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【対談】國分功一郎×若林正恭「やっとみんな疲れてきた」(『文學界』2025年1月号)

☆mediopos3676(2024.12.12.)

國分功一郎と若林正恭の一年ぶりの対談
(『文學界』2025年1月号)
「やっとみんな疲れてきた」から

「金融資本主義」的な
すべてを効率的な目的・手段にしてしまう
そんな流れのなかで
「みんな疲れてきた」ことをめぐる話

若林はSNSで
「太宰治の小説なんてなんで読むんだ」という論争があり
「メンヘラの話を聞く時間無駄だからって、
太宰がメンヘラって言われちゃってる」ことを知り
「もういよいよだな」と思う

ちなみにメンヘラとは
精神疾患を抱えている人を指す俗語で
もとはネットスラングだったものが一般化して
使われるようになっている言葉

國分はこの対談の前に
『目的への抵抗』の続編となる著書を脱稿したところで

今の経済で「金融資本主義」と呼ばれているものは
「アディクションと論理が一緒」で
薬物依存・ギャンブル依存・ゲーム依存のような
依存症にほかならないから

そうした手段と目的と化したありように「何とか抗い」
「目的・手段から自由になる」「楽しむこと」を
大事にする必要があるという

また若林は「最近、勝とうとするような
自己啓発本が売れなくなってきたと感じていて、
やっとみんな疲れてきたのかなとも思っている」
「本屋で平積みされているビジネス書を見ていると、
ここ1、2年で燃え尽き症候群、バーンアウト、
ウェルビーイングっていうタイトルが増えてきた」という

芸人の世界でも
「テレビでゴールデン番組に出たいという感覚」は
すでに前時代的であり
後輩から「テレビ疲れますね」
「何が楽しいんですか」とか言われるのだそうだ

「メタる」という言葉が
芸人の世界でキーワードとなっていて
「メタる」つまり「斜め」になっている視点が古くなり
「メタのメタがベタになって」いて
「夢中になって楽しい時間が、めちゃくちゃ尊」く
「メタる」はなくなってきている
おそらく「メタる」と疲れてしまうからなのだろう

國分も「今の若者は素直で真面目であると同時に、
これもいいかわるいかは別ですけれども、
金融資本主義の精神になんとか適応して、
その中で生き残る術を知っている人が少なくない」けれど
「金融資本主義に心までは売り渡していない感じがある」
という

つまり過剰適応することで疲れていることを感じている

そして若林は
「金融資本主義は止まらず、みんなが疲れていく。
やっぱり「疲れた」って言うの、
大事なのかもしれないですね。」と言い
國分もまた
「これからは、みんなでため息をついて、
「疲れた」って言い続けるべきだと思う。」と言う

しかし疲れてしまって
みんながじぶんで考えることさえできなくなった社会は
「民主主義が死んで、面倒くさいから誰かやってくれっていう、
独裁制が望まれる社会」にもなりかねず
ChatGPTのような生成AIに代わって考えてもらうような
世界にもなりかねないところがある

対談の最後には
若林から「お気持ち表明」の話が出ている

「ディスる意味で、とにかくネット上で
お気持ちを表明することが、
何やってんのってことになっているらしい」
「お気持ちを聞くのがコストになると、
どこでお気持ち表明すればいいのか」と問いかけ

國分も「今は身近な人間数名で集まって、
わいわいがやがややすることがなさ過ぎなんじゃないか」
と言っているのだが

真面目ですべてが手段と目的と化しているなかで
若者たちはそれこそ無目的で笑い合うような
そんな「感情」がスポイルされているということだろう

若者たちはかつての時代のような
「バカ」ができなくなっている・・・

その話から
かなり前の話ではあるが
ビートたけしが出演した
日清のカップヌードルの「バカやろう」CMが
すぐに放送中止になったことを思い出した

「バカやろう」が許されなくなって
表向きではだせなくなっている「バカ」は
別のかたちで表出せざるをえなくなったりもする

真面目を貫きすぎると
心を病み疲れ果ててしまうのだ

おそらくそのことから
たとえばたくましい若い芸人たちは
「地上波テレビに消費されないように、
結構早めから事務所に文句を言う」ようになっているという

選挙報道などでも極めて偏向し
批判を受けるようになってきているテレビメディアは
今後お笑いの世界の若い芸人たちからも
ますます見放されていくことになりそうである

とにかく疲れすぎないためには
目的・手段から離れていかに楽しむかである
「バカやろう」ができるように

■【対談】國分功一郎×若林正恭「やっとみんな疲れてきた」
 (『文學界』2025年1月号)

