331.人生が二度あれば、三度あれば。If you have two lives, if you have three lives
みんな~
もし、人生を二度、いや三度生きれるとしたらね、どう?
どんな人生を迎えたい?
coucouさんはね…
1.人生が二度あれば、三度あれば。If you have two lives, if you have three lives
1972年(昭和47年)、coucouさんが10代のころ聴いた歌を想い出した。
子どもの頃から心配と迷惑をかけ続けてきたcoucouさんにとって、この歌はcoucouさんの人生をまったく変えてしまうかのように衝撃を与えづけた。
それは現在もまるで変わらない。
coucouさんは当時、アルバイトをしながら専門学校に通っていた。
だけど、この歌を聴いた瞬間に学校を辞めた…。
それが井上陽水さんの「人生が二度あれば」という曲で、
coucouさんの誕生日に手に入れたファーストアルバムだった。
昭和44年(1969年)、当時、coucouさんは井上陽水さんのことを知らなかったけど、赤塚不二夫さんの漫画の付録としてソノシートと呼ばれる塩化ビニール製のレコード盤が付録についていた。
当時、レコードを聴く機械などなかったけれど、その付録は手動で手で動かすことができた。
(みんな知らないでしょ?今だと笑っちゃう!)
彼の芸名はアンドレ・カンドレという不思議な名前で海外の人だと思っていた。でも、現実はまったく売れず、1972年にポリドールに移籍し再デビューした。
その歌が、「人生が二度あれば」だったんだ。
ただ、あまりにも、若すぎるcoucouさんには「青春」という言葉は理解できたけど、人生なんて言葉はまるで考えたこともなく、意識もしたことがなかった。
当時のcoucouさんの父は52歳(母は42歳くらい)。いくら働き盛りだといっても大正8年生まれ。他の人から見れば老人に近い時代だと思う。
(現代の52歳の人はとても若く見える)
coucouさんと弟は、この頃から父の仕事であるトラックの運送(自営業)を手伝っていた。それは、父の衰えを感じていたことと、いつまでもこの仕事を続けさせるのが辛かったからだ。
何といってもcoucouさんには、膨大なお金がかかりすぎていた。
子どもの頃から父と母は病院の入院費や治療費を稼ぐために二人ともダブルワークどころか、トリプルワークの日々、深夜も、朝も働きづくめだった。
coucouさんはね、子どもながらそのことを感じていた。
だから、これ以上自分のために人生を犠牲にしてもらいたくない、生きていることが負担を与えているんだと思い込んでいた。
そのことを誰にも話せない、誰にも相談できる人がいなかったんだ。
もし、無事に社会復帰出来たら、必ずこの恩を返したい、というのも生きる希望の一つだった。だから、勝てなかったけれど、負けなかったのかもしれない。
病院に、たまに面会に来る父や母はいつも疲れ切っていた。
そして、いつも心配そうな顔をする。
そんなこと子どもだってもわかる。
だから、いつも笑っていたことを想い出す。
だって、笑顔で良い子を演ずる以外、何も差し上げることができないからね。
「人生が二度あれば」、この歌は陽水さんが24歳ぐらい。
陽水さんのお父さんが65歳、母は64歳の頃の歌だ。
coucouさんはこの歌を陽水さんが歌うたびに黒いサングラスの中で泣いている姿を見て、一緒に泣き続けた。
あの当時の、65歳、64歳は現在と違い、誰が見ても老人だった。
今の60歳代は当時の50代のような若さがある。
当時の65歳、64歳を現代にあてはめてみると、75歳から80歳ぐらいかもしれないね。
『人生が二度あれば」作詞・作曲 井上陽水
父は今年二月で六十五
顔のシワはふえてゆくばかり
仕事に追われ このごろやっと ゆとりができた
父の湯呑み茶碗は欠けている
それにお茶を入れて飲んでいる
湯飲みに写る 自分の顔をじっと見ている
人生が二度あれば この人生が二度あれば
母は今年九月で六十四
子供だけの為に年とった
母の細い手 つけもの石を持ち上げている
そんな母を見てると人生が
誰の為にあるのかわからない
子供を育て 家族の為に年老いた母
人生が二度あれば この人生が二度あれば
父と母がこたつでお茶を飲み
若い頃の事を話し合う
想い出してる
夢見るように 夢見るように
人生が二度あれば この人生が二度あれば
人生が二度あれば この人生が二度あれば
出典: https://twitter.com/nipponfolksongs/status/678623087101743105
coucouさんは子どもながら、子どものためだけに人生をすべて犠牲にして生き続けた父や母のことをこの歌を通して考え込んでいた…。
あ~、そうかあ~人生をもう一度、もう一度やり直せたら。
人生が本当に二度あれば、父や母は本当の幸せな人生が送れたのかもしれない。coucouさんのせいで、二人の人生をなにもかも犠牲にさせてしまったという後悔と無念、悔しさと願いがこの歌にあった。
もう一回、coucouさんのいない別の人生を送ってもらえればと、それがこの「人生が二度あれば」という歌だった。
そして、二人ともこの世を去るまで、その寸前までもcoucouさんと弟を案じていた…。
ああ、人生が二度あれば…。
そして、もし、二度目の人生を送れるならば、父や母が本当に望んだ人生、好きな人生を歩んでほしいと願った。
あれから数十年が過ぎ、coucouさんはあの頃の父と母の歳を超えた。
もう、父や母はの世にはいない。
coucouさんはね、毎日、毎日、毎日、もう一度父や母に逢いたいと思っている。もう一度会ったら、あのときの父や母に、coucouさんの親になってどうだったのか、どう思っていたのか尋ねてみたい。
とうさん、何を考えていたの?
