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朝掃除、”雑巾掛け”のススメ...地球生活の記録Let it be


今年の夏、寝る時間を早めにしたら、その分早く目が覚めるようになりました。


目が覚めるのは午前4時とか5時。

二度寝はせずにそのまま起きて、日課の朝掃除を始めます。


その朝掃除ですが、

思うところあって、床は雑巾がけをしています。


楽しい絵を描くと、雑巾一枚にも愛着が湧いてくる...


毎回、動かせる家具などは移動させて、隅々までしっかりと拭き掃除をします。


フローリングワイパーを使っていた時と比べて、終わった後の部屋の ”気” が、明らかに違う…


部屋も自分自身も浄化されたような感覚が心地良く、この習慣は3ヶ月程経った今も続いています。


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SNSの投稿を見ていると、最近は、掃除ロボットを利用する人も徐々に増えているように感じます。



時間に追われるように暮らす人が増えて、人間に代わって働いてくれる道具は重宝されるのでしょう。

そしてまた、掃除の時間を ”無駄な時間” と感じる人が多いというのも事実なのでしょう。


掃除に自分の手や目を使うという営みは、もう古い文化とになりつつあるのでしょうか...


・・・


今ではそんな事を思う僕も、学校と家くらいしか世界が無かった頃は、
放課後の掃除の時間になると、何でこんな面倒な事をしなければいけないのかと、不満に思いながらダラダラとやっていたものです。

それは僕以外の者たちも、似たようなもので、
おしゃべりをしながら、或いはふざけて箒を振り回しながら等々...

真摯に取り組んでいる者など、ほぼいなかったのだと思います。


それなので、掃除を終えた後も、特に清浄感も清涼感も感じられない空間がそこにあるのです。

それがまた、やりがいの無さに繋がり、掃除をすることの意味も意義もわからないままの日常が繰り返されていました。

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高校生になると、いろいろな事情から、学校には内緒でアルバイトをするようになりました。


それをきっかけに、僕にとって掃除というものの存在価値が、大きく変わったのです。


ただただ厄介で面倒だと感じていた掃除。

それが実は、人としての成長に大きく関係するものだという事を、バイト先で出会った人生の先輩方が伝えてくれる言葉や、仕事に向かう姿勢を通して学んでいったように思います。



「掃除をする時には、ちゃんと物をどけて丁寧にやるんだよ。見えない所こそきちんとやる! その気持ちが場所の雰囲気を作るからね。」

「水道を使った後は、次の人が気持ちよく使えるように、水滴は拭き取っておくんだよ。」

「掃除をする時は必ず両方の袖をまくっておかないと、雑巾もきれいに洗えないし、掃除だって思い切ってできないよ。」


等々...伝えてくれる言葉のどれもが、「なるほどなぁ」と納得できるものばかりで、今もずっと心の中で生きている言葉たちです。


それらの言葉ひとつひとつが、
ろくに何もできない、何も知らない当時高校生だった僕の精神の基盤を作ってくれたのではないかと、思っています。

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体全体を使い、手を使い、目や心も使って掃除を行なうからこそ、その場所の ”気” が整うのだと感じます。

そのやり方で行なった後は、不思議なほど曇りの無い空間がそこに現れるのです。



機械任せにしてしまうには、とても勿体無いと思われる大切な営み。

人々はそれを、長い歴史の中で繰り返し行なって来ました。


しかしながら、床に体も顔も近付けて行う雑巾がけは、人にお勧めをしても、なかなかその良さをわかろうとしてくれる人がいらっしゃらない...というのが現実ですが...


便利、合理的というものが、人々に与えたものは、時間なのでしょうか、それとも心のゆとりなのでしょうか。
僕にはよく分かりません。

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丁寧に、きれいに掃除された空間には、凛とした空気が漂っています。

それはたとえ室内と言えども、美しい景色そのものです。


そこに携わった方の清々しいエネルギーが、添えられているからなのでしょう。



掃除というものは、とても神聖な営みだと感じています。


手間や時間、労力をいとわない古き良き日本の文化に触れた時、

何故だかそこに、心に染み入る温かな宝物を見つけたような気持ちになるのは、決して僕だけではないと思いたいのです...🍀


   noZomi hayakawa

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