西村紗知「成熟と◯◯ 新連第一回 江藤淳ブームなんて知らない(1)弁明編」(文學界)/江藤淳『成熟と喪失 “母”の崩壊』
☆mediopos2980 2023.1.14
「我々若い世代」と自称する
(『すばる』二〇二一年二月号で
「椎名林檎における母性の問題」で登場した)
西村紗知という九〇年生まれの批評家が
『文學界』二〇二三年二月号で
江藤淳の『成熟と喪失』をとりあげている
最近「江藤淳が人気」なのだというが
「江藤淳論は等閑視されて」しまうのだという
「さまざまな「江藤淳論」により、江藤淳は批判され、
解体され、文脈をずらされ、だがその度に生まれ直した」が
「我々若い世代にとっての江藤淳は、
もはや原形を留めていないはずだ」というのだ
そして「「成熟と喪失」はやっぱりよくわからない」そうだ
今回この連載記事をとりあげてみたのは
その「よくわからない」というところから
今後九〇年生まれの批評家が
なにを問いかけてくるかに興味があったからだ
『成熟と喪失』が刊行されたのは一九六七年
そして講談社文芸文庫には
そのほぼ三十年後の一九九三年に収められ
さらにいえば今年はその三十年後にあたる
ぼくにとっても江藤淳を読んでみるようになったのは
『成熟と喪失』が文庫化された三十年前で
その頃でもすでにそのテーマについては
上野千鶴子がその文庫の解説で書いているように
(そのフェミニズムに引きつけすぎた論点はともかくとして)
「だれからも及びでない「父の回復」など、曳かれ者の小唄か、
ひとりよがりの猿芝居にしかならない。
それどころか、九〇年代の息子たちは、
もう「父」になろうなどと思いもせず、
娘たちの方は「受苦する母」など
とっくのむかしに選択肢の中にない」
という感じで理解していたところがあるのだが
そうとばかりはいえそうもないところもある
そこから三十年がすでに経っている
その間に江藤淳も
また保守系の論客だった西部邁も自死を遂げている
ある意味それは「喪失」の象徴だったのかもしれない
西村紗知の言葉にはどこか舌っ足らずなところも感じられるが
むしろその率直な言葉によってしか
見えてこない光と闇の側面もあるのかもしれない
この連載では「喪失」のほうは外して
「成熟」について見ていくのだというが
若い世代にとって「成熟」がどのようにとらえられているのか
そこで何が論じられていくのか少しばかり期待している
おそらくぼくのような世代には見えていない側面も
見えてくることになるのかもしれないから
■西村紗知「成熟と◯◯ 新連第一回 江藤淳ブームなんて知らない(1)弁明編」
(文學界 2023年2月号 文藝春秋 所収)
■江藤淳『成熟と喪失 “母”の崩壊』
(講談社文芸文庫 講談社 1993/10)
(西村紗知「成熟と◯◯)より)
「私にとって「なぜ最近、江藤淳が人気なのか?」という問いは、「ではなぜ江藤淳論は等閑視されてしまうのか?」という問いかけに他ならないのである。元のテクストの意味内容とこれがどう読まれたかということとの区別があまりつかないなら、我々若い世代に江藤淳を読むことはほとんど不可能だと言わざるを得ないだろう。この不可能性を自覚するか否かは、絶対に大事だと思う。というより何を不可能と思うかが、自ずと書き手の立場を規定していくものだと思う。
江藤淳がどのように論じられ、再評価されてきたか。それは、「涙なしには読めなかった」と評し華麗に江藤のテクストの内容からフェミニズムのための問題設定を抽出し定式化した上野千鶴子の仕事や、カッコ付きの「ポストモダン」(というよりほとんど浅田彰)に対する論駁のための方法論のリソースとした大塚英志の仕事もあり、そして、多分にバッドバイブズな論調の(特に「序にかえて」)宇野常寛『母性のディストピア』が「父」と「母」の問題圏からの離脱を直接志していた、といった具合だろうか。しかしそもそも彼らの仕事は傍流と言えば傍流であり(その中では「政治と文学」の問題に真っ向から立ち向かった宇野の仕事が一番江藤のフォロワーらしいと言えるのだろうか)、江藤淳が保守論客において神格化されていった過程からは距離がある。」
