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【進撃の巨人】始祖がもたらす影響には過去も未来も無い?【SF考察】

『進撃の巨人』関連の記事はこれで14個目になるのですが、記念すべき13個目がnote公式にピックアップされたおかげでかなりの反響がありました。閲覧数が1週間で12万件近くあったようです。こんなことになるなんて思ってなかったんや…。

ついでに最終回考察記事もピックアップされてこちらもかなり読まれたようです。Twitterでこれすごいと共有してもらったり直接コメントをいただいたり少しは報われた気持ちです。

自分の中ではもう書き切ったかなとは思っていましたが、一つやり残したことがありました。⑧で触れ、最終回でも言及され多くの読者を悩ませた「始祖がもたらす影響は過去と未来で同時に存在する」という部分のSF考察です。鶏が先か?卵が先か?

今までSF設定の考察は控えていましたが、一連の出来事から「エレンの干渉によって生じたグリシャがレイス家を虐殺した過去」と「グリシャがレイス家を虐殺したことで生じた記憶の旅でエレンがグリシャに干渉する未来」がタイムパラドックスを起こすことなく同時に存在していることになります。このあたりのSF考察は時間があったら番外編でしたいですね。ほんとはこういうの大好きなので。

【29〜31巻】『進撃の巨人』で描かれた多種多様な「自由」を紐解く⑧

古今東西のSF作品において過去に遡って歴史に干渉すると何かしら矛盾が起こり、それをタイムパラドックスといいます。タイムパラドックスを解消する方法として様々な考え方が発明されてきましたが、『進撃』の場合はそれが物語のテーマや設定と深く結びついているのがとてもおもしろいと個人的に思っています。今回はそれをテーマに書いていこうと思います。

まず、『進撃』における現実ではありえない超常現象のすべてはこの「道」の3大原則で説明できるとわたしは考えています。

  1. すべてのユミルの民は「道」で繋がっている

  2. 「道」を通して巨人の体や記憶が送られてくる

  3. すべての「道」は座標=始祖の巨人で交わる

ここで勘違いしやすいのが、例えばAさんとBさんがいてAとBは直接「道」で繋がっていると解釈してしまう人がいるところです。もしAとBを直接繋げる「道」があるとしたら、その「道」は始祖の巨人を通っていないことになり3つ目と矛盾します。なので1つ目の解釈はすべてのユミルの民は始祖の巨人を経由して繋がっていると考えるのが自然でしょう。

したがって、例えばエレンがグリシャの記憶を見るという現象は、
1. グリシャの記憶が始祖に送られる
2. 始祖にグリシャの記憶が保存される
3. 始祖からエレンへグリシャの記憶が送られる
ということになるとわたしは考えています。

ここで、始祖の巨人には過去と現在、そして未来の記憶といったユミルの民に関わるあらゆる情報が保存されているのではという仮説が立ちます。(ロッド・レイスの言葉を借りて「世界の記憶」と呼称します)

この考え方はフィクション作品によく登場していて『コードギアス 反逆のルルーシュ』の「Cの世界」や『仮面ライダーW』の「地球の本棚」が有名でしょうか。ほかにもオカルト界隈ではアカシックレコード(アーカーシャ)やゼロ・ポイント・フィールド仮説なんて呼ばれていることもありますね。物理学の相対性理論も近い考え方かも?

わたしが最初にこう考えたきっかけは第135話「天と地の戦い」で始祖ユミルが歴代の9つの巨人を召喚したことです。つまり始祖は歴代の全てのユミルの民や巨人の情報を持っているのではと予想しました(巨人を砂をこねて作っていたのは始祖ユミルなのでそれで覚えていたでも辻褄は合うが)。

こう考えると「道」の世界で死者と再会した描写にも納得がいきます。死んだ人間はどうなるのかという考え方はインド哲学では輪廻転生、キリスト教では天国か地獄へ行くというのが有名ですが、ユミルの民は始祖に情報が保存されているので死後は実質「道」の世界へ行くことになるのでは?

