Xをやめたいのに、やめていないワケ
「もう、Xやめたいわ・・・」
何度も何度もそう言っているのに、やめていないのはなぜなんだ、自分がわからない。
ということで、満月の眠れない夜に、すこし整理してみることにする。(明日というか今日、早起きだからほどほどにね!わたしより)
元を辿れば、オンラインスクールなどの新たなコミュニティに属したタイミングで、受講生同士のメインSNSがTwitterだった。そう、始めた頃はTwitterだったのだ。
tweet=つぶやく、Twitter=つぶやく場、つぶやく人たち、というシンプルかつ洗練された造り。それぞれが思い思いにつぶやき、つながり、暮らしていたように思う。
気づくと、それが「X」になっていた。黒い背景にひび割れたガビガビの線。大きく書かれたX。え、いやいや、Xってなんだ?
その日からまだそこまで日が経った気がしていない。Xになったということを受け入れられていないんだろうか。
なにがいやなのか書き出してみると、
⚫︎そもそもイーロン・マスクがあんまり好きじゃなかった(致命的)(テスラも好きじゃない・・)
⚫︎トランプと仲良さげにしているのも怖い
⚫︎「インプレッション」が指標になったことで、インプレゾンビが湧いたり、フェイクを流す人が出てきたり、YouTubeのように「炎上でもなんでもとにかく見る人さえいればいい」精神が蔓延っていて情報が集めづらくなった
⚫︎おすすめ欄が、刺々しい批評、性被害やジェンダー問題、芸能人のゴシップ、知らないどこかの誰かの死、知らないアニメ・ドラマのネタバレなど、いろんな理由で「見たくないもの」に溢れている
⚫︎アカウントを作り直し、ほわほわのやさしい絵を描くイラストレーターさんをたくさんフォローしておすすめ欄をきれいにしたはずなのに、いつのまにかイラストはほとんど流れてこなくなってしまった
⚫︎フォロー中の欄を見ているのになぜか間引かれている人がいて、いちいちアカウントを検索して追わないといけないのが億劫(だからといって追いたい人だけでリストを作ろうとすると、「リストを作って全部追いかけたいほどの人、いない説」が浮上する)
総じて、「見たいものが見えない」「見たくないものが視界に入る」という大きな2つのストレスがあるらしい。ちょっと整理されてきた。
特に、摂取したくない刺激物を勝手に食わされるのは結構きつい。
ちょっと最近調子が悪くなってきて、Xのアプリは消して必要なときにブラウザからしか見られないようにしたぐらいにいや。
じゃあ、そこまで言うのにどうしてやめていないのか。
イヤイヤ言いながらやめないのは、
⚫︎Xでしかつながっていない人が結構いる
⚫︎大好きなイラストレーターさんの絵がリアルタイムで見たい
⚫︎noteよりも拡散力があり、見てもらいやすい
⚫︎noteを投稿したタイミングで、Xにシェアするのが習慣になっている(むしろXにシェアしなくても読んでもらえるのか、不安)
⚫︎Instagramのような画像メインのSNSより、文字情報メインで生きるほうが性に合う(カメラとかやってないし、イラストも描けないし、投稿する画像がない)
とはいえ・・とここまで書きながら反対意見が脳裏に浮かんでくる。
⚫︎Xでしかつながっていない人が結構いる
→別に全員が全員、一生大事にする!!と思っている人なわけではないよね?大事な人のLINE持ってたら十分なんじゃないか?
⚫︎大好きなイラストレーターさんの絵がリアルタイムで見たい
→リアルタイムである必要性がどこまであるのか・・これを見るために、毎回同時に刺激物も摂取していると思うと、プラスになっているとは言い切れない
⚫︎noteよりも拡散力があり、見てもらいやすい
→いやそれはお前、noteもっと頑張れよ!と言いたくなる。実際、noteのフォロワーさんやXでつながりのある人より、通りがかりのnoteユーザーさんの「スキ」のほうが多い記事もたくさんある。たぶん、ちゃんと書いていたらちゃんと読んでもらえる。
⚫︎noteを投稿したタイミングで、Xにシェアするのが習慣になっている(むしろXにシェアしなくても読んでもらえるのか、不安)
→これは実験しないとわからない。
最近Xのアカウントは作り直したばかりなので、noteのフォロワーのほうが多い。Xはフォロー中でも間引かれていることを思うと、もしかしたら気にしているほどXへのシェアは必要ないのかも。
⚫︎Instagramのような画像メインのSNSより、文字情報メインで生きるほうが性に合う(カメラとかやってないし、イラストも描けないし、投稿する画像がない)
→そもそもSNSがわたしの生活に必要なのか?
推し活のために「見る用アカウント」は欲しいけど、どこでどう発信する必要があるのかはちゃんと考えなくては。
なんとな〜く「フリーランスは仕事のためにSNSを頑張らないといけない」という気持ちがあったけど、もしかしたらnoteがあれば十分なのかもしれない。
と書いて思い出したけど、今年はInstagramで「好きなものに囲まれてのんびり暮らしている人」みたいなゆる〜いアカウントはやりたいと思っていたんだった。
今のカリカリした気持ちで仕方なく動かしているXアカウントよりは、すこし心にゆとりをもってできるかもしれない。
とにかく、心がヒリヒリするような情報に触れたくない、Xにいる時間を減らしたい、という気持ちが強いことはわかった。
感情移入しやすくて、一緒に怒ったり悲しくなったりしてしまう自分には、140字に切り取ることでのトガリ具合、濃縮度合いがつらくなってきたのかもしれない。
今すぐアカウントを消すわけではないけど、すこしずつ距離をとってみる。
アカウントがあるからといって、毎日ログインしなければいけないわけでもないと理解しておかなくては。なんとなく癖で開いてしまうのをやめるところからスタート。
もっとたっぷりの余白のある場所で、好きなだけこねくりまわして語れる場所で、のびのび好きなものを好きなように書いている、やさしくて純粋な人のことばに触れられるnoteを大事にしたいと思った。
自分をととのえる、心地よく暮らすための工夫をすこしずつ積み重ねていきたい。