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1164.たまには、人を疑う前に『自分を疑ったら』どうだい?

Sometimes, before you doubt others, why not "doubt yourself"?

【お馬鹿なcoucouさんの生きるヒント157.】

©NPО japan copyright association Hiroaki

1.自由詩.102.「善き想像」1.Free verse.102. "Good imagination"


人間にだけには、とても素晴らしい「想像力」を与えられているのに、
Humans are the only ones who are given such a wonderful imagination,
「恐怖の想像」「心配の想像」「不安の想像」
"Imagination of fear," "Imagination of worry," "Imagination of anxiety"
ばかりの〈悪しき想像〉だよね。
It's just a bad imagination.

だからこそ、〈善き想像〉って大切なことだと思うんだ。
That's why I think good imagination is important.

想像力が最も力の発揮できるのは、
The power of imagination is greatest when
〈善き想像〉しかない。
There is only good imagination.

想像力を〈悪しき想像〉に利用しても決して、
Even if you use your imagination for bad imagination,
上手くいかないようにできているのも不思議だよね。
It's strange that it's designed in such a way that it doesn't work.

その理由は、人間には「想像力」と善我といわれている「良心」というものが在るんだ。
The reason is that humans have "imagination" and what is also known as "good self," or "conscience."
人間はみな善なる良心という良き心があるため、
Because all human beings have a good heart, a good conscience,
〈悪しき想像〉には自ずと限界ができてしまう。
There are naturally limits to ``evil imagination.''

つまり、嘘や騙し、偽りにはその想像力が、
In other words, lies, deception, and falsehood are based on imagination.
まったく発揮できないことがわかると思う。
I think you'll find that you can't perform at all.

良き想像ってね、
A good imagination,

わくわくするもの、
Something exciting,

感動のあるもの、
Something that inspires,

とても、嬉しいもの、
It's a very happy thing,

とても、幸せなもの、
Very happy thing,

とても、喜びがあるもの、
It's very joyful,

何よりも、人生が、
Above all, life is

世界が素晴らしく思えること。
The world seems wonderful.

だから、もっと、
So, more,
良き想像をしてみようね~
Let's try to imagine something good
だから、もっと、
So, more,
みんなで幸せにならなくちゃね~
We all need to be happy.

Ⓒお馬鹿なoucouさんのひとりごと
Ⓒ The silly oucou's monologue
Ⓒ自由詩.102.「善き想像」
ⒸFree verse.102. "Good imagination"


Ⓒお馬鹿なcoucouさんのひとりごと 自由詩102.「善き想像」 coucouさんバックナンバーのより376.【解説文】詳しくは👇をお読みくださいね。


©NPО japan copyright association Hiroaki


2.たまには自分を疑うんだ。Sometimes I doubt myself.


最近の、愚かでお馬鹿なcoucouさんはね、自分をいつも疑い続けている。
だってね、何でも物事を悪く解釈してしまう癖があるんだもの。
だからね、その「悪く解釈」してしまう自分を疑ってみることにしたんだ~
 
お馬鹿なcoucouさんはね、子どもの頃から愛ってわからなかった...。
愛されていることすら気づかないまま大人になった気がする。
だからね、いつも、「愛されたい~」「好かれたい~」「嫌われたくない~」って思ってきて生きてきた。
 
それに、何でも物事を悪く、悪く受け取っちゃうんだ。
そう、人の言うことなんて信じない、信じられない、疑い深い。それに、性格も暗いんだよね。言いたいことも上手く人に伝わらないし、誤解もされやすい….。
 
どうしょうもない~
 
でも、良く、無事に生きてこれた気がする...。
そう、疑いばかリの人生だった。
 
だけど、ある不思議なことが良く起こるようになったんだよ。
それはね、自分では全くダメなことだと心から思っていたことを褒められたことだった。
うそ~頭足らずのcoucouさんをからかっているの?と疑ってしまう。
 
「coucouさんって、笑うといいよね...」
えっ?自分の笑い顔なんて大嫌いなのに...。

「coucouさんって個性のある文字を書くんだね、かわいい...」
えっ?こんな漫画文字なのに...。

「ねえ、あの子、coucouさんのこと好きみたいよ...」
えっ?まさかあんな素敵な子が...。

「coucouさん、絵が上手い...」
はあ~こんなに下手なのに...。
 
あまり褒められたことのないcoucouさんは褒められるたびに疑って、褒められるたびに否定して、怖くなっていくんだ。
 
だって、人を褒めたこともないけれど、褒められたこともないからね。
 
それに、coucouさんは誰からも愛されることはないし、好かれることもない、嫌われることはわかっているけれどね。
 
だから、何を言われても信じられない、疑いばかリ~
さらに酷いのは、せつかく好きな人ができても一方的に「愛されるわけがない..」と思ってしまう。もちろん、いつものセリフとともにお別れパターンは続く。
 
