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阿部公彦「事務に狂う人々 1、漱石と大日本事務帝国」 /阿部公彦『病んだ言葉 癒やす言葉 生きる言葉』

☆mediopos2758  2022.6.6

意外なテーマの連載が始まっている
そのテーマは「事務」

たかが事務
されど事務
とでもお決まりのような表現もできるだろうように
事務はひとくくりにしてとらえることができない

著者はmediopos-2579(2021.12.8)でもご紹介した
阿部公彦氏でその著書のなかにも
「森鴎外と事務能力」という
「事務」に関する文章があったりしたので
そうした関連からの展開かもしれない

「事務」といえば引用にも書かれているように
「ブルシット」=「クソどうでもいい」として
見ることもできる側面は否定できないが
事務なくしては何事も進んでいかないのも確かである

興味深い例が紹介されている

当時多忙だったロラン・バルトが
「事務仕事」への参画を引き受け
大いに活躍していたという話だ

もちろんバルトの引き受けた仕事は
ブルシット・ジョブではない
必要不可欠な事務仕事だ

ロラン・バルトは
「ジャーナリスティックな軽快さや瞬発力」でも
目立った存在だったが
そういったパフォーマンス的に見える側面も
研究面もふくめた「事務」的な能力に裏支えされていて
その重要性を認識していたからこそ
「研究職にある人にとってはいわゆる「雑務」にあたる
「事務仕事」を引き受けたのだろう

逆にいえばそうした事務仕事の必要性を理解せず
みずからにその能力がないとき
確かな基礎をもった研究は成立しないということででもある

日本で事務仕事を事としたはじめての人たちは
明治維新で仕事を失った士族だという
「武」を奪われた士族は「武」にかわって
「学」をたのみにするようになったのだという

江戸時代には大きな戦乱とかはなかったので
「武」とはいえ士族たちの仕事は
行政における事務仕事が主だったため
その移行はとくに困難なものではなかったようだ
しかし士族ゆえその事務は多分に「官僚的」でもあった
そしてそこにもおそらくいわゆる必要不可欠な側面と
ブルシット・ジョブ的な側面があったのだろう

興味深いのはそうしたなかで生み出されてきた
「事務の文化」「事務らしさ」を
明らかにしてきたのが文学作品だということだ

漱石や鴎外の例も引かれているが
鴎外の例でいえばその『渋江抽斎』は主に
「公文書や事務文書に書き込まれる個人名」といった
「古い文書の処理作業」によってでできている
そこには「生命の息吹に満ちた豊穣な〝文学の世界〟」はない

その意味で「文学の端緒は、
文学からはるか遠いと思える筆写という事務作業や、
その産物としての無機的な事務文書にこそ潜んでいる」
というのである

文学作品のすべてが事務作業からできているというのではないが
テーマによればそうした「事務作業」なくしては
成立しえない作品がある

もともと明治期において本格的に文学作品などに関わる人間は
もと「士族」だった「事務能力」の高いひとたちだったようだ

もちろん現代における「事務」を
そうした観点でとらえても意味を持たない側面はあるが
「事務」という観点から見えてくる意外な側面もあり
この連載が今後どんな展開をみせるか面白そうだ

■阿部公彦「事務に狂う人々 1、漱石と大日本事務帝国」
 (群像 2022年 06 月号 講談社 2022/5 所収)
■阿部公彦『病んだ言葉 癒やす言葉 生きる言葉』
 (青土社 2021/11)

(阿部公彦「事務に狂う人々」より)

「事務。どこか冴えない響きである。くすんで、目立たず、ときには陰鬱でさえある。しかし、現実には事務ほど私たちの生活と深くかかわるものはない。
(・・・)
 事務は(・・・)人間にまとわりつき、その手足を縛り、ときにイライラさせたり、怒らせたり、絶望させたり。しかし、奇妙なことに私たちは一方で事務を疎んじつつも、その実、それほど嫌いでもない。この連載で注目したいのはそこである。私たちは事務処理を呪い、イヤだ、面倒だ、と嘆くわりに、密かにその魅力に取り憑かれてもきた。事務に惹かれ、引き込まれ、酔いさえする。実に奇妙である。」

