絵で読む『源氏物語』これはどんな場面~スペンサーコレクション 源氏物語絵巻 帚木巻 第二図
方違え
梅雨の晴れ間の蒸し暑い夜、源氏の君は久しぶりに葵上がいる左大臣邸を訪れますが、この日は、内裏から左大臣邸への方角が凶、「二条院〈源氏の君の邸〉も同じ方角だもの、どこに方違えをすればいいの。暑くてだるいよ」(二条院にも同じ筋にて、いづくにか違へむ。 いとなやましきに)とおっしゃって寝てしまおうとする源氏の君に、供の者たちは「そば近くお仕えしている紀伊守の、中川のあたりの家は、最近、川から庭に水を引き入れて、涼しげです」(紀伊守にて親しく仕うまつる人の、中川のわたりなる家なむ、このごろ水|堰《せ》き入れて、涼しき蔭にはべる)と、紀伊守の中川の家への方違えをすすめます。
京都の夏をクーラー無しで過ごすなんて、昔は大変ですよね。源氏の君は「なやまし」といってバテていますが、「なやまし」という語句は、古語では主に肉体的に不調であることを表します。現代語では、主に心理的に不調であることを表すので、古語と現代語で意味が変わっています。
お仕えしている源氏の君の仰せとあらば、紀伊守は断るわけにはいきません。承知したものの「父の伊予守朝臣の家は物忌み中でして、女たちが移ってきております。狭い家でございますので、失礼があっては」(伊予守朝臣の家につつしむことはべりて、女房なむまかり移れるころにて、狭き所にはべれば、なめげなることやはべらむ)と困りきっていますが、それを伝え聞いた源氏の君は「その、女たちがたくさんいるのがうれしいのだ。女のいない旅寝はなんとなく恐ろしい気持ちになるにちがいない、その人たちの几帳の後ろでいい」(その人近からむなむうれしかるべき。女遠き旅寝はもの恐ろしき心地すべきを、ただその几帳の|背後《うしろ》に)と、がぜん乗り気になりました。おや、まあ。
紀伊守の中川の家
左大臣にも告げずに、さっそく紀伊守の中川の家に向かいます。下の絵、中央の緑色の着物を着ているのが、紀伊守。『え、もう来たの?準備できてないよ』と困惑していますが、だれも聞いてなどくれません。左下に少し見えているのが、源氏の君が乗っている牛車でしょうか。
下の地図で、黄色い印をつけたところが、かつて「中川」とよばれていた場所です。現在の京都御所のすぐそばですが、平安時代の内裏は、現在の二条城の北にあったので、職場(内裏)からはすこし離れています。
現代の中川のあたり。
盛安本源氏物語絵巻の特徴の一つは、庭の描写が巧みなことです。中川の家の庭もなかなか良いですね。この絵の場面を紹介します。
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寝殿の東面をあけて、仮のお座所をととのえさせた。遣水の様子など、なるほど風流にこしらえている。田舎家ふうの柴垣を造って、庭の植物なども気を配って植えている。風が涼しく通り、どこからか虫の声々が聞こえ、蛍がたくさん飛び交って、とても趣きがある。
人々は、渡殿の下から湧いている泉をながめながら酒を飲む。あるじの紀伊守も酒の肴をふるまうために動き回っている。源氏の君はのんびりとあたりを見回し、雨夜の品定めで「中の品」と特に話題にしていたのは、こんな家のことだろうなと思い出しておられる。
伊予守の北の方=紀伊守の継母
暑くて動きたくないと言っていた源氏の君が、いそいそと紀伊守の中川の家に方違えに出かけたわけは、おそらく紀伊守が、父の伊予守の家が物忌みのため女たちが来ていると言ったからでしょう。物忌み中は潔斎しなくてはならないので、女性は外に出されるのでしょうか。
源氏の君は、亡き右衛門督に娘がいて、入内させようとしていたことを、父の桐壺帝から聞いていました。帝に入内させたいというからには、さぞかし美しく、教養のある娘なのだろうと、当然、想像します。ただ、残念なことに入内前に右衛門督は亡くなり、その娘はかなり年上の伊予守の後妻になりました。その、右衛門督の娘、今では伊予守の北の方(空蝉)で紀伊守の継母が、中川の家に来ていると聞けば、そりゃ行くでしょうね。
右衛門督の末子、小君も、姉の空蝉の縁で紀伊守の邸で暮らしていました。源氏の君はこの小君を、空蝉との連絡役にしますが、それはもう少しあとのお話。
光源氏が隣にいる♥♥♥
紀伊守は寝殿の東面を源氏の君の御座所にしましたが、障子をへだてた西面には伊予守の家の女たちがいます。紀伊守が知らせて、西面に移ったのでしょうから、女たちは源氏の君が隣にいると知っています。その様子を読んでみましょう。
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入内を考えているなどと聞いていた娘なので、心ひかれて、耳をすましていらっしゃると、西面に人の気配がする。衣ずれの音がはらはらとして、若い女房たちの声が好ましいが、それでもやはり、くすくすと忍び笑いなどをしている様子は、どうもわざとらしい。
女たちは格子を上げたままにしていたが、紀伊守が「わきまえなさい」と機嫌を悪くして、格子を下ろした。灯をともした透き影が障子の上の方から漏れているので、源氏の君はそっと近寄って、見えるだろうかとお思いになるけれど、隙間もないので、しばらく耳をすませていらっしゃると、女たちは障子の向こうの母屋に集まっているようだ。口々に小声で話していることばをお聞きになると、自分の噂話をしているようだ。
女たちが、同じ家に源氏の君が来たことにとても興奮している様子が伝わってきます。
夜になると上の格子は下げるものですが、源氏の君の姿を一目みたいと思うのか、せめて気配だけでも感じたいと思うのか、格子を上げたままにしていました。けれど、無粋な紀伊守に言われて、格子を下げました。「ちえっ」と舌打ちぐらいしたかもね。
格子を下げたから聞こえないと思ったのか、源氏の君の噂話をはじめる女たち。「とても真面目で、まだお若いのに高貴な北の方がいらっしゃるのは残念」「でも適当に遊んでいらっしゃるみたいよ」などと、源氏の君が聞いているとも知らずに、おしゃべりを続けます。
続きは(書けるけど)書けないっ
この人たちの女主人、空蝉が、心ならずも、源氏と一度目の逢瀬をとげてしまった顛末は第三図、第四図に描かれています。
これらの絵は、源氏物語の本文に忠実に描かれています。実際は暗闇のなかの出来事でしたが。
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