「…coucouさんってつまんない‼」毎回のとどめのお言葉(笑)とお別れ~
だからいつも答えはわかっているし、簡単に諦めちゃう...。
 
そう、「思っていた通り」「やっぱりね」って繰り返す。
でも、へこたれないよ~だって、当り前のことなんだもの。
 
上手くいく方が恐ろしい~
 
だけどね、あるとき親友が「coucou、お前は人を疑いすぎるんだよ、信用しすぎるのも良くないけれど、たまには、人を疑う前に『自分を疑ったら』どうだ?そんなに自分を信用しているか?」と言われた。

これはcoucouさんの今でもつき合っている親友の言葉だった...。
 
そう、驚いた~
 
もちろん、一番信用できないのは自分自身。
だけど、一番信用できない自分をちやんと疑ったことはない。
『自分を疑う』、この言葉はcoucouさんを目ざまさせてくれた。
じゃあ、どう疑うようになったのかって?
 
それはね、本当に誰からも愛されないのか?
本当に愛されていないのか?
本当に好かれていないのか?
本当に自分は認められていないのか?
 
本当に自分は駄目なのか?って、自分を『疑い』始めることにしたんだ。
すると、少しだけだけれど、自分が思っていた以上、たっぷりと認められていることがわかってきたんだ。
愛してくれる人、愛されていることも感じれるようになった。
 
するとね、涙が出てきちゃった...。
 
信じられないけれど、この世にわずかだけれど、こんなお馬鹿なcoucouさんを愛してくれたり、信じてくれている人がいた。
 
なんと凄いことなんだろう?そう、ひとりぼっちじゃあなかったんだ...。
 
まるで、奇跡が起きたように、雷が落ちたように、親友のたった一つの言葉『自分を疑え』によって周りの景色まで変わってしまうんだ。
 
それ以来、否定的な自分を疑い続けているのさ。
 
そしてね、ようやく「自分さん」を見つけることができて、
その「自分さん」を信じてあげるようになったんだ。
 
ごめんね、自分~今まで疑い続けてきてごめんなさい~
 
そう、もっと明るく、もっと元気に、もっと幸せにならなくっちゃ~
 
まだまだ、間に合うかもしれないね~

©NPО japan copyright association Hiroaki
©NPО japan copyright association 

coucouさんです~
みなさん、ごきげんよう~

いつも、いつも人を疑い続けてきたけれど、同時に自分すら疑い続けてきたお馬鹿なcoucouさん。
人を信じて、裏切られるよりも、最初から疑った方が得。
 
最初から疑っていれば傷もすくない...。
疑ってから信じても遅くない、なんて若い頃から言われ続けてきたお馬鹿なcoucouさん。
 
確かにいつも裏切られてしまうcoucouさんにはぴったりのアドバイスだと信じてきた...。
 
だけど、本当は人を疑いながら、自分のことは信じていた気がする。
だって、人を疑いの目で見る、と信じている自分なんだもの。
 
それに、人を疑いながらもどこかしら、
人を信じているところがあって、自分のことがわからなくなっていたんだ。
 
そう、人を疑っていると、だんだんと人を疑い過ぎていく。人を信じていると、だんだんと人を信じすぎていく。そして、自分を疑っているくせに、自分を信じすぎたり、自分の勝手な自分取って良い都合のみ信じてしまうという無間地獄に陥ってしまう。
 
だから、信じすぎるのも、疑い過ぎるのも終わりのない旅路みたい。
物事って、なんでも「過ぎる」のは良くないんだね。

「信じすぎる...」「疑い過ぎる...」「考えすぎる...」「思い込み過ぎる...」「やりすぎる...」「食べすぎる...」「飲み過ぎる...」愛しすぎる?(まあ、いいかあ…)

だからね、今までは、自分だけの勝手な判断ばかりだったけれど、一呼吸を置いて、「自分さん」に話しかけて、相談するようになったんだ。

そしたらね、自分のことも「自分さん」のことも、「人さん」のことも冷静に感じるようになって信じることができるようになった気がする。

そしてね「…すぎない」ようになった気がする。
 
 
人も自分も、疑うことよりも、疑い続けることよりも、信じることの方が心地よい。どうしても疑うような人とは離れた方が良いのかもしれない。

だって、自分に我慢させて、自分に嘘ついてごまかし続けることなんて無理だもの。
 
決めつける、「すぎる..」ことって良くないけれど、「自分さん」が感じること、感じたことって大切な気がした~
 
本日もここまで読んでくれてありがとう~

また、あしたね~
 
 
 


文字数5,055文字

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