人は"自由"のために学ぶんだと思う。
幕末の名著「言志四録」に学ぶ
東洋の生き方学 No.13
言志録 第十三条
『人はなぜ学ぶのか?』
人はなぜ学ぶのか?
誰でも一度や二度は考えたことがあると思います。
私も何度も考えました。
そして、何度も何度も考えた結果、
私なりに一つの答えに辿り着きました。
人は"自由"のために学ぶ
人は肉体という有限の存在と共にあるが故に
ある種の「枠」の中で生きています。
肉体という「制約」が私たちを縛り、
それ故に、私たちは無限を志向するのです。
その無限を志向する精神こそ
「自由」という概念です。
人は自由に憧れる。
自由で在りたいと願う。
これが人間という存在の本質だと言っても過言ではありません。
肉体的、物質的、そして環境的な自由を求めたとしても
それは結局「有限の世界」の話であり、
行き着く果ては不自由であります。
しかし、その有限との闘争と、その存在の完全なる否定によって
「自由」という概念が生み出されるのです。
自由とは、物質世界の問題ではなく
精神世界、つまり心、魂の問題であります。
ここに学問の本質的目的があるんだと想います。
学問によって、
得をしたいだとか、評価をされたいだとか、
人より優位に立ちたいだとか、
そういうものは、人間の本質から遠ざけてしまうわけであります。
学問という営みを本質的に捉えるならば、
学問を通して現実世界(物質による制約という意味で)を
完全に否定することが求められます。
学問の目的は
その知性によって完全に物質世界を否定することにあります。
つまり、学問は自由のためにあるということです。
学問を魂の問題へと昇華させなければ、
学問は人間をより人間的ではない存在へ変えてしまいます。
学問は魂の問題であり、
魂への問いと答えであります。
そして、学問の筆頭として挙げられるのが読書です。
読書もまた、魂の問題であるということです。
私たちは自由のために学問を為し、
学問のために読書をする。
自由のために学び続けて行きたい。
言志録 第十三条 引用
言志録 佐藤一斎著 第十三条
【原文】
学を為す。故に書を読む。
【訳文】
読書は学を為すための手段である。
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