メンタルを病んだら
これはメンタルを病んでいる人向けの内容ではない。
メンタルを病んだ人が身近にいて、どうしたら良いのか分からない人、
もしくは、メンタルを病んではいるが現実的に立ち向かいたいと思っている人向けのnoteだ。
繰り返すが、メンタルを病んでいる人の助けになる内容ではない。
メンタルが病んでいる状態とは、世界が歪んで認識している状態であると私は思うからだ。
noteなんか読んでないで、なんか癒やされる動物の動画とか見て、とにかくひたすら寝ていてほしい。
そこまで前置きをして書き始めるが、
メンタルを病んだらどうすれば良いのだろうか。
私自身その答えが見つからないまま、この記事を書いている。
現実問題、社会は健常者しか働けないようになっている。
よく眠り、よく働き、指示が理解できて、コミュニケーションが取れる人材が、組織という「機能」では求められている。
では、技能職を極めて独立すれば良いのかというと、それも難しい。
独立起業というのは「全てを一人でこなすこと」だと認識している。
一つを究めて、それ以外を「外注」できるほどの収入なら可能かもしれないが、外注とコミュニケーションを取ることも辛くはないだろうか。
障害者雇用枠で働くというのも一つの手だと思う。
精神障害に理解ある斡旋所を仲介しながら、「働ける範囲で働く」は一つの答えだと思う。
それくらい、
一度メンタルを病んだら、健常者と同じように働き続けることは困難だと私は感じている。
だからこそ、病む前に予防する予病が大切だし、申告な治療が必要になる前に未病の段階で防ぐことが、すごくすごく大事だと思う。
壊れるくらいなら逃げてほしいし、精神は一度折れたら骨のように簡単にくっつきはしない。
その上で、メンタルを病んでしまったらどうすればいいのか。
私は
「ひたすら休んでほしい」
と思う。
過去のことを考えても死ぬし、
明日のことを考えても死にたくなると思う。
ただひたすら、自分の"今"だけを見つめて生きてほしい。
そこに意味とか、考えないでいてほしい。
私は、かつてそのような状況から、復活したという自負がある。
眠ることもできず、食べ物の味もわからず、薬漬けになって、意識はいつも不明瞭で、
考えることができず、言語を理解することもできず、
でもパッと見は健常者と変わらず、
何故できないのかと罵られ、
微かに残る自尊心すら、自分自身でボロボロにして
そんな場所から随分遠くまで歩いてきたなという自負がある。
夜眠ることができ、
感謝して食べることができ、
人と会話をし、
仕事をして、
感謝の気持ちで目覚める
ここに至るまで、
ほんっっっっっとに大変だった。
できなくて、できなくて、
できないことに自分自身を責め立てて
全て投げ出してしまいたい気持ちに何度も駆られて、
それでも、「諦めない」ということは、
物凄く強靭なメンタルが必要なことだった。
メンタルが脆いから病んだのに、
強靭なメンタルでなければ戻れないとは、これいかに。
時間もかかったし、お金もかかった。
詐欺まがいのものに搾取されることもしばしばだった。
理解されないことなど日常茶飯事だった。
私が「諦めない」ことを選べたのは、
本当にただの偶然だと思う。
だから誰にでも、
「うつは治るから頑張れ」
とはけして言えない。
「治したい覚悟があるのなら、治すことは可能かもしれない」
そんな程度のものだ。
周りがどれだけ環境を整えたとしても、
本人にその気がなければ、
治療すら難しい。
そして、最も難しいのが、
その「本人にその気が起きること」だ。
もし、これを読んでいる人が、
うつを抱えて苦しんでいる人の身内であるなら、
その「その気が起きること」は何でもやらせたら良いと思う。
アイドルに貢ごうが、ネトゲにハマろうが、
何が「その気」を起こさせるかは、当人にも分からない。
だから、絶対に約束してほしいのは、
身内が無理をしないこと
だ。
鬱は伝染するし、
鬱症状の人間は、周りに気を巡らせる余裕なんかない。
鬱症状から立ち直った側の人間として言えるのは、
鬱病だろうが何だろうが、
所詮その人の人生だ。
ということだ。
本当に残念なことに、
誰も人生の責任は負ってはくれない。
配偶者であろうと、親であろうと。
そこに「なんとかしろ」と甘えていられる鬱病患者は、
本当に自分のことしか考えていないと思う。
鬱病患者が立ち直れるかどうかは、
この視点を持てるかどうかが大きいと思う。
誰も自分の人生の責任を負ってはくれない。
自治体も、国すらも。
それを理解した上で、全力で自分の人生を生きたいと願えるかどうか。
それだけだと思う。
私が鬱症状が酷かった時は、
常に何かのせいにしていた。
親に叩かれて育ったから
リスカを繰り返す妹に遠慮して生きたから
夫のモラハラのせい
ワンオペ育児のせい
女性ホルモンのせい
産後のせい
寝てないせい
金がないせい
政治のせい
何もできない、自分のせい…
惨めでどうしようもない自分を、誰かに助け出してほしかった。
何でも良いから、誰かに責任を負ってほしかった。
自分自身で責任を負うには、自分の人生はあまりにも重すぎた。
「治したい」と思ったきっかけはもう覚えていない。
でも、今私が死んだら子供達が不憫だとは思っていた。
こんな母親いない方がマシだという気持ちと、常に揺れ動いていた。
「いい子」でいなければならないと思った。
「いい母親」でなければならないと思った。
助けてくれたのは、
「いい人なんかじゃなくてもいいよ」と、
側にいてくれた人達だった。
私と共に過ごすことに
「条件」を付ける人達と距離を置いていった。
私と共に過ごすことに
「条件」を必要しない人達と過ごすことにした。
少しずつ、少しずつ、
自分で自分との約束を守れるようになっていった。
約束を守れない時があっても、過度に自分を責め立てることが、少なくなっていった。
金がないととにかく余裕がなくなるので、
何でも良いから自由に使える金を増やすことにエネルギーを傾けた。
夫に金を要求されても、
「ないものはない」
と、良い妻を演じることをやめた。
毎月稼げる金が15万を超えた頃、
ようやっと自分が生きた心地がしてくるようになった。
将来性はなく、安定性もない。
それでも、自分のできる範囲で稼いだ15万円は、
きっと障害年金で受け取る15万円とは意味が違ってくる。
私の年齢で、ここから更に正社員雇用のリカバリをかけるのは難しい。
それでも、あのドン底から立ち直った経験が、
私に確かな「自信」を与えてくれるのだ。
起業する人もいる
農業に目覚めた人もいる
年金を受け取る生活に戻るだけの人もいる
そんな中でも、どこにいても、
「生きる」
ということは、
私が鬱で視界が真っ暗になっていた時に認識していたものよりも、
もっともっと深く、
途方もないものだった。
メンタルを病んでしまったら、どうしたらいいのか。
親兄弟も、
配偶者も、
子供も、
友達も、
政治も、
宗教も、
何とかしてはくれない。
生きろ
としか言えない。
生きて、生きて、生き延びて、
無様でも生ききったその先に見える景色は、
普通に生きてきただけでは想像もつかないほど、
美しく輝いているとだけは確かに言える。
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