ハンジは死後「道」の世界へたどり着き、そこで先に死んでいった調査兵団メンバーと再会したのでしょう。彼らの服装は死んだときと同じで、その状態が情報として保存されていたということです。生きながら「道」の世界へやってきたアルミンとジークも同様にクサヴァーたちと再会できましたね。

そして最終回では全ての戦いを終えた調査兵団の前にかつての仲間たちが現れました。敬礼をした直後にその姿は消えてしまいましたが、これは始祖ユミルが巨人の力を手放したことで「道」の世界が消失したと同時に彼らも消えてしまったということなのでしょう。消えてしまう前に最後に会いに来てくれていたと考えればロマンチックですよね。

話が逸れますが、ジークが無垢の巨人を操ることができる仕組みも3大原則を拡張したものだと捉えると納得がいきます。ジークの脊髄液で巨人化した巨人は獣の巨人を介した道でジークと繋がっていると作中で説明されています。

つまり、例えばAさんがジークの脊髄液を接種することで本来は存在しない獣の巨人(ジーク)Aさんを直接つなぐ「道」が生み出されるのでしょう。だからジークはその「道」を通して始祖の巨人と同じようにAさん巨人に命令を下せるということです。

話を戻します。始祖の巨人のデータベースに過去と未来の情報が同時に存在するということは、視点を変えると始祖ユミルが巨人の力を得てからそれを手放しすまでの約二千年間の物語は最初から全て決まっていたということになります。まさに運命の呪い。ただしそれは全ての自由意志が織り込み済みで決まっている必然の未来であろうということは以前の振り返りで考察したとおりです。

第1話のタイトル「二千年後の君へ」と第122話「二千年前の君から」もそれを示唆しているものなのでしょう。始祖ユミルが二千年後にエレンとミカサが現れるのを知っていたかどうかはわかりませんが。タイトルが始祖ユミルからの言葉だとすると知っていたということになりますし、未来の記憶にアクセスできるのは進撃の巨人継承者のみと考えると知らないということになります。どっちでもいいということでこのあたりはご想像にお任せします。

ここで重要になるのが、二千年間の物語を誰が決定したのかということです。最終139話でエレンから明かされたのは、始祖の巨人がもたらす影響には過去も未来もなく同時に存在する=過去に介入することも織り込み済みで歴史が全て決まっているという事実でした。歴代の始祖継承者が過去干渉できる可能性があったということは、最後に誰の影響が反映されるのか?

これに対し大きく分けて二つの考え方があります。

一つ目が最後の始祖の巨人継承者であるエレンが全知全能の神になり全てを決定したというもの。

エレンは最終話でこう言いました。
「あの時ベルトルトはまだ死ぬべきじゃなかった」
「だから見逃してに向かわせたのは

これを素直に受け取ると、エレンは始祖の能力でダイナ巨人に干渉しベルトルトをスルーさせてカルラの元へ向かわせたと解釈できます。

マーレ組が壁を破壊するまでを描いたシーンはアニメ化の際に大幅に省略されましたが、このスルーシーンはしっかり映像化されていたためかなり重要なのかもとは思っていました。おそらく諫山創先生からカットしないでと注文があったのでしょう…。

これが正しいとすると、エレンが見ていた記憶の断片の中にダイナ巨人がベルトルトを見ていた記憶(右上)があるのも理解はできます。ダイナ巨人にエレンの意識が乗り移り操っていたというイメージです。

余談ですが真ん中左のファルコは鳥目線の記憶ということになるのですが、エレンはあらゆる時代に鳥になって赴いて世界を俯瞰していたのかもしれません。最終話で鳥になる?ことへの伏線ですね。

本題に戻します。神エレンがあらゆる時代に干渉し全てを自由に決定することができた、だから自分たちがよく知っているエレンはそれに従うしかなかった、だから「仕方なかった」。

