絵本の思い出
皆さま、GWはいかがお過ごしでしょうか?私は昨年程ではございませんが、例年通り「暑熱順化」が巧く行かず、バテりまして、まあ横になっていることが多いのですが、それでも、昨年の「水滞」(発汗不良などにより、水分が身体に溜まり倦怠感を起こす)まで症状は悪化しておりませんので、何とかお出かけして参りました👇
今回は、「隙あらば猫」という絵本の原画展示会ですが、意外に猫ばかりではなくて、犬やら赤いマントの熊やら、浦島太郎やらがいて、猫好きさん以外の方々も十分楽しめる内容でして、当たり前かも知れませんが、町田尚子先生の作品が、バランス良く(猫に偏らず)展示されておりました。
残念ながら当日は、GWの影響もあり、お子さま連れが多くて、子ども連れでないオッサンは、写真も撮れない程に「透明な存在」に徹する必要があり、撮影OKな場所もありましたが、画像は撮れていません💦
しかし今回は、展示会の紹介だけではなく、「絵本」についての思い出話しを少ししてみたいと思います。
こんなオッサンでも、かつて一冊だけ絵本を所有したことがあったのですが、それがコチラ👇
絵本の画像を見ていただくとわかる通り、やや対象年齢が高めなのがわかると思うのですが、それもそのはず、私がこれを買った理由は、約25年前の看護専門学校の読書感想文(夏休みの課題)の為でした。
もちろん、読書感想文に私が絵本というジャンルをセレクトした訳ではなく、学校側(教務)から絵本という指定があったのですが、私の読書感想文は、教員から、もう酷い言われ様(評価)で、担任から聞いた話では、「暗い上にセンスがない」とか、「子どもがこれ読んで欲しいか?」とか、「そもそも絵本ではない」ということまで言われたそうです…💧
私は教務に対して、見る目がないというか、一体どんな考えで絵本を読んでいるのか?と思っていたら、その課題の返却時のコメント(書き込み評価)だったか?授業の内容だったかは忘れましたが、「絵本というのは人間の基本で、それを守れる人間は幸せになれたり、不幸にも打ち勝てる。これは実際の社会と一緒。そのわかりやすさが大切」という様な説明を受けました💦
「いや、レベルが低いやろ!」
もちろん基本的な考えはそうなんですが、それは子どもたちに伝える一つのメッセージ性(基本型)であって、読み手(大人)がそれを全知全能的に真に受けてどうすんの?もしかして、あなた方は、そこで止まってしまっているの?ということさえ思ってしまいました。
実は、絵本(特に昔話)って当たり前ですが、複数の視点から物語(事実)を見れていないんですね。自分たち(読む人間)に沿った視点からだけで構成されている。だから、わかりやすいし、納得(理解)しやすい。でも現実の社会には、いくつもの視点があり、対立があり、矛盾があり、考え方があります。
多数派の視点だけを押さえることが正しかった時代は、実はあの頃までだったように思います。(あの頃までという限定で、教務は間違ってはなかった)。
しかし、世界はあの頃より広がり、繋がり、わかりあう必要ができた結果。人によっては生まれて来た段階で、絵本の世界とは真逆の善行を行いたくても行えない、いや、善行の価値観が絵本の世界とはそもそも違う人間だっていると理解する必要が生まれたと思います。
そんな中で、私の選んだ絵本「たった一人の戦い」は、中世を舞台にしながら、そんな複雑な世界(立場)と、どう自分は向き合って行くのか?その一歩(戦略)が世界(多くの他人)にどれ程影響を与えることになるのか?たった一人で戦う為には何が必要なのか?そんなことを考えさせられる様な少し大人な絵本だったと思います。
もちろん、夏休み後に自分が看護実習に行く病棟の年齢層(児童思春期)に合わせて、その絵本を購入したのでしょう。図書室で借りなかった理由は、もしかしたら、受け持ちになった子どもに読んだ後に、そのままプレゼントするつもりだったのかも知れません。
しかし現実は、そんな浅はかな人間の思考の上を行きます。私は、その病棟で最も幼い子どもを担当することになり、児童思春期というより、幼児に近い子どもでした…
そして、数年前までこの絵本は、私の手元にあったのですが、転々と引っ越しをしている間に行方不明となりました。
今でもたまに、その絵本のことは、「いい人生の思い出をくれた」と懐かしく思うことがあります。
終わり