【29〜31巻】『進撃の巨人』で描かれた多種多様な「自由」を紐解く⑧
ジークの脊髄液入りワインでイェーガー派は兵団を制圧します。シガンシナ区に兵が収容される中マーレ軍が奇襲を仕掛け街は戦場となりました。
一方捨て身の自爆で体が真っ二つになったジークでしたが、巨人のお腹に取り込まれ「道」で出会った始祖ユミルによって復活を遂げます。(安楽死計画の首謀者が赤子が産まれるみたいに出てくるのが良い)
ジークはシガンシナ区に到着し、かつての仲間たちを投石で蹂躙します。それでもマガトとピークの奇策に追い詰められ、ジークは「叫び」でファルコたちを巨人に変えてしまいます。
ジークの信念は「生まれないことこそが真の幸せ」であり、人が生きていることに価値はないと考えています。なのでかつての仲間であろうと同胞のエルディア人であろうと殺すことに全く躊躇がありません。むしろこれから生まれる子供を救ってやったと考えていますし、さらに殺人をゲームのように捉えている一面もあります。
エレンはガビに頭を吹き飛ばされるも事切れる寸前にジークと接触を果たします。その瞬間二人は全ての道が交わる座標、すなわち「道」の世界へとたどり着くのでした。
ジークはエレンに安楽死計画を実行しろと頼みますが、エレンはそれを断固拒否します。当然ですけどね。ジークはエレンが父親に洗脳されていると決めつけ、始祖の巨人の力でエレンを彼自身の記憶の世界へ連れ込みます。
エレンにとってのグリシャは良き父でした。グリシャはクルーガーの「壁の中で人を愛せ」という遺言に従い、エレンを愛し自由に育てていました。早い時期に壁の王の根城を突き止めていましたが、復権派の務めもためらっていたのこともわかります。
ついにマーレによる攻撃が始まり、グリシャは壁の王フリーダのもとへやってきます。そこで語られたのは壁の王が争いを放棄した理由でした。
巨人という強大な力に対して人はあまりに弱い。だから人の手から巨人の力を守らねばならない。だから、巨人の力の根源であるエルディア人は罪を受け入れ滅びなければならない。エルディア人には生きる価値はない。裁きの運命を受け入れるときがついに来たのだとフリーダは語りました。
もうお分かりでしょうが、この壁の王の思想もまた『進撃の巨人』における自由思想と真っ向から対立する奴隷思想であることがわかります。実際、それを聞いたエレンは激怒していましたし。
ジークの安楽死計画との違いは、ジークは積極的にエルディア人を滅ぼし問題の消失を図ったのに対し、壁の王は地鳴らしが抑止力になる間は幸せに生きてその後滅びるという問題の先送りを図った点でしょう。ただしどちらも運命の奴隷であることには変わりありません。
その破滅的平和思想は、自由を求め戦う進撃の巨人継承者グリシャによって淘汰されます。さらにこの行為はエレンが過去に干渉しグリシャを唆した結果であることも明かされました。
さらにジークとグリシャは記憶の旅の中で再会することができたのです。グリシャはジークに心から謝罪し「お前を愛している」と伝えました。クサヴァーがかけた呪いのうちの1つが解消され、ジークはようやく自分が生まれてもいい存在だったと気づくきっかけを得たのでした。奴隷解放の第一歩です。
今までSF設定の考察は控えていましたが、一連の出来事から「エレンの干渉によって生じたグリシャがレイス家を虐殺した過去」と「グリシャがレイス家を虐殺したことで生じた記憶の旅でエレンがグリシャに干渉する未来」がタイムパラドックスを起こすことなく同時に存在していることになります。このあたりのSF考察は時間があったら番外編でしたいですね。ほんとはこういうの大好きなので。
エレンとジークは決別し、ジークが始祖ユミルに安楽死計画実行を命じます。エレンがそれを止めようと始祖ユミルに触れたとき、エレンは彼女の奴隷として生きてきた過去を知ることになったのでした。
ヒストリアとフリーダの「女の子らしさとは」の話から始まり、遡ること今からおよそ二千年前。ユミルは小さな村の貧しい少女でした。その村では結婚式が行われていて、親を知らずに育ったユミルは口づけを交わす男女を見て愛や人と人の繋がりを知ります。いつか自分もそんな人に出会えるのかも…なんて考えていたのかもしれません。
部族エルディアの長フリッツはそんなユミルが住んでいた村を侵略し、降伏した村人を舌を切り落とし奴隷としました。奴隷には自由に話せる口など必要ない時代だったのでしょう。身寄りを失ったユミルもその一人となりました。
ある日、家畜だった豚を逃した者がいると奴隷が集められ、奴隷たちは一斉にユミルを指差しました。ユミルは反論もできず身寄りもいなかったため犯人とされてしまいます。
フリッツは犯人となったユミルを「おもちゃ」にしました。片目をくり抜き、狩りの標的として山に放ちユミルを痛めつけました。
命からがら異質な大樹の根本に逃げ込んだユミルでしたが、その中の水たまりに滑り落ちてしまいます。そこに忍び寄る古代生物ハルキゲニアにそっくりな「何か」。クルーガーの時代では「有機生命の起源」とも呼ばれるその「何か」と接触したユミルは、なんと不死身の肉体を持つ巨人へと姿を変えたのでした。
この世界で最も強大な力を得たユミルでしたが、彼女はフリッツに歯向かうどころか奴隷としてフリッツに仕え続けました。「道を開き、荒れ地を耕し、峠には橋をかけた」とフリッツに語られるほどエルディアに多大な貢献をします。
