
子どもが考えてることもわからないのに、赤の他人の気持ちなんてわかってたまるか。
と、休職前にご一緒した先輩同僚に言われたセリフ。
確かにおっしゃる通り!!
適応障害で休職中の私だが、恥ずかしながら子どもがいる。
今日も元気に幼稚園に登園しているが、
何を考えているのか、さっぱりわからない。
血を分けた子どもですら何を考えているのかわからないのだから
どこの馬の骨かわからない同僚やクライアントの考えていることなど
わかるはずもなかろう。
と、言われると確かにその通りだが
休職する前の私は、相手のことをわかろうと
気分を損ねないように気を使おうとめちゃくちゃ必死だった。
すべては怒られないように、嫌われないように。
冷静になるとわかるはずだが、
これを第一想起させるようマインドを調整するのが
まあ難しい。
考え方のクセというか、思考回路の道順というか、
まかりなりにもこの考え方で何十年と生きてきたのだから
そう簡単に変えられるはずもない、と理解しているが
変えられない自分がもどかしい。
すべてをドラスティックに変えられないとしても
ほんの少し、例えば角度が1度変える
そんな程度でも良いのだ。
少しでも自分の悪しき習慣を変える、
そんな戦い、鍛える日々を
初めていこう。
どうしても
「戦う」とか「努力する」とか「鍛える」というワードを目にすると、
仕事やとても前向きな事業に取り組むことを想起させがちだが、
別にそれだけではないだろう。
自分と戦う、自分に向き合って変える努力をする、変えられるように
マインドを鍛える、そんなんでも良いだろう。
目に見える成果や過程、他者や他人から見えるようなドラマティックな努力や頑張りだけが、努力や頑張りではないのだ。
地道に自分と向き合い、
シコシコと鍛練を重ねる。
言うなれば武士のそれである。
(果たして武士がそのような鍛練としていたかは知らないが、なんとなくの
イメージ)
かっこいー。
と、周りがビジネスでバリバリ稼いでいると思っていると
敗北感に押しつぶされそうになるので
無理やり自分に言い聞かせるのである。
それでいいのである。
それが私なのである。