ほんまに?ってなりませんかね。
筋が通っていたとしても。

もしそうだとしたら、もっと上手い方法はなかったの?という話になります。『進撃の巨人』の全ての物語をエレンが決定したというのなら、サシャやハンジ、もっと言えばカルラやハンネスなどが死なないルートだってうまく調整すればあったかもしれません。

それに、エレンがなんとなくそう読める発言をしただけでエレンが全てを操っていたことは明確に描写されていません。ジークが無垢の巨人を操っていたのとはわけが違います。であればないものはないと考えるのが自然かつスッキリするでしょう。

ここで登場する二つ目の考え方が、エレンよりさらに上位の「何か」が全てを決定したというもの。もしくはそんな存在はおらず全ては自動的にそうなったとする考え方です。

この二つは矛盾するようで両立するとわたしは考えます。その神秘的な「何か」が考えた結末を実現するためにあらゆる因果が自動的に決まっていったとしたら…?

ものすごくわかりやすくメタ的なことを言うと、その「何か」とは作者である諫山創先生のことです。

その「何か」は考えていました。最後に始祖の巨人を掌握する自由の奴隷エレンは地鳴らしで世界を滅ぼそうとする。巨人の力とは「こうありたい」「こうなってほしい」という欲求そのもの。であればその願いを叶えるためには二千年間でどんな物語が必要になるだろう?

そのために二千年間の全ての因果が「見えざる手」によって自動的に決定されたとすれば辻褄が合います。

始祖ユミルが巨人の力を得てからそれを手放すまでの一つ一つの事象は(悼みと恨みの)円環構造になっており、過去と未来は同時に存在するのです。鶏と卵のどちらが先か、答えは両方とも先(同時に存在するから)ということです。これでタイムパラドックスは解消されました。

ただ、エレンが全てを決めたわけではないとしてもダイナ巨人の謎は残ります。ダイナ巨人を操ったのはエレンなのか、それとも「見えざる手」なのかは本当にわかりません。ただどちらにせよ、エレンが世界を滅ぼしたいと願ったことがきっかけでカルラが死ぬことになったのは間違いないでしょう。

母親が死んだのは自分が直接手を下したからなのか、それとも「見えざる手」によって自動的にそうなってしまったのか、でもどちらにせよ原因は自分自身にある、そもそも自分には自由意志があったのか…? 地鳴らしをしたいという欲求は自分のものなのか…? 終わりのない問答を繰り返したエレンは「頭がめちゃくちゃになった」としても不思議ではありません。

もし「見えざる手」が答えだったとして、じゃあなぜエレンがダイナ巨人の記憶を見ていたのという話になるのですが、例えばヒストリアは父ロッド巨人の首を斬った瞬間ロッドの記憶を見ていましたし、ユミルが書いた手紙に触れた瞬間ユミルの記憶も見ていました。なのでエレンがダイナ巨人に触れて初めて始祖の力を発動したときにダイナ巨人の記憶が流れ込んできたのかな〜なんて考えています。

そしてこのエレンでさえもどうすることもできない円環構造の物語は運命決定論の世界で自由意志は存在するのかという自由哲学を問うているのです。

そんな世界でエレンは全ては自分が決めたことだと自らの選択を引き受けていました。と、わたしは読んでいるだけですが。 あなたはどう思いますか?

