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子供が書店を知らず成長「強く懸念」経産省が書店振興へ現状の課題まとめる
難しい話だ。
本は文化の発信場所だと思うが、本屋が文化の発信地かと言われると、本好きの自分すら疑問がある。
理想なのは本を読まない人間がふらっと立ち寄れる場所にする事だろう。
極論、ディズニーランドのような所のグッズ店や飲食店の隣に配置するとか、それらに関連する本を商品の脇に置いておくとか。
ただ、本というのは保存が実に面倒で、少しでも汚れたり傷んでいると手を出せない商品だ。
それがネックになっている気がする。
自分は子供の頃に善く本屋に行った。
ただし、文字の本を読むためではない。
てれびくんやコミックボンボンやジャンプやゲーム攻略本を買うため、あるいは立ち読むために行った。
立ち読みはある程度は許容されるべきだと思う。
内容を知らずに買う事はできない。
しかし、立ち読みで済ます客層もいるにはいるので、それに関しては対策が必要だと思う。
自分には具体案が思いつかないが。
話を戻すが、自分が本屋に行ったのは漫画アニメゲーム関連の情報が充実していたからだ。
入り口はそれで良いと思う。
かつてゲームなんかは馬鹿になると言われていたが、ゲームの攻略情報は文字情報が基本であり、設定資料集も文字情報に溢れ、ゲーメストなんか新聞よりも密度が高い雑誌だった。
だからゲームなどのメディアが活字や文字情報や本に悪影響を及ぼすとは、自分は当時から疑問だった。
近年では、本屋は本以外の売り物で客を釣ろうとしている。
それは正しいと思う。
例えば有隣堂の様に本以外の情報や商品を売るのが結果的に本の売り上げにも貢献するのではなかろうか?
本を読書の村から何とか世界に羽ばたける娯楽である事を示すしかないように思う。
任天堂が引きこもりゲーム層じゃなく、外で遊ぶ様な子供にも層を広げて遊ばせようとしている戦略というか、しかもゲームの問題で叫ばれている、人間関係の希薄さや暴力性の増長やら運動不足やら一般的な問題にそれぞれちゃんと対応した商品を出している。
そういった対応力が求められてるのではなかろうか?
更に、地方への配慮がいる。
都会より娯楽に乏しい地方こそ本屋の充実が必要。
しかし、需要の問題でそれが出来ない現実。
読書は健全な娯楽として認知されている筈なのに、何故か人口は増えない。
親なんかも子供に読ませたがる癖に自分では読まない。
これは本屋ではなく読書の話になるが、自分は成人して仕事を始めるまで本を読めない人間で、漫画とアニメ設定集とゲーム攻略本が専門の人間だった。
それでも頁数がある活字に触れてたおかげか、成人後に本を読むのは抵抗が無かった。
子供の頃によくしゃべり手を動かす子供が教育上重要らしいが、自分は勉強は出来なかったが、この2つには能く当てはまった。
善く喋るし、工作が好きで鋏とセロテープで遊んで、ピアノを弾いて、外でドラゴンボールごっこをしていた。
ある意味で馬鹿丸出しの子供ではあったが、成人して本を読める様になったし、こういった文章を書ける大人になれた。
そういう意味で、本を読まない子供に絶望するのは早計だと思う。
読書と本屋の入り口はいつでも開かれている。
インターネットによる情報の民主化が激しいが、本を読む読まないの情報と思考の格差はより広がっていると感じる。
せめて月に1冊読む人間が6割くらいの世界になれたら良いのに。
小説だろうとエッセイだろうと自己啓発だろうと実用書だろうと構わない。
何十頁、何百頁の文字情報に溢れた世界に慣れておくことこそが、後々の長い目で見て響いてくる。
読書はいいぞ。
基本的に損する事が無い娯楽だから。
本屋がそれを支える礎となること、1996年前後のピーク時とまでは行かなくても、もう少し一般的な場所として復活する事を願っている。