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ぼっち在宅介護 最近の冴えてる父ニュース

昨日は、主治医の先生が往診に来てくださいました。

久々に起きている父を見て、先生は、

「いやぁ、いいお顔ですねぇ。今までで一番よくないですか?ご気分どうですか?」

父は、はにかんで頷きました。


「オヤジ、ドリンク飲むとことアイス食べるとこ先生に見てもらおうよ。食べてくれる?」

父はうなずきました。

アイスを持って食べる姿を見た先生は…

「いや、すごいなぁ。嚥下訓練うまくいったねぇ。こんななる?え?落ちそうなのも舌が捉えに行ってるね。」

「最近、冴えてるんですよ。食べる量は減ってきてるんですけど、食事はしたいけど、食べ疲れてカロリーが稼げないので、一食をアイスクリームとかにしてって言うと、してくれるんです。嫌な時はしないけど(笑)頭と言うか脳がクリアになってきた感じが、今更ですけど、します」

「うん、食べてる姿見てもそうやけど、話もちゃんと理解して動けてるよね。たしかに。」

「洗濯ばさみで自主トレしてたんです」
(以前書いた、父考案の苦手な方向寝返り自主トレの話をしました)

「ぇえ?ほんまに?」

「リハの先生が来る時が体調いいとは限らないじゃないですか。自分のペースでできる範囲でやってたみたいで…こないだなんか摘便なしで、便が出せまして。」


「え?」

「ちゃんと固さもよかったので、2人でささっと交換できてしまって。摘便も卒業か?みたいな感じでして。エアマットやのに腹圧もしっかりかけれたりして…」

「ほんまに冴えてるなぁ!もうこうなったら、長生きしてほしいねぇ」

「そうなんですよ。ちょっと面白くなってきて。この人どこまでいくんやろ?って思って…主人も楽しんでます。」

「いやぁ、ほんまによ。足見ていい?」

「そうそう、こないだのスレ傷(足を動かす際に擦れて傷ができていたの)なんですけど…治ってしまいました。」

「ええ?ほんまに?足も浮腫んでないやん」

「あ、最近、吸引も復活したんです。毎回ではなく、たまに。片方の鼻からだけ。最近の気候で痰が粘るじゃないですか?飲み込みづらくなるんで、通りのいい右鼻からだけ、ちょっと吸引してもらうんです。すると楽に飲み込めるようになるので」

「ええ?吸引まで?片方…なるほどねー」

「先日調子が落ちたのも、昼夜逆転に変わるための交換期の惰眠だったみたいで…すっかり昼夜逆転になったら数値が落ち着いてしまいまして」

「たしかに、そう言うタイミングの眠りなら、血圧や酸素は高くなる必要ないわなぁ」

「いやいや、すごいよ。たしかに、できることできないこと、考えて動けてるね。ほんまに頭がクリアになってる感じするね。」

「では、Fさんまた来ますね」

先生は驚きと笑顔で帰っていかれました。


そう。
父は、そんなこんなで、ジリジリチョビチョビっとレベルを下げながら、できないことが増えたらスパッと手放し、出来ることに集中すると言う、介護される者として、どんどんプロになっていっています。


私も介護をする側として、ヘルパーさんや看護師さんに甘えるべきは甘え、抱え込まず、楽しめる部分を父と共有、共同作業でやれています。


とは言え…今だから言えること…


ここまでくるのに、3年かかりました。

父は、自分の体調や母や家族との諸問題があり…重く悩み、自暴自棄になっていろんなことの受け入れを拒否する時が長くありました。

トイレをあきらめること、お風呂をあきらめること、シャワーまで車椅子でいくこと、リハビリを開始してみること、オムツの中に三角パットをしてみること…などなどetc
これらは、父の状態と性格から、なかなか受け入れられないだろうと先生は踏んでいました。
だから、その時の様子から、余命数ヶ月と感じていたそうです。


介護を受け入れられない父はもがき、ベッドで動き回るので褥瘡が深くできてしまい、深刻な状況に何度か陥りました。
当時、転倒して骨折をしていたんです。


同居中の認知症の母がフラフラ動き回るのにイライラし、叱責しますが、自身は起きれず…

認知症を武器に言いたい放題の母…
とうとう、啖呵を切ってきょうだいのところへ家出を繰り返し、さらに父のイライラは募りました。

母と距離ができた父は、やっと体調を戻せるかも…と思っていたら…
母やきょうだいが突然父の前に押しかけてきたりを繰り返して…
とうとう父はせん妄になり、かなり長い期間、苦しみました。天井を見上げ、壊れたような表情の日もあり、夜中に1人で喋っていたり、私を私とわからなくなる日もたくさんありました。

だんだん水分を摂れなくなり、点滴をすること三年間、血管がダメになるか、本人が逝くかみたいなところまで行きました。
最終的には、食べれなくなり、毎日点滴を入れてました。せん妄で、針を抜いてしまうことがあったため、私は点滴の間中そばを離れることができず…介護する側もギリギリでやっていました。

訪問看護さんの時間が増えてすぎて、介護の点数が足りなくなりそうになり…
点数を抑えるために、点滴の交換と針交換、針抜きは、私がやりました。


ある日、飲み込むことができなくなり、いつ誤嚥するかわからないと言われ、吸引も徹底的に教えられ、咽せるたびに私が吸引もしていました。


もちろん、動けたうちはトイレ介助も履くパンツもやりましたし、廊下で漏れてしまったものもベッドで汚れたありとあらゆるモノも片付け洗濯しまくってきました。現在、しっかり摘便で出た汚物もゴミ出しもしっかりしております(笑)


あと、なんだっけ?


