森博嗣「読書の価値」引用と感想
読書の価値
すべてがFになる、で知られる森博嗣。
2018年4月の本。
当時、図書館で借りたが、良い本なのに忘れてる事もあり改めて購入。
###引用文
・感想文
###文章を読んでも、本当の意味で理解できない。むしろその逆だといえる。意味が理解できたとき、初めて文章が読めたことになるのだ。28p
・これ母国語だからややこしいけど、外国語と考えるとわかりやすい。
・英語で既知の単語はあるのに英文としては読めない、というあるある。
・母国語でも同じという事。
・読めるけど解らないあるある。
###電車の中では、座席に座って本を読んでいる人たちがいるので驚いた。こんな場所で本が読めるのか。31p
・森博嗣の子供時代は昭和30年代から40年代。
・自分の時代、昭和60年代から平成初期でも本を読んでいる人達はそれなりにいた。
・スマホなんぞ無かったし、雑誌か新聞か小説を読んでいる人をちらほら見かけた。
・出版業界は1996年がピークだったので、90年代後半までは電車でもちらほら読書を見かける時代だった。
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO40490140V20C19A1CR8000/
###当時、文庫本は200円くらいだったかと思う。34p
・森博嗣ではないし文庫でもないが、1994年の新書判、京極夏彦「姑獲鳥の夏」は960円。
・同じシリーズで2023年の「鵺の碑」は2200円。
・429pと829pと頁数が違うが、少なくとも頁は2倍になっていないのに価格は2倍超過だ。
・高くなりすぎだ。
###しかし、その次の週に、彼は、この問題を解いてきたのだ。自分で解いたのではない。大学院生が計算した、と語った(どうして、嘘でも自分で解いたと言わなかったのだろう。尊敬に値する人物である)。61p
・理系の学生だから、そういう事に頓着しないという事なのか?
###一方、大人になると、まず、現実というものが、自分の身近になる。若いときには、架空の物語や広い分野の読み物に興味が持てたけれど、それは自分の将来に広がりがあると自覚されていたからだ。特定の仕事に就けば、もうほかの大部分の人生から遠ざかるだろう。自分の生活と方向性が違うものには興味が持てなくなる。小説が読まれなくなるのも、自己投影が難しくなるからだ。72p
・一応小説を読む一定数の読者を否定はせずにこれを述べている。
・徐々にフィクションに興味が失せた理由、というか子供がフィクションを大好きな理由はなるほど。
・自分もフィクションには英雄譚や生き様を求めてる。だから凡人に擦り寄った共感系の作品には反吐が出る。
・そんなの求めてないよ。
・兎に角我々が及びもつかない行動や思想を見せて欲しい。
###人の場合は、こちらが勝手に選んでも、相手にその気がなければ会うことは難しいが、本は、勝手に選べる。相手は拒否しない。どんな有名人でも、どんなセレブでも、とっくに死んだ大昔の人でも、どこの誰かもわからない人であっても、あなたが選べば、たちまち会える。79p
・よく読書は会話とか言うが、読まない人にこれは伝わらない。
・恐らく吟味されたろう記述に何を見出すのか?
