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休職期間のお片付け
先ほど人事から電話があった。
結論、
明日から復職してOK、
当面はリハビリ出勤で体調面との調整をしていけとのこと。
やっとというか、念願というか…
とか言いながら、実際に明日から復職できると思うと
いまから緊張と不安が止まらない。
(かくいう今も全身から冷や汗が止まらない)
いくら新しいマニュアルを作ったとしても、
二ヶ月休んでいたのだから、それは当然であろう。
休職期間の振り返りを急いでしようと思っているが
明日からの復職に動揺して上手く記述できなさそう。。
休職期間で得たこと
休職に至る原因の因数分解、自分の特性、過去の振り返りに今度の対策について、
読書や自問自答など多方面からのアプローチを通じて、
仕事と自分という関係だけでなく
自分そのものについてじっくり向き合うことができた。と、思っている。
やろうと思えば、出社しながらでもできた作業ではあるものの
時間が(ほぼ)無限にある休職期間だからこそ
贅沢なまでに時間を使って自分と向き合えたのは最大の財産である。
休職の直接的な原因だけでなく、
その周りに点在していた私の性格上の難点についても一部洗い出せた気がする。
それを認知していると認知していないとでは大きな違いがある。
なにより休職直前の家庭内での若干ギスギスしていた雰囲気がなくなったのが
大きいかも。
毎日、「今日何しようかなー」「お昼ご飯は何食べようかなー」って考えていた
あの日々がもう懐かしい。
もうすぐ2児の父親になるのだから
いつまでもプー太郎でいられるわけもない。
生まれてくる子どものためにも、
毎日笑顔で保育園に行ってくれている長男のためにも
ここからが真の頑張りどころである。
無理はしないが、できる限り土俵内にとどまっていたい。
ここで無理をして、本格的にドロップアウトしてしまったら
誰が彼らを養っていくのだろう。
会社は守ってくれない、社員であるうちはそれなりに守ってくれるかもしれないが、それでも冷淡なものだ。
そのことを忘れてはならない。
会社に尽くしても、会社が尽くしてくれることはない。
だからこそ、これからも無理はしない。
こうしてnoteにその日のことを記述できたのも大切な財産だ。
noteから「10週連続更新」と通知が来ており、
そんなに休職していたのか、と少し驚いたと同時に
当初は「三日坊主で終わったらどうしよう」と考えていたのが
嘘のように続けられた。
これもまたひとつ自信になっている。
見た目は何も変わっていないが、
内面が少しでも成長できていると嬉しい。
もし休職していなかったら
自分の休職期間の肯定感を改めて上げておくためにも
もし休職していなかったら、と妄想しておく。
きっとある程度はあのまま業務を遂行できたと思う。
それは間違いない。
別にパソコンを開けなかったわけでも
出社する足が出なかったわけでもない。
問題ありありでも仕事はできたと思う。
そのかわりに、一緒に在宅している妻にはことあるごとに
不安をぶちまけ、顔色もどんどん悪くなっていっただろう。
私に引っ張られて、妻も体調を崩していたかもしれない。
そんな妻を見て、私自身もそれに引っ張られて…
という悪循環があった“のかもしれない”
別にそこまでいかなくても
うまく業務を回せていた“かもしれない”
しかし、私が休職してよかったと思う副次的な要素として
「これからの私の新しいマニュアル」を作れたことがあるので、
それを手にできていない可能性が高い。
休職だけにとどまらない新しい可能性を記載したマニュアルなので
これからの人生の生き方がガラッと変わっていくだろう。
仮にマニュアルの効果がなかったとしても、それは織り込み済みだ。
それすら見通せるほど、自分を因数分解して、受け止められるほど
自分に対して冷静になれたのも休職期間があったからだ。
きっと休職期間がなければ
ただの土日も仕事のことがちらついてしまって
ここまで楽しめなかったと思う。
先週の三連休の周南旅行もきっと計画すら立たなかったと思う。