そして始祖ユミルが巨人の力を手放したことで「巨人のいない世界」=「運命の呪いから解き放たれた自由な世界」になったということです(つまりジョジョ6部)。最後の最後まで『進撃の巨人』は自由の物語でした。

ここまで過去と未来は同時に存在するという話を繰り返してきました。これでわかるのは、この物語の世界観には過去改変もパラレルワールドもタイムリープもないということです。過去から未来までが決定された一本道のタイムラインだけがそこにはあります。分岐も平行線も繰り返しもありません。

もしそんなものがあれば「悔いなき選択」とは一体何だったのかという話になってしまいます。少なくともわたしはそんな結末納得できません。だから「全ての自由意志が織り込み済みで決まっている必然の未来」などと言っているのです。

完結前、というより物語開始当初から巷ではループ説が囁かれていました。事の発端は第1話でエレンが(進撃の巨人を継承していないのに)未来の記憶を見たことです。

実はミカサには何か不思議な力があるのでは?と一部で噂されていました。ではここで2013年にアニメのBlu-ray特典として発表されたミカサのスピンオフ小説『Lost in the cruel world』に着目しましょう。マンガ化やアニメ化もされましたね。

簡単に説明するとこういうお話です。
それは「死んでしまったらもう あなたのことを思い出すことさえできない」の直前に起こった出来事…

  • ミカサはエレンが巨人に喰われた現実を受け入れられない

  • 「もしこんな現実が嫌ならもう一度やり直してみるといい」という声

  • 気がつくとそこは父と母と3人ですごしていたあの山小屋

  • この世界ではミカサにとって都合のいいことが起こり続ける

  • 「しかしそれでもあなたはエレンの死を止めることはできない」

  • エレンはこの世界でもアルミンをかばい死んでしまう

  • 「あなたは強くなって元の世界へ戻らなければいけない」

  • ミカサは現実に戻りエレンの死を受け入れ、そういう運命だとしてもエレンを想い続けると誓う

要はジブリの『千と千尋の神隠し』『君たちはどう生きるか』でも採用された「生きて帰りし物語」です。嫌なことだらけの日常から非日常の世界へ迷い込み、試練を乗り越えて成長し日常に戻ってくるお話です。ファンタジーで強くなり現実と向き合えってことです。

この話は一見すると非常に難解なエピソードで、わたしも初めて読んだ高校生のときはわけがわかりませんでした。よってあまり重要なエピソードではないだろうと評価していました。完結までは。

これを一部の人たちは「ミカサが『時をかける少女』のようにタイムリープしていて前の世界の記憶を見ている」と解釈したようです。そして頭痛はタイムリープしている証だの東洋の王家である将軍家には時を超える力があるだの様々な妄想考察が飛び交いました。

当時からわたしは「それはないだろ」とは思っていましたが、それは今も変わっていません。

そもそも『進撃』における超常現象は例の3大原則が根拠になっています。なのでそれと関係ない将軍家には何の力もないというのがわたしの解釈です。

そもそもループややり直しが行われているとしたら先に述べたように「悔いなき選択」とはなんだったのかという話になりますし、『進撃』の世界観においてそれで全て解決しましたでは面白くないですよね。

じゃあこの外伝はなんだったのとなりますが、この物語は実は最終決戦のミカサの体験と全く同じプロットなのですよね。おそらく2013年の時点で最終決戦でミカサがエレンを殺すプロットは決まっていて、それの伏線として全く同じプロットのミカサの物語が外伝として用意されたのでしょう。つまりこれは「道」の世界のお話?

重要じゃないと思っていたエピソードが実は物語の最後を紐解くのに一番重要だった…オタクが大好きなやつです。まんまと嵌められました。まったく諫山創は最高だな!

ここまで色々書いてきましたが、まとめると始祖の巨人には過去と現在、そして未来のあらゆる情報が保存されていて、運命の因果は全て最初から決まっている。これが過去と未来が同時に存在するの答えだというのがわたしの現在の見解です。

今までnoteで何万字書いたかはわかりませんが、わたしも『進撃の巨人』を通してかなり「強くなった」のではないかと思っています。でもファンタジーの世界に引きこもっていてはいけないですよね。

わたしも元の世界へ戻らなくてはなりません。まずは現実の修士論文と戦おうと思います。2月までは更新しないかもしれませんが、また会えるその日まで。

ありがとうございました。

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