「「事務」という概念について私たちがどのような固定観念を持っているかを示すエピソードを一つ紹介しよう。ロラン・バルトが自動車事故で亡くなったのは一九八〇年のことだった。若くして評論家として名をはせたバルトは、コレージュ・ド・フランスの教授を務めるなど公の仕事もこなしていたが、何といっても彼の持ち味は『零度のエクリチュール』に始まる鋭くも柔軟な視点から繰り出される文筆活動であり、彼が選択するテーマにはジャーナリスティックな軽快さや瞬発力も目についた。
 そんなバルトの早すぎる死は大きなショックを引き起こしたが、死後ほどなくしてバルト特集を組んだ『コミュニカシオン』誌に、ある興味深い追悼文が載った。執筆者はジャック・ル・ゴッフ。高名な中世史家である。ル・ゴッフは長らく高等研究計実習院の第六部門の校長を務めていたが、在職中は数人のメンバーからなる委員会を組織し、学校の実務にあたる必要があった。大学の細々とした制度の運営は、研究職にある人にとってはいわゆる「雑務」、すなわち「事務仕事」だ。
 ル・ゴッフはバルトにこの委員会への参画を依頼することにした。アカデミズム全体、フランス全体を見わたすような視野を持った人物が一人欲しいと思ったからである。しかし、「ダメ元」の気持ちでもあったという。執筆で忙しいバルトが、細々した雑用の多いこのような職務を引き受けてくれるわけがないとも思った。
 ところが、驚くべきことにバルトは委員に就任してくれたばかりか、実務的な面でもおおいに活躍しれくれたという。学生の研究計画書の確認、大学の組織改編の準備、労働組合の代表との交渉などにもきちんと対応してくれたし、毎週の委員会の議事録にもしっかり目を通し、文言やパンチュエーションの修正にまで目を光らせたという。

 あのバルトが! というのがル・ゴッフの追悼文の趣旨であり、またこの追悼文を紹介する「鬼のような書類」の著者ベン・カフカの感想でもある。
 しかし、ここであえて問いたい。なぜ「あのバルトだ!」と思うのだろう。もちろん私も「あのバルトが!」と思う。でも、それはなぜなのか。」
「数年前、事務とその周辺の職務にあらためて注目を集める概念が登場した。デヴィッド・グレーバーの「クソどうでもいい仕事(ブルシット・ジョブ=bullshit job)」である。(・・・)現代の社会にはこれまで何となく人々がひっかかりを感じてきたある種の仕事の形態が蔓延しているとグレーバーは言う。こうした仕事を彼は「クソどうでもいい仕事」と呼び、そうした仕事が「被雇用者本人でさえ、その存在を正当化しがたいほど、完璧に無意味で、不必要で、有害でもある有償の雇用の形態」に堕していると指摘する。ところがそれにもかかわらず、そうした実態について誰も認めようとしない。

 (・・・)

 事務がときに「ブルシット」=「クソどうでもいい」に堕するのはたしかだ。しかし、なかなか厄介なことに、事務がほんとうに必要とされる場面や領域もあるのである。」

「事務という概念の周辺には(・・・)近代社会で一般化する「机上の動労」vs.「肉体労働」という線引きや、創造的で才能を要する言語使用と、誰もがかかわる平凡な日常言語という対比が見え隠れする。近代のさまざまな常識や規範と「事務」という概念が密接にからんできたことがうかがわれる。
 しかも興味深いのは、事務がそうした大きな対比にとどまらない、より微妙な空気をも伝えることである。「机上の仕事」が洗練されマニュアル化されるとともに、「事務の文化」とでも呼ぶべきものが生み出された。私たちのほとんどは意識するとしないとにかかわらずこの文化に巻き込まれてもきたわけだが、だからこそ、この文化の気配を言語化するのは容易ではない。しかし、皮肉なのは事務と近接しつつ、微妙にずれたり対立したりすることで事務の「事務らしさ」を明らかにしてきたのが文学作品だということだ。」

「言文一致がまだ定着する以前、漱石の小説にもさまざまなモードの書き言葉が使われていたが、そんな中、初期の作品『虞美人草』では、漢文調の巧みさが目立つ。ただし、つねに漢文調が使われているということではない。効果があがる場面だけに限定されていた。(・・・)
 日本語の漢文調には特有の硬く重い響きがある。「男性的」に響くのである。そこから来ることさらな形の呪縛は、公や官の権威を感じさせる。(・・・)
 しかし、より興味深いのはその先である。漱石派必ずしも漢文調の権威の重さをかさに着て、その力に酔いしれていたわけではない。(・・・)『吾輩は猫である』ですでに漢文調の堅苦しさはパロディの対象となっていた。漱石派漢文調と距離をとる術をわきまえていたのである。(・・・)
 漢文調は明治、大正と時が流れ、昭和になっても一部の事務文書の中に生き残っていくが、すでにそこには「崇高体験」はない。生きた形式ではなくなったのである。そして、漢文調がなどったこうした「崇高の形骸化」にこそ、現代の「事務の文化」の萌芽はあった。それは崇高なき崇高、あるいは権威なき権威の誕生とも言える。」

