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止まない雨はないからといって病まない訳がない


「止まない雨はない」


この言葉を今まで100万回ぐらい聞いたことがあります。

しかし、なんというか、この言葉が心に深く刺さって救われた気持ちになったという経験が私にはありません。
止まない雨はない、今感じてる苦しみはいずれ無くなるなんて言われても、陰鬱な気分は続きます。

そこには、この言葉が使い古された言葉だからという理由もあるでしょうがそれ以上にもっと深くて根本的な理由がある気がするのです。

他人に寄り添う?


おそらくこの言葉を発してくれる人(また、ニュアンス的には同じような意味の言葉を言ってくれる人)は優しくて、他人に寄り添うためにこんな励ましの言葉を言ってくれるんだと思います。

けれど、「他人に寄り添う」っていったい何なんでしょうか。

実は「他人に寄り添う」って言葉が、私には矛盾を孕んでいるように思えるときがあります。

他人とは「自分とは違う人、自分ではない人」のことです。

そして寄り添うとは「相手の気持ちに共感して受け止めること」です。

つまり、他人に寄り添うとは、自分ではない人の気持ちに共感して受け止めることです。

でもこれって本当に可能なんでしょうか。

いやいやできるでしょ、何言ってんのと言われそうですが、本当に自分ではない人の気持ちに共感できていますか。

私は、共感しようと試みることは人生で何度も経験してきましたが、完全に共感できたことは一度もありません。

なぜなら、どこまでいっても相手は他人だからです。そして言い方はきついですが、他人の気持ちは他人事だからです。

他者とは、その定義からして自分が理解できはしない人、モノのことです。

もし他人に寄り添うことができたと言っている人がいれば、その人はそう思い込んでいるだけの人です。

自分と他人の間には、越えることのできない壁があります。

ムカつく理由


正直に言うと、私は「止まない雨はない」という言葉を聞いて、ムカついてしまうことがあります。

その理由はおそらく所詮他人なのになんでそんなことが言えるんだと思うからです。

励ましの言葉を言える、救われるような言葉を言えるということは、その人はもう既に健康な状態であるし、救われた状態であることを意味します。

それはまるで海で溺れている人に対して、安全な陸から「頑張れ!」と声をかけているような感じです。

その「無意識な上から目線」を感じ取ってしまうから私はムカついてしまうんだと思います。

「止まない雨はない」と晴れた地域の人に言われても、こっちは傘を持ってないんだから、そのままびしょびしょになるしかないんです。

でも私もムカつかせる側になることだっていくらでもあります。

辛い状況にある人に向かって「大丈夫だよ!」と声をかけた経験なんて数え切れません。

しかし、その言葉を言うとき私は相手が感じている辛さを体験していません。

安全な場所から無責任に言葉を発しているのです。私もきっと誰かを苛立たせてきたんだと思います。 

考え直す


私たちはもう一度「他人に寄り添う」とはどういうことか、考え直す必要があると思います。

励ましの言葉をもらったって、病まない訳がないのです。(個人的に)

でも、そういうとき相手が寄り添おうとしている姿勢には気づく必要があります。

こちらがどれだけ苦しかろうと、自分と相手は他人同士である限り、相手が自分を構う必要なんて本当はないんです。

もしかすると「止まない雨はない」という言葉には、励ましよりも祈りのような意味合いがあるのかもしれないと私は最近思っています。
それには上から目線の態度ではなく、もっと純粋な希望が込められています。

雨がいつか止みますように。
あなたにとっての傘が見つかりますように。

その人は意識的か、無意識的か、そういう祈りをくれているのかもしれません。

彼らは人を救いたいのではなく、その人が自分自身を救うことを願っているのかもしれません。

私も誰か寄り添いたい人がいたときは、祈りの気持ちを持って接したいと思います。

他人の心の中は分からないし、相手にどう伝わるか完全に把握はできませんが、それでも人間はなんだかんだ関わり合ってることってなんだか不思議ですね。

とっちらかった文章になってしまいましたが、スキ、コメント、フォローしてくださると嬉しいです!

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