「テレビって疲れる?『地面師たち』はみなきゃダメ?
 自己啓発本にも疲れが見え始めた世界で
 全てが目的・手段にならないために、どうするべきか。
 二人の一年振り、四回目の対話。」

*「若林/この間、SNSで「太宰治の小説なんてなんで読むんだ」という論争が起こったらしくて、もういよいよだなと思いました。読んでも役に立たない、メンヘラの話を聞く時間無駄だからって、太宰がメンヘラって言われちゃってる。

 國分/太宰がメンヘラと言われたら、確かに反論できないですね(笑)。実は僕、昨日ちょうど次の本の主要部分を脱稿したんですが、それが偶然、そういう内容なんです。『目的への抵抗』の続編なんですけど、手段っていう概念を少し批判的に考察しています。今の社会って何でも何かのための手段として考えるじゃないですか。今の話も、小説を手段にしている。なんの役にも立たないから読む必要がないと。でもそんなこと言ったら、日本近代文学なんてろくでもない人の人生の話ばっかりですよ。

 若林/今の時代から見ると、みんなアウトローですよね。効率って、手段と目的のことですもんね。鬼の首取ったように、効率重視のスタンスを取ってる人が強い。

 國分/そこに何とか抗いたいと思っています。僕が目的・手段に対立させているのは、楽しむことです。楽しむことっていうのは、目的がないんですよね。(・・・)目的・手段から自由になる瞬間が、目的の中で生きてるわれわれ大人の中にもぽっと出てくるときがあります。それを大事にしないと、全部が目的・手段になってしまう。」

・「疲れた」と言う

*「國分/僕がなんで目的・手段の話に関心を持ったかというと、依存症の問題への関心からなんです。かなりデリケートな話になりますが、違法薬物って目的と手段の固まりなんですよね。薬なんだから、治療や症状の軽減といった目的のための手段であって、それを味わうということはありえない。お酒もアルコール依存症をもたらしうるけれども、味わうことができるし、多くの人が味わっている。
 でも薬になると味わいはありえない。たとえば苦しみから逃れるという目的の手段以外のものではありえない。だから生活のあらゆる側面を目的と手段で捉えていった先にあるのは、違法薬物みたいな世界なんです。それでいいのかと。この酒うまいなとか、このたばこうめえなとか、太宰くだらねねえけど面白れえなとか、そういうのがなくなる世界は恐ろしいと思うんですよね。
 そこに繋がるんですが、最近、鈴木直先生の『アディクションと金融資本主義の精神』(みすず書房)という本を読みました。去年出たんですけど、アディクションというのは依存症ですね。薬物依存とか、ギャンブル依存、ゲーム依存。「ゲーム障害」はWHOの国際疾病分類「ICD-11」にも追加された。

 若林/いまゲーム依存は深刻ですよね。海外でネットゲームをご飯も食べずに続けて、死んじゃった人がいると聞いたことがあります。

 國分/今の経済は〝金融資本主義〟と呼ばれているものですが、このアディクションと論理が一緒であると。(・・・)猛スピードで何事も進んでいく、経済体制のせわしなさが、ひいては僕らの日常生活も引っ張っていると言えるんじゃないかと思うんです。

 若林/面白いですね、読んでみたいです。資本主義で言うと、最近、勝とうとするような自己啓発本が売れなくなってきたと感じていて、やっとみんな疲れてきたのかなとも思っているんです。本屋で平積みされているビジネス書を見ていると、ここ1、2年で燃え尽き症候群、バーンアウト、ウェルビーイングっていうタイトルが増えてきた。

 國分/グルメ特集やった後に、ダイエット特集やるみたいな話ですね(笑)。」

「若林/疲れているっていうのは、芸人の間でも感じます。僕たちの世代は、やっぱりテレビでゴールデン番組に出たいという感覚なんですけど、それはもう前時代的。後輩と飲むと、「テレビ疲れますね」「何が楽しいんですか」とか言われるんですよ。それは面白い傾向だなと思います。でも、それとは別で、金融資本主義のほうは大いなる流れだから止まらなそうですよね。お金はずっと働けるけど、人間はそんなに頑張ったって勝てねえじゃんと気づいて、そういう答え合わせが始まっている雰囲気を平積みに感じるんです。

