【26〜28巻】『進撃の巨人』で描かれた多種多様な「自由」を紐解く⑦
「プロフェッショナル 仕事の流儀 エレン・イェーガーSP」を見ました。
普通によかったですね!ネタ番組かと思いきや半分くらいはかなり真面目な内容で、とくに地鳴らし直前のエレンの心境が語られるかなり貴重な資料になっていたように思いました。しかもかなりエレンの核心をついていて誰が脚本を書いたんだろうと思いましたが、それを書いたのが梶裕貴さんご本人と。もうこの人すごい通り越してこわい。
このパートはどうすれば人が自由になれるのかを描くための前段階のパートで、端的に言えば苦しい展開が続きます。
パラディ島へ帰還した調査兵団でしたが、勝利の代償はあまりにも大きいものでした。アルミンはエレンに渡せなかった貝殻を手に、眠り続けるアニに過去の後悔を語りました。
調査兵団はジークの命を受け島にやってきた「反マーレ義勇兵」と接触します。義勇兵の協力でマーレ軍を捕虜にとった調査兵団は、彼らと島の技術の発展をめざすことになったのです。
最初は疑心暗鬼だった者たちも時間をかけていくなかで少しずつ打ち解けることもできました。マーレ料理の達人ニコロもその一人です。アルミンたちは壁の外の世界にもわかり合える人がいるのだと希望を持つようになります。
しかし彼らとエレンとの認識の差は深まる一方でした。父親の記憶で現実を知ってしまったエレンはどうやったらこの状況を変えられるのか考えていました。
…世界から見れば オレたちは巨人に化ける怪物だ
そこに誤解はないだろ?
差別というものは恐怖から生まれることが多く、それは偏見や無知が原因であることがほとんどです。しかしエレンたちの世界では、ユミルの民は偏見や無知が原因で恐怖の対象とされているわけではありません。ユミルの民は本人の意思とは関係なく巨人に化け人を喰らうこともある種族、そして過去に巨人の力で殺戮の限りを尽くしたという事実が激しい憎悪を生んでいるのです。
世界中が自分たちを悪魔の民族と恐れている。時間をかければ和平の方法はあるかもしれない。だが世界連合軍の集結が迫っている。でもここで巨人の力を手放せば地鳴らしの抑止力を失い豊富な地下資源の争奪戦でこの島は戦場になる。誰もどうしたらいいのかわからない。誰も行動を起こせない。そんな状況の中でエレンは和睦の道を断つという決断を下したのでした。
アルミンたちはエレンの選択に応じるほかありませんでした。憎しみから逃れ自由になるには、力で解決するしか方法はないのでしょうか?
調査兵団帰還後、兵政権がエレン、ジーク、義勇兵を拘束します。調査兵団はそのことを知らされていませんでした。ここからエレン、ジーク、兵政権、調査兵団の4つの勢力による主導権争いが始まります。
エレンが拘束されたという情報はフロックたち「イェーガー派」によって瞬く間に壁内に広まってしまいます。兵団への疑心暗鬼が募る中、ハンジは兵団と民衆の板挟みに苦しみます。
ハンジはリヴァイの独断によって調査兵団団長にならざるを得ず、さらにはエルヴィンから後任を任せる理由を説明されていなかったため、団長という立場を自分のものだと引き受け切ることができませんでした。
対照的に自らの「使命」を引き受けたのが、イェーガー派のボス的存在となったフロックです。
フロックはウォール・マリア奪還作戦にて、エルヴィンやリヴァイのような特別な人間に「使い捨て」られ死を覚悟するもたまたま生き残ってしまいます。それからフロックは自分が生き残った意味を探し求めるようになりました。
最初に目をつけたのが瀕死のエルヴィンを「悪魔」として蘇らせることでした。犠牲を厭わない悪魔のような人間を地獄に呼び戻すのが自分の使命だと考えましたが、リヴァイによって失敗してしまいます。
生き残った意味を見出せないフロックでしたが、エレンとイェレナを密会させたとき転機が訪れます。エレンの計画を聞いたフロックはエレンこそが自分が求めていた「悪魔」なのだと理解しました。自分は凡人だがこの非凡の力を持つ悪魔に仕えることでフロックは生きがいを見出そうとしたのです。
フロックはイェーガー派という悪魔に仕える群衆を率い頭角を表します。エレンを信仰するイェーガー派は「力こそ全て」の呪われた群衆となったのでした。
「心臓を捧げよ」はともかく「死んだ甲斐があった」はトロスト区奪還作戦で使われたフレーズですが、恐怖と力の奴隷となった集団がこのフレーズを使ってもただ空虚なだけで、同じセリフでも初期と全く印象が異なるのが面白いところです。
その頃、捕まっていたガビとファルコは脱走し親切な女の子に助けられますが、その子はかつてサシャに救われた少女カヤでした。二人はサシャの両親が営む厩舎で過ごすことになります。
ガビは島の悪魔がこんな親切なはずないと素直に受け取ることができません。そんなガビにカヤは二人がマーレから来たことを知っていたとを明かします。
カヤは命の恩人であるサシャのような人になりたいと二人を助けたのでした。そしてカヤの手引きで二人はマーレ人のニコロと接触するのですが…
サシャを殺したのがガビだと判明し、ニコロは二人に襲いかかりました。ニコロにとってサシャは自分を救ってくれた、本当の自分を知ることができた大切な人だったのです。
ファルコを人質に取ったニコロはサシャの父に刃物を渡しますが、なんと彼はガビをかばいさらに許すというのです。「せめて子供達だけはこの森から出してやらんといかん」と。
しかしカヤは納得できませんでした。ナイフを手にガビに復讐しようとするほど怒りが抑えられず、泣き叫ぶ声がレストランに響き渡るのでした。
サシャは「森を彷徨った」から死んでしまったと父は語りました。本当の自分を掴み人を救ったサシャも、結局は戦争で命を落としてしまう。こんな不条理な世界でサシャがなりたい自分を見つけたことは意味がなかったのでしょうか? サシャの死に生者たちが意味を与えるのはもう少し先のお話。
その悲劇の直後エレンたちイェーガー派がレストランを占拠します。エレン、ミカサ、アルミンの3人は「話し合い」の場を設けることに。
エレンは自分の選択に対して「オレの自由意思が選択したものだ」と語りました。
その上でアルミンを「ベルトルトに脳をやられちまった役立たず」であるとし、ミカサをも「アッカーマンの本能に支配された奴隷」と非難します。エレンはさらにそんな奴隷のミカサが「嫌いだった」とも言い放ちました。
(アニメでは「大嫌いだった」にパワーアップして界隈をざわつかせましたね…そのうえであの原作138話がお披露目されて…あぁ)
怒りのあまり殴りかかるアルミンでしたがあっさり返り討ちにあいます。アルミンはエレンに「…どっちだよ クソ野郎に屈した奴隷は…」と一言。この一言はエレンにかなり刺さったようでした。
エレンは自由を渇望するあまり「自由の奴隷」となったのか?