ま、一通りの要介護5までの介護道はぜんぶ通りましたね。

父自身も「いよいよか…」なしんどさを一通り要介護5までやり切ってきました。


ほんとうに、父、いつ逝ってもおかしくない日々だったんです。


ただ、この三年、四年が、父を変え、私を変えました。
効率よく短くなんかできない、かけがえのない苦行の日々だったと思います。


そんな人が、今じゃ、自分で水分を摂り、自主的にトレーニングをし、食事を摂り、傷が治っていく…

私が介護を実験と称して、楽しめているのは、こえてきた経験と、ここからの介護とか高齢化の未来の鍵がここにある気がして仕方ないからなんです。

父は、骨折転倒で寝たきりになってしまいました。が、骨折転倒でなければ、寝たきりにならずに暮らせたかもしれません。
母が認知症だったとは言え、暴言を吐きながら、父への精神的なストレスを与えなければ、せん妄にならずにすんだかもしれません。

ま、こんな仮の話はさておいてです。

父も若干は認知力落ちています。
でも、ここまで前向きな気持ちが三年をかけて生まれてくると言うことは…

認知力が下がろうと、
認知症になろうと、

なり方、付き合い方、いい意味での諦め方、
それらを見つけられたら、、、
若い世代に頼り切りでない、自分でやれる老いや介護のヒントがあるんじゃないのかなぁ…と思うのです。

認知症になったら、みんな悲しくなるしかないのか?と、最近思うのです。


せん妄で、明らかにあっちに気持ちを引っ張られていた爺さんが、オムツを変える協力をし、その協力をするためにこっそりトレーニングをしている…

脳の中で何が起きたのか?

何が起こせたのか?

昼夜逆転をしても、また戻ってきて、「よく寝たー」と言えるのは何か?


なんかねぇ…脳でなんか起きてる気がしてならないんですよ。

そして、これは、病院とか施設ではできない、
そんな思いがしています。


在宅介護はしんどいです。
認知症が進みすぎてる方は、大変です。
ご近所に友達がいて、話を聞きますが、もう本当に疲れ切っています。家族が何人もいて見ていて、たった1人に疲労困憊されています。


私は、ほぼ、父とマンツーマンです。
介護のチームの皆さん以外の協力者は、父しかいません。(週末、主人がきますが、やっぱり血が繋がってないのと男同士ですから、さほど何もできません)

介護される側の人間が、自分の介護は自分で担わなければ!と言う気持ちになれば、介護する側の負担はすごい減るのです。


要介護度が4や5になると、介護する側の体力作業はすごく必要になります。介護される側ができないことが増えるから。
でも、メンタルはずいぶんと楽になりますよ。


施設入居をウチは考えていません。
それは、金銭的なことがあります。
し、そもそも、父の性格上、おとなしく居られないからです。絶対呼び出されます。退去させられるかもです。(笑)他人にいい顔しないのです。

でも、考えようによっては、費用を抑えた介護ができると言うことになります。


介護する側も介護される側も、残るアイテムに合わせて、あきらめること、手放していくことをやっていけれれば、
できるだけ、お金も使わず、体力も使わず、気持ちも痩せない介護ができて、
介護自体がシンプルになって、誰にでもできる生活の延長になって、
若い人ばかりをあてにしないで、なんとか明るい未来にできるんじゃないのかなぁ…とか思うわけです。


お金があっても、できないことはできないです。


私のような、子供のいない50代が、未来ある若い方々に対してできること…
それは、オヤジを使った介護の実証実験しかない!と本気で思っています。
オヤジも思っています(笑)

もちろん、何も頼らずに行けるかと言うとそうではないんですけれど…
サービスを小さく利用してということにはなるかと思います…


でも、
高齢者夫婦のくらしでも
高齢の友達同士の暮らしでも
ちょっとだけサービスを利用できたら、あとは自分たちでまかなえるかも!と言うスタイルが何かで掴めたら、いいな!と言う気持ちがあるからです。


それには、実証実験あるのみです!
今日も、父と実験です!


ほんとに、介護される側がいろいろがシンプルになってくれると、介護する側の動きも少なくなるし、気持ちの余裕も生まれます!
甘え上手にお互いなれます。


何より、父の脳が冴えてくるんです。より考えて動く隙間が脳内にできたと言うような…なんかトンネルを抜けたようなところに出たような…それが大きい!


何でどうなって、こうなるか…
生活をともに過ごしながら、介護を楽に日常にするヒントを探しに行きたいと思う今日でございます!

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