高原 英理『詩歌探偵フラヌール』(装幀:名久井直子・挿画:カワグチタツヤ)
☆mediopos2969 2023.1.3.
「フラヌールしよう」と
街へ出て謎を解きながら
メリとジュンが
詩歌を探し巡る楽しい連作小説
「詩歌探偵フラヌール」
「フラヌール」は「flâneur」
ベンヤミンの『パサージュ論』に出てくる
「遊歩者」という意味の言葉
フラヌールは01から08の章まであり
萩原朔太郎をはじめとして
とりあげられている詩は
大手拓次・ランボー・ディキンスン・シュペルヴィエル
現代の詩人では最果タヒ
最近全集の出た夭折したモダニズム詩人の左川ちかのほか
和歌なども「フラヌール」しつつとりあげられている
紹介されている詩歌も
著者の趣味・嗜好を反映して説得力があるが
メリとジュンのやりとりをベースにした文体も楽しい
また各flâneurの章の最初のページのイラストが
それぞれの章のテーマに呼応しているように
本書は挿画・装幀もなかなかいい感じになっている
さて読みながらやはり思うのは
じぶんならどんな詩歌をとりあげるだろうということ
古代のものから現代のものまで
翻訳を含めていろいろ想像してみると
それだけで軽く一日中過ごせそうだ
せっかくの機会なので
絶対に外せない詩人や歌人は・・・と
本棚にある詩人の詩集や歌集を
ひとつひとつ手に取って読み始めると
時間を忘れてその世界に「フラヌール」してしまう
■高原 英理『詩歌探偵フラヌール』
(河出書房新社 2022/12)
(「flâneur 01 フラヌール」より)
「「フラヌールだって」
「え」
「ベンヤミンだって」
「何」
「行こう」
とメリが言う、フラヌールはベンヤミンの『パサージュ論』に出てくる言葉で、日本語にすると「遊歩者」だって。
「ルラヌールしよう」とメリは続けて、それって、するものなの? 「遊歩する」ならわかるけどって言うと「こまけえことはいいんだよ」とメリが、それで僕たちはフラヌールになった。」
「居酒屋、小物屋、靴屋、蕎麦屋、と進み進み、フラヌールしていると抜けて広い道に出て、道路の向かい側に民家の、古くて苔の緑を薄くあちこち塗り付けたみたいなブロック塀が見えて、それ指さすメリが、
「おわあがいる」
あ、ほんとだ、塀のもっさりした波の繁る大きな樹のそばに白黒と茶トラのおわあが安心顔で座っている。
「おわあ、こんばんは」
「おわあ、こんばんは」
「おぎゃあ、おぎゃあ、おぎゃあ」
「おわああ、ここの家の主人は病気です」
って、知ってる? って言われて、それ、萩原朔太郎の詩だね、でもそのおわあは「まっくろけ」って書いてなかった? いや、こまけ(以下略)。
このあたり、おわあたちが多くて、誰かノラおわあに餌やってる人いんのかなあ。
横町から出た先のぐっと広くなった道を少し東へ行くと、視界は開けて、さらにもっと広い公園が、すかっと白い石畳で、真ん中に丸い噴水がすわすわ上がっていて、ちょっと高級感、っていうか、ここだけすごく整備された都心にいるみたい。
「この感じ『殺人事件』だなあ」
ってメリの言うのは?
「朔太郎つながり?」
「ふうん。どんな」
「そういう詩があんの」
(・・・)
とほい空でぴすとるが鳴る。
またぴすとるが鳴る。
ああ私の探偵は玻璃の衣裳をきて、
こひびとの窓からしのびこむ、
床は晶玉、
ゆびとゆびとのあひだから、
まつさをの血がながれてゐる、
かなしい女の屍體のうへで、
つめたいきりぎりすが鳴いてゐる。
しもつき上旬のある朝、
探偵は玻璃の衣裳をきて、
街の十字巷路を曲つた。
十字巷路に秋のふんすゐ、
はやひとり探偵はうれひをかんず。
みよ、遠いさびしい大理石の歩道を、
曲者はいつさんにすべつてゆく。」
(「flâneur 03 永遠ハント」より)
「いたる所に永遠がある。
という言い方がちょっといいな、と思って、メリに言ってみたら、
「じゃ、ランボーだ」」
(「flâneur 04 Dエクストラ」より)
「「どうするんですか?」
「数字」
「数字?」
「一から一七七五までの間のどれでも」
「数字を言うと?」とメリ。
「そのナンバーの詩を暗唱しまう」
「えー、一七七五編の詩を全部覚えてるの?」とメリ大驚愕、は僕も同じ、グッディ以下三人も同じ。
「どれもエミリ・ディキンスンの詩です。ディキンスンは詩に題名をつけなかった。死後に出た全詩集には、それで全部通し番号が振ってありました。その番号を指定してくれればわたしが言葉にします」」
(「flâneur 08 モダンクエスト」より)
「「モダニズム」とメリが言う。
「近代好きってことかな」
「うん、きっと」
「ジュンは近代、好き?」
「えー。よくわかんない。前近代にいたことないし」
「ずーっと近代にいるんだね、わたしたち」
「うん」
「じゃ現代は?」
「え」
「現代は近代の後」
「うん」
「今は現代」
「うん」
「もう近代じゃないの?」
「わかんないなー」
「モダンとモダニズムってもう昔のものなのかなあ」
「わかんない×二」
という話があった一週間後に、メリの部屋へ行くと、
「ほらこれ」と厚い黒い本を見せてきた。
「最近出た本」
というそれは、黒のカバーに金の字で『左川ちか全集 島田龍 編』とあった。」
◎高原 英理(たかはら・えいり)
1959年生まれ。小説家・文芸評論家。85年、第1回幻想文学新人賞を受賞しデビュー。96年、群像新人文学賞評論部門優秀作を受賞。近著に『高原英理恐怖譚集成』『エイリア綺譚集』『日々のきのこ』がある。