このあたりは、アニメ完結編後編PVにて判明した新たに追加されたセリフが絡む内容なので、アニメが終わってから考えることにします。
一方その頃ジークはリヴァイによって死にかけていたのですが、薄れていく意識の中で恩師の姿を思い浮かべていました。
ジークの父グリシャは、マーレに殺された妹に報いるためエルディア復権という夢に「酔っ払って」いました。王家の末裔ダイナともそこで出会い、二人は結婚します。
二人の間に生まれた子供は、ドイツ語で「勝利」を意味する「ジーク」と名付けられました。その名の通りジークは生まれながらに「エルディアに勝利をもたらす」という使命を与えられていたのでした。
ジークが生まれたこの世界は想像以上に厳しいものでした。一見ごく普通の人当たりのいい掃除のおじさんが「職場を穢しやがって」と罵声を浴びせ、勝利のためにマーレの戦士候補生を目指すも落ちぶれ、親にはがっかりした表情をされ…
そんなあらゆる呪いを背負ったジークでしたが、獣の巨人継承者のクサヴァーさんと知り合いキャッチボールをする仲になります。
その矢先にジークはマーレ当局がエルディア復権派の尻尾を掴んだことを知ります。両親が復権派だと察していたジークは忠告しますが聞く耳を持ってもらえません。そこでクサヴァーはジークに密告すれば自分や祖父祖母は助かると助言し、ジークはそれを実行してしまいました。
それから数年、マーレへの忠誠と成績が認められジークは獣の巨人の継承権を得ます。クサヴァーから始祖の巨人はユミルの民の体の構造を変えることもできると聞いたジークは「子供を生まれなくすることもできるかな」とつぶやきます。そもそも自分は生まれなければよかったとあの清掃員のおじさんを思い浮かべながら。
クサヴァーもまた自分がこの世に生まれなければよかったと後悔していました。エルディア人であることを隠して子供を作り、それがばれて妻は子供とともに心中してしまった過去があったのです。
ジークとクサヴァーは始祖の巨人の力を使いユミルの民から子供を生まれなくすることで安らかな滅びをもたらす「安楽死計画」を考案します。マーレのためではなく、自分やクサヴァーさんのために始祖の巨人を奪還するとジークは決めました。
こうしてクサヴァーはジークに二つの呪いをかけました。一つは安楽死計画という人を酔わせる夢をジークに託したこと、もう一つは両親は君を愛さなかったと決めつけジークに密告させたことです。この二つでジークの心は壊れてしまいました。
ジークはクサヴァーから夢と記憶、巨人を引き継いだ証として眼鏡を譲り受けます。それはクサヴァーと同じ景色を見ることができる「色眼鏡」となりジークを呪い続けるのでした。エルディア人には生きる価値がないとジークが考えているのもこの呪いのためです。
『進撃の巨人』では「生まれたからには自由であれ。なりたい自分になれ」という思想が善悪問わず物語全体で描かれてきました。それに対して安楽死計画は「生まれなければ苦しまなくていい。奴隷の運命を受け入れ滅びよう」という今までとは真逆の思想を背景に持っていることがわかります。
ただジークの思想は課題に対する問題の消失しか考えられておらず、根本的な問題の解決にはなっていません。そのためジークは『進撃の巨人』の物語における超えるべき思想を持ったラスボスなのです。
前回の最後では本音と建前という考え方を導入しましたが、本章の最後ではエレンの本音に迫ってみようと思います。
エレンの本音が垣間見えたのが、鉄道開通工事の帰りに思わずエレンが「長生きしてほしい」と口走ってしまったこのシーン。
この物語が「ミカサやアルミンたちを救う」物語であるなら、これは間違いなくエレンから出た本音の言葉でしょう。しかし今のエレンはそんな大切なミカサやアルミンを傷つけてまで地鳴らしを実行しようとしています。ジャンは「何か真意があるんじゃ」と予想していますが…
しかしエレンの真意に気付いたものは誰もいませんでした。いつかそれが語られる日がくるのか?
次回はついに地鳴らしが発動する29〜31巻です。
終わりが見えてきた。報われたい。