・主義主張か、語彙や文章表現か、新しい知識か、好きな登場人物か、などなど。
・通常の会話では得られない熟考、これが恩恵だと思う。
###本を選ぶことが、読書の大半の価値だと書いたが、金を出して交換しようと決意した瞬間が、その焦点となる。まさに真剣勝負といっても過言ではないだろう。84p
・他にも本で難しいのは読む事よりも選ぶ事だと書いてる。
・個人的には好奇心と興味が尽きないので本選びに悩んだ事がないのだが、読書未経験者からすれば確かに難しいだろう。
・落語やクラシック音楽やジャズに興味を持っても何を聞けば良いのかわからないみたいな。
###僕は、本を読むときに、まず、この本を読んで自分の意見や知識が塗り変えられることがあれば、と願っている。86p
・だから自分は純粋なトリックだけのミステリィは読めなかった。
・森博嗣や京極夏彦を読めたのも、トリック以外の知識や発想があったから本筋(事件)に無関係なページも楽しんで読めた。
・故に、例えば占星術殺人事件なんて苦しかった。
・明らかに蘊蓄は目眩しにしかなってないので読むだけ無駄なんだろうな、と思ってしまった。
トリックは有名で面白いけど。
###人の教養や品格というものは、ある程度、その人の周辺の人々との関係によって形成されるだろう。どんな人間とつき合いがあるのか、誰の影響を受けたのか、といったことが基本となり、積み重なって、その人物が作られていく。これと同様に、読んだ本によって、やはり教養や品格が作られるだろう。90p
・よく読書は受け身の娯楽と思われている。
・しかし、例えばスポーツも監督はエースに従うだけの受け身プレイだってある。
・能動と受動は体を動かしてるか否かは無関係で意識の持ちようである。
・本書では読書の魅力の1つに、受け身でいられる事、というのも書いてる。
・確かに、その側面もあるだろう。
・その辺は映画やアニメなどもそうで、物語の基本的な機能と言える。
###では、本を読まない人はどうなのか?もちろん、そういう人は、本以外のものから学び、影響を受けているはずだ。本だけが文化ではない。人が創出したものは周囲に沢山ある。ただ、本ほど効率良く、直接的に情報や思想を伝えるものは少ない。時間当たりに伝達される情報量が圧倒的に多いのが、本の特徴である。90p
・イチローはわかった気になって終わるので本を読まないと公言している。
・彼なんかは、本を読まずに自分の分野で切磋琢磨して成功した例だろう。
・だけど、基本的に読書は損が無い娯楽だと思う。
・例えば彼は読書をしないと言いながら足ツボマッサージをしながら雑誌を読んでる場面があった。
・読書の程度にもよるが、全く何も読まないという類では無い。
###読者の能力に依存している、その最たる部分が「読む本を選ぶ」という行為にあるのは自明だ。95p
・これが先述した本を選ぶ難しさの発言。
・どんな事にも言えるが、選択が1番知識と経験がものを言う。
・だから難しい。
・かと言って読書感想文などの限定された本が自分に合わなかったら地獄だ。
・それで読むのをやめてしまう。
・自分で何を読むか決められるのは幸福という事か。
###発想には効率というものが通用しない。しかし、宝くじよりは確率がうんと高い。当たれば大きい。少なくとも、研究者や作家ならば、なによりも一番欲しいものが発想なのだ。101p
###人間は、ランダムに選んで勝手に知り合いになるわけにはいかない。できるかもしれないけれど時間と労力がかかるし、ときには費用も馬鹿にならない。けれど、本は、幸い短い時間で簡単に手に入り、しかも、もの凄く広範囲に、果てしなく多様なものが用意されているのだ。こんな商品はほかに例がない。本だけが特殊なのだ。101p
・FeloというAIに読書の利鈍を聞いたら「読書は時間を要する活動です。特に忙しい現代社会では、読書に割ける時間が限られていることが多いです」と言われてしまった。
・しかし、生涯有効な情報が得られると考えたら、むしろコスパは良いと言える。
###縦書きの傍線を文章の右に引くのか左に引くのか間違える。横書きだったら下に引くのだから、縦書きだったら左に引く方が統一感があるように思えるのだが、いかがだろうか? 129p
・これは読書とは関係ないが、実に森博嗣らしい意見。
・ただ、これに同意は出来ない。進行方向という観点からは正しいが、縦書きと横書きでは推進力が違うのだ。
・縦書きは右から左に押してる。
・だから傍点やルビなど優先事項は右にある。右の存在が左を押して進めてるからだ。
・しかし、横書きは違う。
・横書きは重力に従い自然落下している。
・だから傍線は地面であり、そこが足場で着地しているのだ。
・縦書きの左に傍線や傍点を引けないのは、そういう生理的な要素があると思うのだが、如何だろうか?
