
自分のかたち。
何か武器がないと人と関われない。
そんなふうに思っていた。
始まりは幼稚園の頃。親同士が仲良くしていた近所の子がたまたま男ばかりで。ヒロインよりもヒーローに憧れた。
行っていた幼稚園だけかもしれないが、幼稚園の女児は、小学生顔負けに仲良しコミュニティを作ることに長けていて、すっかりその輪に入り損ねてしまった。卒園アルバムでは1人ぽつんと雲梯の上に腰掛けていて、親は「おてんばだから」と言っていたけれど、そうではなくて。
誰の隣に行くのも正解でなく思えたので1番自由そうなところを選んだ記憶がある。
小学校は2年生から転入し、すでに1年間コミュニティが築かれているところへ入ることになった。この頃には幼稚園児時代と違って「作文」とか「読書」、「一輪車が得意」といった武器を手に入れていたので、ぬるっと元々あったコミュニティに入り込めたように思う。
何か武器がないと新しいコミュニティへ入り込めないという意識の根元は多分このあたりから。
ぱっと見は装備しているので人見知りに見えないようだけれど内心ビビっていた。なので大人になってからはたまに初めましてのコミュニティに行くものの前後に必ず1人クールダウンタイムを取らないと気持ちの整理ができなかった。
それがここ数年になって、新しいコミュニティに出入りするときの人見知り発動が激減した(もちろん緊張はするしクールダウンタイムも必要な時だってある)。
年を重ねて図々しくなった部分があるのかもしれないけれど、1番は自分があまりぶれなくなったことにある。自分への理解が深まり、人と自分との境目がハッキリとしてきた。
境目くっきりしたら逆に他のところへ入りづらくなるんじゃ?と思うかもしれないけれど、この境目がぼんやりしていると、入った先のコミュニティの中でブレまくり気疲れして、人と関わるのが億劫になる。
人と自分は違うからそこに面白いものが生まれる。合わないコミュニティであれば去ればいい。私はわたしなのだから。そういう自分の気持ちが見えてきて、輪郭が出来た時に人と関わることに対し構えなくてすむようになってきた。
新しいフェーズに行ってみたいなぁ、でも人見知りでちゃうかもなぁという時は、まずは自分のことを見つめ直してみる。
今わたしは何が好きで、何を心地よく思っていて、何は苦手、何が嫌いなのか。
自分の輪郭が出来てくるとそれがたとえばパッと見が歪であっても、壊れそうなふんわりした丸よりも他人と関わりやすくなる。丸のフリをする必要もない。
冬の満月の夜、そんなことを考えていました。
ここまでお読みいただきありがとうございました🐅
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