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将来の夢なんかない。

来るもの拒まず精神で生きようと思ったら、
企業を紹介されたので、またまた就活に身を乗り出してみた。

今日は、就活頑張る!とかではなく、
数か月ぶりに面接をして感じたことを書こうと思う。

結果だけ先に述べるとしたら、一時でお祈り。
いや、お祈りメールすら来なかった。
繋いでくれた方のLINEで知って、終わり。

この世の中は、違和感と矛盾だらけだという気持ちが強くなった。

お前のスキル不足だろ。勉強しろと言われれば
それまでだが、残念ながら就活への興味は2月になくなってしまったので、
今更むりな話。

興味のあること突き詰めた先に、
就職があれば、それもありかな。なんて思っている。

面接で感じたこと。
そう、「ありかな。」なのだ。

この会社入るのありかも~。
で、入りたいなんて願望が一切なかった。

おそらく、この感覚が人事の方にも伝わったのだと思う。

ありかも。は、
この会社に入るを選択するのみならず、
今のわたしの生きる軸になっている。

今日のお昼ご飯でさえそうだ。
友人に食堂行こうと言われ、
お腹がすいておらず食べる予定なかったけど、
誘われたし「ありかも。」で、学食を食べる選択をした。

結果、美味しいラーメンをいただくことができたので満足だったが、普段は昼ごはんに対して「ありかも。」を考えるのがめんどくさいのでソイジョイで済ませる。

わたしは、これやりたい!と思うことには没頭するまで向き合うが、その没頭となる対象がなければ「ありかも。」というなんとなくという自分で身に着けてきたであろう感覚で選択を重ねて、生きている。

没頭も、感覚も、「今」の話。

今、楽しいから満足。
今、なんとなく「ありかも」って思ったから選択。

こんな感じで、今の自分の感情でしか動いていない。
だから「将来、なりたい姿はありますか?」という質問に対しては、特にない。と答えるのが正しい。

いや、その時を生きる自分の「今」の感情で動ける状態でいたい。ということだろうか。

とにかく、将来の夢がない。

ずっと、起業したいと思っていたが、この欲は「今」の感情で動ける状態に近づくための手段という認識からきたものだと思う。

社長になりたい。なんて欲はない。
なるのも「ありかも」という気持ち。

ただ、ありかも。で動いていないことが1つだけあるとすれば、
今やろうとしている「生きづらさを軽減し、自分らしい選択ができる人を増やす」ための活動だ。

「自分の生きづらさが社会と調和しないことにある。」ということに気づいてしまった以上、社会に対するこの憤りやしんどさを少しずつ変えていきたいという思いはなくならない。
対象の人や、解消するための手段は変わるかもしれないが、
わたしは、ここの部分に一生携わっていくんだろうな。
そんなビジョンだけは見えている。

飽き性なわたしが、
これを言語化するまで4年間、
自分と葛藤し続けたのだから、
かなり執着心があるのだと思う。

これは夢ではなく、わたしの生きる使命。

まぁ、そんなことはさておき。
とにかく、"今"のわたしにはこれだといえる将来の夢がないのだ。

でも、明日には夢ができているかもしれない。
変わらない思いを綴っているのではなく、
変わるから、文章に残して過去の自分と比較する。

同じようなところで終わりを迎える文章もあれば、
一貫性がないと言われるような支離滅裂文章を書くこともある。

それがいい。じゃなくて、それでいい。
無印良品と一緒。

そういや1ヵ月前にも「今」について触れている文章があったのを思い出した。

「今」に焦点を当てていて、根本の想いは一緒だが、
ハイテンションなのが文章からヒシヒシと伝わってきて、眩しい…。
そして、ほんのわずかにだけど、今に対する考えややりたいことへの想いが変わってきている気がした。

おしまい。写真は、今日食べた学食。
誘ってくれて、ありがとう…。

(大学最後の授業が終わった日。)

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