「江藤淳を再評価することのうちには、それぞれの論客の戦略の方向性があり、それは江藤淳の仕事を自己崩壊へと導くようなところもあり、そこにこそスリリングな緊張関係があるものだ。それは実に批評的な瞬間だったりもするのだが、筆者が言いたいのは、我々若い世代が江藤淳の元々の姿を掴み取れなくなっているという事態から察するに、江藤淳のテクストとは関係のない場合においても、批評的な瞬間をものにすること自体が難しくなっているのではないか、ということなのである。」
「さまざまな「江藤淳論」により、江藤淳は批判され、解体され、文脈をずらされ、だがその度に生まれ直した。我々若い世代にとっての江藤淳は、もはや原形を留めていないはずだ。(・・・)
『成熟と喪失』を何の屈託もなく素直な気持ちで読めば、やっぱり対米従属は良くないと、いきり立った気持ちにでもなろうものだろうが、もはや若い世代には、対米従属以外の現実が想像できないこともあって、そうやって素直に読むことはできないだろう。」
「ところで、本連載で私は何をしよう。(・・・)
タイトルは「成熟と○○」とした。(・・・)過去の江藤淳論を読み漁ったが、「成熟」にせよ「喪失」にせよ、どちらも一筋縄ではいかないので、考えあぐねている。だが一端「喪失」の方は外した。(・・・)
考えあぐねているのは、個々の概念のレベルでも、対概念の次元でも、「成熟と喪失」はやっぱりよくわからないからなのである。」
(江藤淳『成熟と喪失 “母”の崩壊』より)
「あるいは「父」に権威を賦与するものはすでに存在せず。人はあたかも「父」であるかのように生きるほかないのかも知れない。彼は露出された孤独な「個人」であるにすぎず、その前から実在は遠ざかり、「他者」と共有される沈黙の言葉の体系は崩壊しつくしているのかも知れない。彼はいつも自分がひとりで立っていることに、あるいはどこにも自分を保護してくれる「母」が存在し得ないことに怯えつづけなければならないのかも知れない。だが近代のもたらしたこの状態をわれわれがはっきりと見定めることができ、「個人」であることを余儀なくされている自分の姿を直視できるようになったとき、あるいはわれわれははじめて、「小説」というものを書かざるを得なくなるのかも知れない。
それは現代の通念に合わせて切りとられた才気ある物語のことではない。遠ざかった実在を虚空のなかに奪いかえし、「他者」と共有され得る言葉をさがしあて、要するに「幻」と化しつつある世界を言葉のなかにとらえ直すような試みである。作家は、「恐怖」や喪失感や渇望にかられて、おそらくこのような作業を試みざるを得ない方向に追いこまれて行くにちがいない。もし彼が知的意匠の考案者や怠惰な概念家や時間つぶしお読み物作者たることをいさぎよしとしないならば、そのときおそらく、夏目漱石が『明暗』で投げかけた問題に応え得る作家、その作家を見ることが社会の生活者にとって奇妙な恥ずかしさを感じさせない作家を、われわれは迎えることになるのかも知れない。」
(江藤淳『成熟と喪失 “母”の崩壊』〜「上野千鶴子 解説『成熟と喪失』から三十年」より)
「江藤もまた二年間の北米体験ののちに、あたかも日本文化における「父」の欠落を新発見したかのように、息せいて『成熟と喪失』を書き上げ、その後『夜の紅茶』という珠玉のエッセイ集を小休止してから、『一族再会』という自己のルーツ探しに向かう。それは一言で言って、「治者」へ向かう道である。
ここにおいて、『夏目漱石』以来の江藤淳の一貫した主題が、あらわになる。それは、「近代」に根こそぎにされた日本が、どうやって自己を回復するか、という明治以来のあの見慣れた知識人の課題である。江藤は『夏目漱石』で「天」の喪失を嘆き、江藤の同時代人、山崎正和は、森鴎外を題材に「不機嫌な家長」を論じる。彼等にとって明治以来の日本の知識人の闘いは、「家長」になろうとしてなりそこねた歴史なのだ。
