は家から無理してでも、一歩だけでも学校に向かわせようとしたし、学校のプリントも提出できるものは一緒に取り組んだ。拒否をしていない、という証のように。
その後、コロナ禍になって学校自体が2ヶ月ほど休校になった時、これなら息子だけが学校に行けないわけじゃないとちょっとほっとしたこともある。
親となったわたしは昔聞いた「登校拒否」の登校を「拒否」していたのは生徒側だったのか?と疑問を持った。
この枠にはまっている状態じゃないと来ないでくださいね、となっているのは受け入れる側(学校)だったんじゃないか。
息子の学校は恵まれていて、小学校も中学校も通級や発達指導も含めたモデル校だった。先生方も色々とアプローチをしてくださり、息子が無理なく復学できたのもそのおかげ(後もちろん本人の頑張りもある)
「拒否」の反対は「受け入れる」。
この2つがセットなのだと思う。
息子はこの春、中学を卒業する。
お世話になった保健室の先生へのメッセージを準備していた息子がカードに「心が休まる場所でした」と書いていた。
受け入れてもらえる場所が家の外にもあったこと。それに感謝しながら、私も息子もまた一歩進もうと思う。
ここまでお読みいただきありがとうございました🐅
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