やがてユミルは兵器として利用されるようになり、他国を圧倒的な力で蹂躙しました。その褒美に「我の子種をくれてやる」などと言い出した(ど畜生)フリッツ王に従い、3人の娘マリア、ローゼ、シーナを授かります。
これだけの貢献をしてもなお、彼女は奴隷のままでした。それでもユミルはフリッツ王に従い続けました。ユミルはフリッツ王のために生きることでしか自己実現ができない状態になっていたのです。
一人の兵が反乱を起こしフリッツ王を殺害しようとしますが、ユミルは間一髪でそれを自分の身を呈して阻止します。そのとき王からかけられた言葉は「起きて働け 我が奴隷ユミルよ」でした。この一言でユミルは生きようとする意思を失いとうとう力尽きてしまいます。
フリッツ王は巨人の力を引き継ぐためにユミルの体をバラバラに刻み3人の娘に食べさせました。そして背骨を食べることで能力が継承されると判明しそれ以降二千年に渡って同じことが繰り返されたのです。
ユミルの魂は「道」の世界にとらわれ、土をこねて巨人を作り続ける奴隷となったのでした。神とも悪魔とも呼ばれた少女も、実際には王に従順に従い続ける奴隷にすぎませんでした。ユミルにとってはそれが自己実現になるのだと信じて…
終わりだ
お前は奴隷じゃない
神でもない
ただの人だ
エレンは見抜いていました。始祖ユミルは奴隷となってしまった自分自身を解放したいのだと。ただ人として誰かに認めてほしかったのだと。エレンは始祖ユミルを「ただの人だ」と断言しました。
一方のジークは始祖ユミルを奴隷としてしか見ていませんでした。終わりのない土こね奴隷生活を通してしか自分を表現できない苦しみをジークには理解できませんでした。自分の存在を否定することでしか自分を表現できないジークの言葉はもう始祖ユミルに届くことはありませんでした。
こうして始祖ユミルはエレンとともにこの理不尽な世界を終わらせる決意をしたのでした。
壁が崩壊し、歩みを始めた幾千万もの超大型巨人たち。そしてそれらを引き連れて進撃を開始したエレン。それを見たミカサは自分がどうしたらいいのかわからなくなってしまいました。
ミカサの頭によぎったのは、過去にエレンの問いに上手く答えられなかった後悔の記憶でした。
3年前、調査兵団は和平への手がかりを求めてマーレへの調査に乗り出しました。「わからないものがあれば理解しに行けばいい」という調査兵団スピリッツに則って。
到着初日の夜、二人きりになったところでエレンはミカサに尋ねました。「オレは お前のなんだ?」と。
突拍子もない質問にミカサは「あなたは… 家族…」としか答えることができませんでした。本心ではどう思っていたのか、このときはミカサ自身もよくわかっていなかったのかもしれません。そしてエレンがどんな答えを返してほしかったのかも。
ミカサはトロスト区奪還作戦においてイアンに「恋人を守るためだからな」と言われたときも「…家族です」と答えていたあたり、エレンへの気持ちが家族的な親密さなのか異性としての愛情なのか区別を曖昧にしていたようです。だからとっさにこのように返事してしまったのでしょう。
そして次の日からエレンは単独行動を取るようになり、次に会ったときにはレベリオで殺戮の限りを尽くす悪魔となっていました。そしてついに地鳴らしを実行したエレンに対し、ミカサはどうすることもできなくなってしまいました。
ミカサはエレンのために生きていました。マフラーを巻いてくれた、生き方を教えてくれた優しいエレンのために。しかし自分を支えていた根底が覆されたことで、エレンへ思いがわからなくなったのでしょう。
何より一番衝撃だったのが、エレンから「お前が嫌いだった」と言われたことでしょう。アルミンたちは嘘に決まってると言いますが、ミカサはこの事件以降エレンのことを本当に愛しているのか自信が持てなくなったはずです。
ここでミカサに大きな影響を与えたのが新兵のルイーゼでした。ルイーゼはトロスト区防衛戦でミカサに救われた少女であり、「力が無ければ何も守れない」と「あなたを見てわかった」とミカサに語りました。それは強盗に攫われたとき救ってくれたエレンを見た自分と同じだとミカサはすぐ気づいたでしょう。
ルイーゼはミカサに対して崇拝に近い強い感情を抱いていました。それを感じ取ったミカサは、自分がエレンに向けている感情もそれと同じなのではと意識せざるを得なくなったのです。
マーレ軍が侵攻しエレンを援護する戦いの直前、ミカサはマフラーを置いていく選択をします。このときの心情はミカサにしかわかりませんが、戦いに集中するためだったのかもしれませんし、エレンに対する気持ちを確かめるためにその象徴であるマフラーから一旦距離を置いたのかもしれません。
そのマフラーはルイーゼが持ち去り、最終的にはミカサが「返して」とやや強引に取り戻すことになるのですが、ミカサはそのマフラーの意味を自分で決定することができませんでした。
他人に依存することでしか自分を表現できない存在が、他律ではない、自律した自己を確立できるのか? 本来の自分、精神の自由を獲得できるのか? そのためにはどうすればいいのか? これがミカサに課せられた最後の通過儀礼となります。
31巻が盛りだくさんすぎるので今回はここまで。
次回はラストスパートの31〜32巻です。