だが、「治者」といい、「家長」といい、男性知識人にとって、その自己回復の道が、いつも「父」になり急ぐことなのは、なぜだろう。男性知識人、とあえて言おう。男が「父」になり急ぐとき、女はどこにいるのか。「ふがいない息子」が「しっかりした父」になりさえすれば、時子の問題は解決したのだろうか。男が「治者」を目指すとき、女は安心した「被治者」になればよいのか。それはフロイトによる「ヒステリーの女」の「治療」に似ている。「近代」が女を自己嫌悪させるしくみを、あれほど正確に見抜く江藤が、それを「解決」と考えるわけがない。「母の崩壊」を「父の欠落」に置き換える問題のたて方には何かしら問題の転倒、そうでなければ巧妙な回避があるように思われる。
男が「治者」になるとき、女も同様に「治者」をめざそうとしたのがフェミニズムだという誤解があるが、もしそうだとしたら、フェミニズムは最初から「近代」の仕掛けた罠にはまっていることになる。あたりまえのことだが、すべての者が「治者」になることは、定義上、不可能である。全員が「治者」になったとき、「被治者」はどこにもいなくなるからである。男が「治者」を目指そうとするとき、女はもう「治者」を求めてはいない。男が「治者」になったとき、振り返ってみれば自分に従うものがだれひとりいなかった、という逆説が、「父」になる急ぐ男たちを待っている運命である。「だれもあんたに、『父』になってくれなんて、頼んだ覚えはないわよ」と、九〇年代の時子は言うだろう。「『治者』の不幸」を引き受けようという男の悲愴な覚悟は、そこではひとりよがりの喜劇に転落する。
西部の保守主義が、アイロニーに満ちているのは、彼が「誰からも頼まれた覚えのない」「父」の役割を、勝手に演じているという諧謔を自覚しているからである。」
「江藤がえぐった「母の崩壊」は、「父の欠落」のような擬似問題に置き換えられないまま、そこに残っている。超越的な倫理の不在は、「父性原理」が「母性原理」にとってかわられたせいで起きたわけではない。超越への契機は、「母性原理」のなかにも内在している。フロイトの「エディプス・コンプレックス」に対して、フロイトのもとで学んだ日本人の分析家たちは、戦前から、「アジャセ・コンプレックス」、つまり「罰する父」ではなく「苦しむ母」の物語を想起してきた。日本人は「母性社会」のなかで、「超自我」の形成を阻害されたまま聖人するという西欧中心的な日本文化論に対して、彼らは子供の失敗を自罰する「苦しむ母」の存在によっても、超越的な規範の形成は可能だと論じた。だが、六〇年代を通じて女に起きた変貌を『家庭の甦りのために————ホームドラマ論』のなかで論じる佐藤忠男は、「母の崩壊」は、この「受苦する母」の崩壊だと、もっと恐ろしい宣告をつきつける。」
「「母の崩壊」は、非可逆的な文明史の過程である。「父の回復」をおこなっても、「母の崩壊」が食い止められるわけではない。だれからも及びでない「父の回復」など、曳かれ者の小唄か、ひとりよがりの猿芝居にしかならない。それどころか、九〇年代の息子たちは、もう「父」になろうなどと思いもせず、娘たちの方は「受苦する母」などとっくのむかしに選択肢の中にない。女を「神経症」のなかに封じ込める「近代」に、フェミニズムは当然の呪詛の声をあげたが、ポストフェミニズムの女たちは、山﨑浩一の『男女論』によれば、「すでに性的主体となる意思も能力も備わっているにもかかわらず、このままでは性的主体からおりた男たちにどこまでもつけこまれることをよく知っているために、あえて主体を引き受けようよしない」状況にある。こんな社会のなかでは、漱石以来の「成熟」の課題など、誰も意に介さないようにみえる。
それが男も女ものぞんだ「近代」の帰結だったと、日本人はみずからのぞんだものを手にいれたのだと、江藤は苦い覚醒の意識で言うだろうか。『成熟と喪失』から三十年近く経った今日、江藤に聞いてみたい気がする。」