###自分の書いた文章は、書いたそのときには、もの凄くわかりやすい。これは当然で、わかっている頭から出てきた言葉だからだ。順序が違うのだ。それを読む側は、言葉からわかろうとするわけで、変換を逆に辿ることになる。138p
###文章力を高めるには、とにかくまず書くこと。数を書くこと。毎日何千文字か文章を書き続けること。そして、それを直すこと。142p
###ルールさえ決まれば、それに則って書いていける。ルールが大事なのではない。余計なことで迷わない環境が重要なのだ。143p
・本書とは関係ないが、ルールという単語を見るとボンちゃんが脳内再生されて笑ってしまう。
https://youtu.be/gtbDsL-hCSk?t=349
###文章をできるだけ沢山書くことが、文章が上手くなる一番の方法だろうと思う。音楽だって、聴いているばかりでは演奏は上手くならない、歌だって上手くならないだろう。アウトプットすることで初めてわかることが非常に沢山ある。144p
・これは文章に限らず、実践者は皆こう言う。
・自分も音楽をやるので、この比喩はとてもよくわかる。
・自分が尊敬する音楽家に菅野よう子という人物がいる。
・彼女は連載してたエッセィでこんな事を書いてた。
<<<<<<<<<<菅野よう子 ポッカリした
・どうやったら作曲家や音楽家になれますか、とよく聞かれる。私なりのやり方は Just Do it それだけだ。
・私のイメージでは、頭でなく、腰でやるのだ。頭で念力をこらしても越えられないけど、腰をクッと前に出せば足もおしりも頭もくっついてきて、その線を越えるのは訳もないことだ。
・作曲家になりたければ、曲を作ってみればいい。カンタン。そしてもうひとつ、作曲で食べていきたければ、その曲を人前で発表すればいい。聞いた人の反応から得るものは無限にある。イントロや間奏がなかろうが、モノラルだろうが、全然関係ないんだよ。
>>>>>>>>>>菅野よう子 ポッカリした
頼むから菅野よう子と角川、ポッカリした書籍化してくれよ。
もう何十年も待っているんだぞ?
###しゃべる能力なんて、大したものではない。特に、エリートに求められるのは、文章の読み書きである。145p
・自分は学歴底辺でエリートとは程遠いが、これは正しいと思う反面、現実は文章よりも会話が重んじられる事も多い。
・自分がエリート界隈にいないからかも知れないが。
###頭に中に知識をインプットするのは何故だろう?(中略)みんながスマホを持っていて、なんでも手軽に検索できるのだから、この価値は下がっているだろう。(中略)しかし、そうではない。知識を頭の中に入れる意味は、その知識を出し入れするというだけではないのだ。(中略)では、どんなときに一人で頭をつかうだろうか? それは「思いつく」ときである。155p
・本書では兎に角「発想」を重んじる記述が多い。
・受け身で言われた事だけやるタイプを、基本的には相手にしていない。
###一般に、アイデアが豊かな人というのは、なにごとにも興味を示す、好奇心旺盛な人であることが多い。これは、日頃からインプットに積極的だということだ。ただ、だからといって、本を沢山読んでいれば新しい発想が湧いてくるのか、というとどうもそれほど簡単ではない。おそらく、それくらいのことは、ある程度長く人生を歩んできた人ならご存じだろう。156p
###いずれにしても、いつでも検索できるのだからと頭の中に入れずにいる人は、このような発想をしない。(中略)頭の中に入った知識は、重要な人間の能力の一つである。156p
・一時期はGoogle先生に後押しされて万能感を味わったこともあったが、クリストファーノーランや菅野よう子など、デジタルよりアナログでやっている作家の方が結果的にデジタルよりも凄いことをやっているとわかって、自分の中のデジタルとアナログの比率が変わった。
###連想のきっかけとなる刺激は、日常から離れたインプットの量と質に依存している。そして、その種のインプットとして最も効率が良いのが、おそらく読書だ、と僕は考えているのだ。159p
###アインシュタインに普通の子供は会えない。もちろん、彼はもういない。もしいたとしても、わざわざ遠いところへ訪ねてきて、子供と会って話をしたりはしないだろう。それが、本であれば、誰でも彼の書いたものを読めるのである。ここが、本の最も凄いところだ。なんというか、奇跡に近いような機会だと思う。161p
###わからないけれど凄そう、という感想を抱くことはないだろうか。わからないのに、凄いことがわかるのである。こういった人間の感覚は実に素晴らしい。161p
###たびたび中断して別のことを考えるのも良い。なにかを思い出したらじっくりとそれを考える。文章が頭に入らないと気づいたら、少し戻って読み直せば良い。それは損をしたのではなく、文章を二回読めたのだから得をしたと思った方が正解だ。頭に入らなかったのは、なにか理由がある。それを考えてみよう。そちらの方が大事だと思う。162p