かあさん、何を見ていたの?
coucouさんはね、これでも、頑張ったんだよ!と話したい…。
想い出すたび、父と母には感謝しかない。
二人の我が子には、よくぞ生まれてきてくれた。君たちがいることでどれほど私たちの人生が彩られていることかと心から感謝している、という声が聞こえたような気がする。
でも、本当にcoucouさん兄弟が、この世に誕生しただけで良かったの…。
子どもとしてのcoucouさんの気持ちは、もし父と母に二度目の人生があれば、改めて父と母のもとに生まれてきたい、と心底願っている。
父は今年二月で六十五
My father is 65 in February this year
顔のシワはふえてゆくばかり
The wrinkles on the face just grow
仕事に追われ このごろやっと
I'm busy with work and finally these days
ゆとりができた
I was able to afford
coucouさんはいつも不思議に思っていた。小学生の頃から昼間のわずかな時間に雨戸を真っ暗にして寝ていた父。起きたときは笑顔だが疲れ切った顔をしていた…。そう、若かった父がいつのまにか、老人に見えた。
父の湯飲み茶碗は 欠けている
My father's hot water bowl is missing
それにお茶を入れて 飲んでいる
I put tea in it and drink it
湯飲みに写る
Reflected in a teacup
自分の顔を じっと見ている
Staring at my face
お茶も飲んでいたが、いつも一人でお酒を飲んでいた。母は飲めないのでいつも一人、そのお酒を飲みながら何を思い、何を考えていたのだろう…。
いつもその姿を見ていた。
母は今年九月で 六十四
My mother was 64 in September this year
子供だけの為に 年とった
Old for children only
母の細い手
Mother's thin hands
つけもの石を 持ち上げている
Lifting the attached stone
母は父より一回り若かった。
でもcoucouさんと弟は生れたのが随分遅かった。父が36歳、母は26歳の時の子どもだったから、小学校の学校参観日は他の父親がとても若く見えていた。coucouさんの10代後半は父は56歳、母は46歳となっていた。父母は、coucouさんと弟のためだけに年老いていった。
そんな母を見てると 人生が
When I see such a mother, my life is
だれの為にあるのか わからない
I don't know who it is for
子供を育て
Raising a child
家族の為に 年老いた母
Old mother for family
本当にこれで幸せだったのだろうか?本当に楽しかったのだろうか?もし、幸せだったとしたら何が幸せだったのだろう?何が楽しかったのだろう?
今のcoucouさんの年頃だ。
父と母がこたつで お茶を飲み
Father and mother drink tea with a kotatsu
若い頃の事を 話し合う
Discuss things when you were young
想い出してる 夢見るように 夢見るように
I remember, like dreaming, like dreaming
人生が二度あれば この人生が二度あれば
f you have two lives If you have this life twice
人生が二度あれば この人生が二度あれば
If you have two lives If you have this life twice
父と母が自分の人生を語る、聞くたびに胸が痛むcoucouさん。あんなに苦しかった父や母の子ども時代。戦争の最中の辛い時代に何があるのだろう?忘れられない素晴らしい想い出なんてあるの?若い頃、青春なんてあったの?
楽しかった日々があるの?
このラストの言葉はcoucouさんには衝撃的だった。
そう、「人生が二度あれば」という言葉が…。
もし、人生が二度あれば、一度目は子どもたちのため、二度目は家族のためではなく自分自身のために生きてほしい、と願う。
coucouさんです。
みんな、ごきげんよう!