「近代日本の管理人用システムの確立と、それに伴う学力主義・学歴主義の背後にあったのは、明治維新と廃藩置県ののちに発生した士族の失業という社会現象だった。藩によって身分を保障されているだけで、何らの家業も財産ももたなかった武士が、その「武」を奪われたのが明治維新だった。その結果、士族は「武」にかわるものとして「学」をたのみにするようになったのである。いわば体育会系からガリ勉への転身と言ってもいい。そんな元武士が職業として求めたのが、それまでと同じく行政官として民を管理するということだった。彼らは同じ権力でも、行政的な権力を求めたのである。学力試験による選抜は、とくに明治初期は失業士族の救済という役割を担っていたわけである。
(・・・)
 ところでここでもうひとつ大切なことを確認しておかねばならない。試験は、実は士族にとっては明治維新ではじめて出逢った目新しいものではなかったということだ。武力をたのみにするはずの士族は、すでに空欄穴埋め的な行政職、もっといえばまさに事務仕事にそれ以前から慣れていたのである。
(・・・)
 武士は事務仕事をしていながら、理念としては「公に仕える」戦闘員として振る舞わねばならない。この表と裏の使い分けから生ずる気恥ずかしさや気まずさと、それに伴う「オレ/あたしのやっていることが所詮事務仕事にすぎない」という意識が、現在に至るまで私たちが事務能力という言葉に感じる独特な匂いにつらなっているのかもしれない。事務という言葉は、私たちが少なからず必要があって行っている(そして本当はけっこう好きかもしれない)作業を「クソどうでもいい」と思わせてしまう表現なのだ。そして、おそらく私たちにはそのような表現が必要なのである。事務の向こうには、より本質的なものが隠されている、と私たちは信じたいのだ。」

(阿部公彦『病んだ言葉 癒やす言葉 生きる言葉』〜「森鴎外と事務能力/『渋江抽斎』の物と言葉」より)

「通常、否定的な意味で用いられる「官僚的」「事務的」という語は鴎外のコンテクストの中でどのような意味を持つのだろう。十九世紀ロマン派的なオリジナリティへの信仰によるなら、「引用の集積」は価値のないガラクタと見なされるかもしれない。二〇世紀にはそうした引用の織物を、むしろ前衛的な視点からとらえ直す試みも盛んに行われたが、ふと気づけばラディカルなはずのパッチワークも、事務処理の途上で量産される無意味で気の遠くなるような情報の羅列と区別はつけがたい。
 こうした情報収集の一つの究極は人名の羅列である。人類が滅びない限り係累は伸び広がり、墓碑銘の名は増え続ける。しかし、名前は無意味な情報の集積ともなりうるが、他方で物語の宝庫にも転じうる。ちょうど法が、誰の名が代入されても機能する抽象的なシステムの枠組みを顕示するのに対し、公文書や事務文書に書き込まれる個人名には、意図やニュアンスが入り込むのと同じだ。そこには権力の思惑が露呈し、ときには権力を維持するための機能が担わされる。旧約聖書冒頭に延々と書き連ねられる人名の系統は、その後に続く記述の正当性を保障しようとする。世界を支配しようとする欲望は、それが具体的であればあるほど、巨大な名簿として立ち現れる。」

「事務作業のたたえる神秘はしばしば文学作品にも描き出されてきた。ハーマン・メルヴィル「バートルビー」に描かれるのは、ウォール街の法律事務所で筆者係として雇われている代書人バートルビー。いたって有効な青年だったが、日々つづく筆者の作業の中で深い憂鬱へと追い込まれ、最期は刑務所で死を迎える。その胸中でほんとうに何が起きていたかは最期まで明示されない。チャールズ・ディケンズの『荒涼館』に描かれるのは、延々と続く裁判の〝事務地獄〟。物語が動き出すのは、そんな裁判関連文書のひとつに准男爵夫人が目をとめ、その筆跡の持ち主に思いが及んだときだった。この文書を筆者した人物が、実はヴェールに覆われた彼女の過去と深い繋がりのある人物だったのだ。悲劇はここから始まる。
 このように文学の端緒は、文学からはるか遠いと思える筆写という事務作業や、その産物としての無機的な事務文書にこそ潜んでいる。権力は事務文書の冷たい仮面を鎧としてまとおうとするが、文学はいとも簡単にその鎧を剥ぎ取り、企みを暴き出すことができる。実用という囲いをつくって物につく言葉の聖域をつくろうとしても、魔物の侵入を防ぐことはできないだろう。」

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