###評論をするのなら、その才能を使って新たな創作をした方が良い。その方が生産的だ。(中略)だから、小学生には、感想文を書かせるよりも、いきなり小説を書かせた方が有意義だ。173p
・これは目から鱗だった。確かに昔、絵本を描くという授業は受けた気がする。少なくとも読書感想文よりかは楽しかった。
###感想文を書かせるならば(中略)本でも映画でもアニメでもドラマでも良い、くらいの広がりを与えるのが教育的に有意義だろう、と僕は思う。探す範囲を限定するほど、つまらなくなる。選びやすくするのは指導としては、逆効果なのだ。177p
・自分が文章力をつけたのは森博嗣と京極夏彦を読んだからだと自認しているが、たしかにブログ全盛期だったのでアニメや漫画やゲームや映画などの感想記事を書きまくったからか、と今更ながら思い至った。そういう意味では文章を書きやすい良い時代に生まれた。
・ただ、これをやらないのは教師が無理だからだろう。生徒全員分の趣味を把握して評価するなんて個人では無理だろう。
###ネットのブログでも、テーマを限定しない方が、書く力がつく。(中略)そういったアウトプットが、パターンが決まったインプットを誘発するから、ますます閉じていく。こうして、才能が萎んでいくのである。177p
・専門性があるのは良い事だと思うけどね。しかし結果として、ある分野の成功者って基本的に他分野から学んでる事も多い。古典文学から社会問題まで手を伸ばす宮崎駿と、オタク分野にしか興味のない庵野秀明みたいな、開かれて老若男女が楽しめる作品とオタクしか楽しめない作品の違い。
###AIが作品を書けるようになっても、読者はどうして良いかわからないだろう。(中略)憧れて良いものかどうか、もやっとしたままになる。これは、将棋や囲碁の名人をAIが破っても、憧れの対象とならないことでも既に証明されているのではないか。205p
・これは棋士の誰かが言っていたが、AIは自動車で棋士はマラソン。そもそも競技が違うと。それに藤井聡太はAIが必ずしも正しいとは限らないと発言してた。
https://newsdig.tbs.co.jp/articles/cbc/1367162/
・ChatGPTなんてかなりやらかして、ソースが存在しない間違った情報をさも正しいかのように断言する事が頻繁にある。自然言語のAIと将棋AIでは話が違うのだろうけれど、割とあり得ないミスを平気でするので、AI不信になる。
###出版社自体が、コンテンツを産み出す努力を惜しまないこと。外部の才能を探すだけではなく、自分たちで創作するのだ(中略)その変革しか出版界を再生する道はないように、僕は思う。これまでの出版社は、ある意味で読者集団だったのだ。これからは、作家集団に生まれ変わってはいかがか、という提案である。216p
・例えば有隣堂という本屋は、本があまりに売れないために社員自身がメインコンテンツとなり本以外の商品を積極的に宣伝して、ブランドイメージを向上させてついでに本を売るという形に落ち着いている。
https://youtube.com/@yurindo_youtube/
・ただ、出版界というか編集者など、彼らはインテリだ。そういう意味で頭は良い。しかし、何が売れるかなんて誰にもわからないし、表立って牽引する行動に不慣れではないのか、と思う。それが出来たら自分自身が作家になっているだろう。良くも悪くも立場が違うとは思うが、作家から見ると、当事者意識に欠けてるように見えるのかも知れない。
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引用はしないが、彼は「読書感想文」を否定している。
自分もこれには同意する。
自分は子供の頃は本を読めない人間だった。
文字の羅列で黒黒しい紙面を見ているだけで目眩がしたものだ。
それに嫌々読んでも内容が頭に入ってこない。
ただ知ってる単語を拾って面白かったと書くだけだ。
しかし、それは嘘だ。
本を読みたくないとか読書自体がつまらないなどと書く事は許されなかった。
そんな人間が今では本を読んで、こんな文章を書いているのだから、人生わからないものだ。
また、これも引用しないが——
英語は話すのは楽だが読むのが難しい。
26文字しかないアルファベットの組み合わせで視覚的な刺激に乏しい。
英語圏では文字を読めない人が多い。
https://ameblo.jp/life-in-oklahoma/entry-12844800714.html
——その点、日本語は漢字が難しいが、発音はひらがな、読めない漢字にはふりがななどなど視覚的な配慮が色々とされている。
漢字、ひらがな、カタカナと情報量が多く初動の難易度は高いが、視認性に富み文字を読みやすく識字率も高い。
・文庫は上製本から約3年後。
・作家の印税は、価格*部数*0.1(10%)。
以上。
読んだのは2度目だが、これでもう満足した。