coucouさんはね、人生が二度、三度あったならばどうしよう、と真剣に考えたことがあった。(たら、れば)
でも、考え続けていると、今までと違う人生のことなんてどうなるのかはわからないけれど、今までの人生よりは多少ましなのではないか、とも思った。
でも、さらに考え続けたんだ。
それはね、今までの人生は確かに辛く、とても苦しかったのだけれど、父や母がいたために、どれだけ救われたのか?どれだけ支えられてきたのか?と考えてしまうと、こんなにも素晴らしい人生はないのではないのか?と考え込んでしまうんだ。
もし、苦しく、辛い人生でなかったら、違う人生を送ったとしたら、こんなにも喜びと、幸せを感じるときがあっただろうか、と疑いがでてしまうんだ。
苦しくて苦しくて、
辛いからひとつになれた。
ひとつとなった。
全身全霊で生きようとしたし、良くなろう、って最大限努力し続けた。
結果は、すべて夢破れ、さらに悲惨な時代が過ぎたけれど、愛する心とか、信頼する心、幸せを感じる心が、どんな人よりも、とても強なったような気がする。
coucouさんと弟の二人は、力を合わせて父や母の世話をさせていただいた。父や母は歳と共に、子どものように何もできなくなった。
coucouさんたちは、まるで子どもの世話をするかのように毎日世話をさせていただいた。
でも、そんなことに一切の苦痛など感じなかったし、仕事がなければもっと、もっとお世話をさせてもらいたいとも願っていた。
こんなことは不謹慎かも知れないけれど、大変だけど、毎日が楽しく、充実していた。
そう、毎日の行動は習慣化して、現在も朝は6時前から活動が止まらない。
それは、毎朝父や母の世話をさせてもらい続けていたから、その習慣が父や母がこの世を去っても身体はしっかりと覚えていて自動的に動いてしまう。
今は、毎朝、note記事を書く時間に置き変わったけれど、身体はそのまま止まらない生活が続いている。
そして、最近になって気がついたことがある。
それはね、父や母のお世話がとても楽しくて、嬉しくて、幸せだったこと。おそらく、自分の今までの人生でこんなに幸せだったことは思い出せない。何よりも、生きていてくれるだけで嬉しい。
生きていてくれて、この世に存在していてくれるだけで、どれほどの勇気と支えをもいただいていたのか言葉にならないくらいの幸せだった。
(現在も、まだ胸の中の大きな空洞のまま風が通り抜けている…)
これは、coucouさんの弟も同じだと思う。
そしたら、同時にcoucouさんの子ども時代を想い出した。
当時は確かに、coucouさんは不治の病だったかもしれない、生まれたときから病気持ちの医者が通い。
自分でできることなど何もない。
何もかもしてもらい続けていたcoucouさんがそこにいる。
coucouさんは幼いながら、父や母に負担と迷惑ばかりかけている余計な子どもだと、ずうっと信じてきた。
だけど、当時の父や母は、振り返るととても明るかったことを想い出した。
coucouさんよりさらに幼い弟を背負い、仕事をして、疲れ切ったままでその合間に病院に顔を出す。
当然、毎日は無理。
父と母は交代で何年も病院に通う。
とても、酷い子どもだと自分を恨み続けたcoucouさん…。
でも、父や母はそんなことはお構いなし、とても明るい。
今、思えば、その明るさにも救われていた気がする。
もしかすると、
父や母は幸せだったのかもしれない…、と思うようになった。
特に退院して自宅療養となったcoucouさんのすべての面倒を見る。
まるで、coucouさんが父や母にさせていただいたようなことをする。
毎日が充実し、家族が一つ屋根に暮らす。
父や母の幼い時からの夢を、
coucouさんと弟がかなえてあげたような気がする。
毎日、毎日、二人の子どもたちの成長だけを楽しみに、それがcoucouさんたちが唯一与えることができた両親への恩返しだったかもしれない、と感じるようになった。
それが、父や母の面倒を見させてもらってきた、coucouさんと弟の幸せと同じことだったのかもしれない、そう思うようになった。
人のために何かをする、人に必要とされる、こんな喜びはないよね。
そう、思った。
そうなんだ、みんなとても不幸だったけれど、とても幸せだったんだ!
coucouさんはね、人生は一度だけでいいと思う。
こんなに大変で、辛く、苦しくとも、こんな幸せなんて二度と味わうことができないし、二度、三度の人生をさらに繰り返せたとしても、こんなにも濃厚な人生はあり得ないと思うからさ。
coucouさんと弟は、いつの間にか、あの頃の父と母の歳を迎えた…。
毎朝、父や母と過ごしていた時間がこのnote記事に変わった。
このnote記事は、この記事を通して毎日、父や母に語りかけているような錯覚に陥ることがある。
この時間帯はcoucouさんにとって、とても貴重で大切な時間だからね。
もうすぐ365日、一年を迎える。
とうさん、かあさん、褒めてほしい。
coucouさんと弟は二人のように、幸せになるからね。
きっと、この声、届いていると思う。
そうだね、人生って、一度あればいいのさ!
みんな~
ありがとう~
みんなのおかげで頑張れているよ~
こんなcoucouさんの戯言、独り言につき合ってくれて、
でも、とても嬉しい~
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