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見えるけど見えない好き【#マンガの話がしたい】

Xで日記まんがを投稿されているおけべちさんという方が描かれていた『見える』の話がここ最近ずっと頭の片隅にあります。

このことについて自分事として一度整理しておきたい。そんなnoteです。

世の中にある「好き」は氷山のほんの一角で、普段は隠れている「見えない好き」が数多くある、という話。(ちなみに唐突なファンアートで描かれているのは五老星のサターン聖と錦久家の長女・モチちゃん…のはず)


自分のnoteで毎月マンガの感想とかあらすじとかのなんかそれっぽい文章をチマチマまとめていて、なんでそんなほぼ無意味なことをやっているのかというと、自分にとってマンガが「見える好き」であってほしいからです。

仰々しい考察や論文のような長文でなくても、「読んだ」でも「面白かった」でも「このページのこのコマ/セリフが好き」でも、何でもいいから、別に熱く語らなくていいから残しておく。

誰が読むでもない取るに足らない駄文だけど、そうやって文字として「好き」が形を成して存在していることが嬉しいし、落ち着く。

この感覚は日記まんが『ある』にも通ずる感覚かもしれません。これは「アナログ」という物理的な存在への喜びと安心感の話なので、少しニュアンスが異なることとは思いますが。


そういうわけで、読書メーターでもブクログでもXでもInstagramでもnoteでも、何かしらの形で読んだ形跡を残して「好き」を見せてくれている人を見かける(其処彼処にいらっしゃる)と、「同士よ!!!」と心の中で握手しています🤝

みんなやっぱり「好き」を見せることに多かれ少なかれ喜びを感じているんでしょう。

余談ですが、最近のSNS(とりわけX)全体に漂う負のオーラに辟易しちゃうことも多々ありますが、範囲を絞ってみんなの「好き」だけを見るようにしているので概ね快適です。



「見えない好き」については、本当は内に潜めているけど外には出さないという「見せない好き」と、自分でも上手く言語化できていない「透明な好き」の2種類があるのかな、と思っています。


誰しもパーソナルな領域を持っているし、他人と共有しないことで保たれる心の平穏があると思うので、「見えない好き」は「見せない好き」として見せないままでいたい。少しでも見せてもいいかもという好きだけ存分に見せつけていけばいい。

おけべちさんのようにあまりにもデカすぎてあえて見せないという意味での「見せない好き」もあるかもしれません。


「透明な好き」は、なんとなく好きなマンガをなんとなくぼーっと読んでなんとなく「あー、面白いなこれ」と思って、話の内容はふっと忘れちゃうみたいな。そういうあやふやでよく分からない好きだと思うんですが、これも全然アリだと思います。

寧ろそういう「見えるけど見えない好き」にこそ自分の本当の嗜好が反映されていたりするので大切にしていきたい。

(これが言いたかっただけ)


「見える好き」と「見えない好き」、そして「見えるけど見えない好き」。色々な「好き」を体内外に持ち合わせながら豊かな趣味生活を謳歌していきたいですね。(変な着地点)(自己満足note)(これでいい)



最後に、勝手な告知と勝手なお願いです。

11月17日のコミティア150におけべちさんがサークル参加されるそうです。行きたい!けど行けないので通販でもご対応いただけることを願っています。何卒。


最後の最後に、その他の個人的に好きな日記まんがを抜粋して貼らせていただきます。日記まんが含め、今後の様々なご活躍を楽しみにしております。

『コンプリート』内に登場する某マンガのキャラクターは『ふつうの軽音部』のヨンスだそうです。おもしろ。みんなヨンスだったんだよな。(『まる子だった』みたいな)


唐突なファンアートと5秒で考えた近影

おしまい

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