 國分/人間には限界がありまるからね。猛烈に自己啓発して、ドーピングして働かせたら、当然バーンアウトしてしまう。そうなっても、人はどんどん代えていっちゃえばいい。機械も昔は恐れられていたわけですが、機械は使っていたら壊れるし、修理も必要。でも、資本主義って仕組みでしかないから、もう止められない。もし止めるとなったら、法律を作るとか、人為的に止めるしかないと思います。」

「國分/フランスだと、フリーの役者は仕事と仕事の空き時間、国からお金を貰えるんですよ。失業手当みたいな。だから、それがカットされそうになるとみんなで集まって声を上げる。別に若林さんをたきつけるわけじゃないんですけど、このあまりにも忙しい世の中で、芸能、訳者の人も、自分たちの身を守るための団体があってもいいと僕は思う。

 若林/確かにそうですよね。ちょっとだけ、そういう流れがありになるような雰囲気もあります。みんな疲れてますから、今はだんだん「疲れた」って言い始めている感じなのかなと。

 國分/みんなで「疲れた、疲れた」って言い続けたらいい。「あー、疲れた」って。」

・「メタ」る

*「國分/学問の場では学生は素直ですね。昔より素直。今のほうが、「何となく哲学に関心があるんです」という子が多くて、僕はそれがいいと思っています。昔のほうが、もうちょっと斜に構えていたかもしれない。

 若林/僕らの世代だと「哲学を学ぶ俺」っていう客観的な自分を内包している感じがあったけど、今はちょっと楽しい、勉強してみたいってなっているんですね。

 國分/多分、「哲学をやっている俺」みたいなメタ視線を、彼らは経験し過ぎているんですよ。ネットを通じて。「メタる」という言葉さえある。だから、もうそんなことはどうでもよくて、自分の関心に向きあう素直さがあると思います。

 あと、真面目。(・・・)

 昔は授業をやっていようがやっていまいが、とにかくわさわさ人はいたんだけど、今の学生は全員授業に出る。僕らの頃は、授業にひとつも出席しなくても卒業できたんですけど。今は同じ単位数で全部の授業に出ないと卒業できない。何十倍にも大変になっているわけですね。だからきついと思うな、今の若い人たちは。

 若林/「メタる」って言葉、芸人の世界でもキーワードなんです。例えば商店街のグルメや大涌谷のたまごを食べるロケで、斜に構えて、「これそんなにいいっすか」って角度でやっていたのが、もう古い、となっているんです。それもう見たことあるから、メタの感じをやめてって。そうなると、一生懸命食べて、「おいしい」って言う。つまり、芸人がただただ箱根を楽しんでる、ちゃんとしたロケになってるんですよ。斜めがいない。「これそんなにいい?」って言うのが古いから。普通の楽しいテレビになる、でいいんだよね? と、メタのメタがベタになっていると思います。だからより、夢中になって楽しい時間が、めちゃくちゃ尊い。國分先生の本にも書いてありますけど、葉巻を吸ってる時間がそれでしかない、そこに「メタる」はない。

 國分/楽しい時間は本当に貴重なんですよね。そして今の若者は素直で真面目であると同時に、これもいいかわるいかは別ですけれども、金融資本主義の精神になんとか適応して、その中で生き残る術を知っている人が少なくないと思います。これは僕の希望的観測かもしれないけど、金融資本主義に心までは売り渡していない感じがある。
 とはいえ、適応はしているんだから、やっぱり疲れちゃうんじゃないかなとも思いますけどね。」

・「『地面師たち』見た?」

*「國分/もう一冊、最近読んで面白かったのが、柴崎友香さんの『あらゆることは今起こる』という本です。自分のADHD体験を書いた本なんですが、そこで自己啓発について面白い言い方をしていて、自己啓発とは要するに、世界も他人も変えられないから自分の心持ちを変えようという方向性である、と。
 自分の心持ちを変えることで全てを切り抜けようとする、そんなの限界があるに決まってるじゃないですか。だって金融資本主義の精神で働いている世界がおかしいんだから、すぐには変えられないけど、変えようとしていくべき。相手が嫌なことしてくるんだったら、「やめてもらえますか」とか、「こんなに働かせないでもらえますか」とか言うべきなのに、何もしないで自分の心持ちだけ変えるっていうのが自己啓発の方向性なんですよ。」

