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【読書】『私とは何か』平野 啓一郎(著)

序盤から著者の結論ありきで話が進んでいったので、少々退屈に感じてしまった。

本書では、人間の基本単位である「個人」の対立軸として、対人関係ごとに現れるさまざまな自分「分人」をもちだしているのだが、それはあくまでも他者によって規定しうる自分であって、自分そのものの存在を問う内容ではなかったからである。これには、そもそもわたしが勝手な思い込みを前提に読み進めてしまったのも問題だっただろう。

「分人」という考えには納得できる。だが、自分の前になぜわざわざ「本当の」とつけたのだろう。分人のすべてが本当の自分なら、裏を返せば「本当の自分などない」ことになる。いっそのことそう否定してくれればよいのだが、「本当の自分」とつくだけで、結局それを探しはじめる人もいるのではなかろうか。まあこのあたりは余計な世話か。

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