そう考えると
休職する直接的な原因の排除だけではない、
それに準ずる形で生まれた財産と出会えなかったと思うと
それこそ人生のロスだったと今になって思える。
今でなくても、遠くない未来でもっと追い込まれた状態での
休職期間を取得していた可能性が高いだろう。
だからこそ、このタイミングで二ヶ月の休職期間を取得できたのは
トータルでよかったと思えている。
あえて言わなかったこと
休職期間中にお通夜に出たことがあった。
6月のことだ。
大学の後輩が交通事故で亡くなった。
まだ幼い子どもが二人いた。
本人はさぞ心残りだろうと思う。
各所で「若いのに…」という言葉が漏れていたが、
実は私の兄も28歳という若さでこの世を去っている。
大学進学してからあまり会う機会がなかったので、
いまだにどこか遠いところで生きているのでは?という感覚でいる。
若くしてこの世を去ることの“身内”の辛さもわかっているつもりだ、
残された後輩家族にひとつでも多くの幸せが訪れることを願ってやまない。
久しぶりにひとの死を目の当たりにした。
仕事をしていても、していなくても、生きている。
それがどれだけ尊いものなのか、改めて目の当たりにした気がする。
生きたくても生きられなかったひとがいる。
そんなひとを前に、
どうしてもっとお金は欲しいとか
もっと地位と名声が欲しいとか
いえよう。
生きているだけで、幸せなんだと心から思った。
会社に、仕事に、わけのわからない他人に、自分自身の思い込みに
殺されたくない。
殺されるくらいなら、殺していくしかない。
前向きに、攻める姿勢を忘れないで
この世にしがみついていきたい。
まとめ
明日からの復職ということで相当テンパっているので
うまくこの二ヶ月を振り返られることはできなかったが、
それでも今の自分としては、うまく言語化できているつもりである。
明日からの復職、となりには元部署のひとたちもいる。
とてもとてもやりづらい。。。
でもそこを乗り切らないとこれからもっとしんどくなる。
そこで思い出したい妻の言葉。
「がん患者が数ヶ月治療に専念して、復帰したときに申し訳ない顔する?」
確かに、その状態だったら申し訳ない顔はしないだろう。
どちらかというと、がんサバイバーの貫禄たっぷりの表情で闊歩するだろう。
(しないかな?)
私の場合はがんでもないし、完治しているわけでもない。
それでも、会社へ行ったら
多少のやりづらい顔をするかもしれないが
必要以上に自分自身を卑下しないようにしたい。
どちらかというと、ネタに昇華できるように立ち振る舞いたい。
もし今後Netflixの「トークサバイバー」に出演するときの
トークネタを採取しにいく感じで。
そんなノリでもいいだろう。
思い詰めて、恥ずかしがっていくよりも
そのくらい吹っ切れた
“攻め”の姿勢で乗り切りたい。
だって明日は金曜日だし。
明日さえ乗り切れれば、明後日は通院だ。
何かあってもそこで対処してくれるはずだ。
うん、そう思えば
すべてがうまく回り回ってきている気がする。
本当にnoteに出会えてよかったなー。
誰かに見られてることもさることながら
見られていなくても、
なにかあったらここに書けばいい、誰にも否定されずに
もしかしたら「いいね」をつけてくれるかもしれない。
それだけで休職活動に光が差し込んでいた。
以前も書いたが、
「書いててよかったnote」は本当にその通りである。
きっとすぐに見返すことはないだろう。
むしろそうであってほしい。
来るべき日に、また思い出して読み返したら
あの日々が甦り、そのときの私に何か気づかせてくれるだろう。
最終回ではないけど
「休職期間」というくくりでの掲載は終える“予定”である。
もしかしたら近い将来、また休職してしまうかもしれないけど
そのときにはどうか暖かく迎えてくれると嬉しいです。
次は長編シリーズになるのか、
短編集を書き連ねていくのか
全く未定だけど、復職して少しの期間は
気持ちの整理として書き続けていきたいな。
取り急ぎ、
「綾小路つか麻呂 67日間の休職」篇 無事完走!