{若林/僕らの業界だからかもしれないんですけど、最新のエンタメ、例えばNetflixの話題になたドラマの「『地面師たち』見た?」みたいな話をすると、「まだ見れてないのよ」って言い方をするんですよ。見てないことが悪みたいになる。「見なきゃ駄目だよね」ってみんなが言うんです。なんで見なきゃいけないと思うのかと言うと、資本主義の中でメリットがあるからですよね。最新のエンタメで感覚を鋭敏にしとかなきゃいけないと、みんなが思っている。本当になんなのかなって思うときもありますが、金融資本主義は止まらず、みんなが疲れていく。やっぱり「疲れた」って言うの、大事なのかもしれないですね。

 國分/絶対大事だと思う。これからは、みんなでため息をついて、「疲れた」って言い続けるべきだと思う。」

・ChatGPTと話す

*「若林/いまは、考えるっていうこと自体が可処分時間を取られるものだと思われているような気がします。それこそ選挙の候補者について考えてる時間がないから、TikTokでバズった一言で若者にハックしていくことも一つの戦略になっちゃう。僕も生成AIに「石丸伸二さんってなんで若者に人気あるの?」って聞いてました。そうしたらネットをうまく使ったとか答えてくれる。自分の考え方より、誰かの考え方をチョイスしていくセンスが問われている気がして、それは結構怖い流れだと感じます。」

「國分/あんまり重労働ばっかりしていたら民主主義はできないですよ。疲れたら考えられないし、調べられないから。だから、みんなが疲れたってなってる社会は、もう民主主義が死んで、面倒くさいから誰かやってくれっていう、独裁制が望まれる社会なんですよね。」

・お気持ち表明

*「若林/いま「お気持ち表明」っていう言葉があるんですよね。ディスる意味で、とにかくネット上でお気持ちを表明することが、何やってんのってことになっているらしい。お気持ちには情報性がないじゃないですか。こういうの面白いよ、とかは情報になるけれど。でもお気持ちを聞くのがコストになると、どこでお気持ち表明すればいいのか。

 國分/「お気持ち表明」という言葉、初めて知りました。今は身近な人間数名で集まって、わいわいがやがややすることがなさ過ぎなんじゃないかと思うんですよ。若い人に「とにかく飲み会をやって、人の悪口たくさん言ったほうがいいよ」ってよく言ってます。「そうじゃないとネットで書きたくなるだろ」って。」

「若林/深夜のフェミレスって本当になくなりましたよね。深夜営業している店舗がめちゃくちゃ減ってる。みんなLINEでしゃべるから、会ってしゃべらなくなったと。深夜のファミレスなんて意見と気持ちしかないですもんね。僕はそればっかりやってきたラジオで飯食ってる人間なんすよ。だから、お気持ちをラジオで言わないって、そのラジオなんだと思っちゃうんですけど。

 一方で、若い芸人たちのたくましさも感じています。売れ方が多様化して、YouTubeをやって人気になって、漫才やコントで食べられるという状況もあり得る。「地上波テレビの仕事が増えてスケジュール圧迫する生活って、幸せじゃないですよね?」とか聞いてくるんですよ。それに対して、「いやいいもんだよ」と言えない自分もいることに気付かされる。若い子は地上波テレビに消費されないように、結構早めから事務所に文句を言うんですよね。これじゃ漫才でお客さんと、それこそ無目的に笑い合いたいのにできないですよね、ってちゃんと言う。消費されないようにすることも、最初かから学んでいる。だからたくましいし、頼もしくもあります。

 國分/この後、何かを作っていく世代の人たちかもしれないですね。僕らの世代がそういうことしなきゃいけなかったと思ってるんだけど、できなかったという敗北感もあります。でも、次の世代の人たちが作っていくのをきちんと応援していきたいし、とにかく老害になって邪魔するのだけは絶対嫌だと思ってますね。僕もまだ頑張りたいですけど。」

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