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106回目 "The Fixer" by Bernard Malamud を読む(Part 3)。小説の舞台は 1900-1915 年頃の Kiev です。街では未だ馬が引く客車、荷車、そして冬にはソリが人・物の移動を担っています。

馬が人や貨物の移動を担っているとはいっても、今に残る様なコンクリート作りの建物(104回目の記事のバナー写真)も巨大な橋(106回目の記事のバナー写真)も建設された時代です。技術知識を独占していた一群の人々が大勢の肉体労働者を呼び集めれば大洋を行き来する舟も戦艦や戦車も作れたのでしょう。

しかし、そこには知識の普及、どれだけ大きな割合の人がそのレベルに達していたのかを思うと、少数の人々、少数で成る特定の社会階層に属しその階層が社会全体を(自分たちがそうと信じるところに従い)善導するべきと頑張っていた人々と、生きるとは身の丈を知ることと信じて彼らに唯々隷属していた人々が併存していた世界が想像できるというものです。



1. =英語の勉強=

長ったらしい文章も、その主語と動詞を特定できれば、意味は明確になります。

Yakov はその日の早朝に踏み込んできた警察に一瞬の内に捕捉され 3 kmばかり離れた拘置所まで馬にまたがる警官二人に連行されます。周辺の住人監視の中、手錠を架けられた姿で歩かされました。

[原文 1] He (the colonel) delivered the prisoner first to Secret Police Head-quarters, a one-story brown building in a side street; then after a long annoyed telephone conversation, fragment of which the frightened prisoner sitting on a bench in an anteroom surrounded by gendarmes, overheard, the colonel escorted Yakov directly to an underground cell in the District Courthouse, leaving behind two gendarmes who patrolled the corridor with naked sabers.
[和訳 1] 彼(訳注: the colonel)はこの容疑者をまず秘密警察組織の本部に連行しました。それは一階建ての建物で、大通りから延びる脇道にありました。そこで彼はいらだち怒鳴り合うような長電話をして、そのやり取りのかなりの部分が、待合室の長いすに座っていたこの容疑者の耳にまで届いていたのですが、それを終えると、ここの廊下を抜身のサーベルを手にして見張りの番に就いていた二人のフランス風の制服を身に着けた警官をこの建物に残して、地下にある地方裁判所が管轄する留置所独房に Yakov をさっさと連れて行きました。

Lines between line 15 and line 23 on page 72, 'The
Fixer', Farrar, Straus & Giroux paperback, edition 2004

《原文-1 の骨格構造》冒頭の He が主語で delivered が the prisoner を直接目的語とする動詞です。then の後に来るのは次の文であって、その主語は the colonel、そしてそれに対応する動詞が escorted、そしてその直接目的語が Yakov です。


2. Spinoza の著作、哲学の議論が検察主任と容疑者の間に「拘置所の独房」で展開します。

Yakov がロシア人少年殺害の嫌疑で拘置所に収監されますがその日の内に検察主任が尋問に訪れ、独房内で議論します。
語り手はこの議論の詳細を長々と記載するのです。それも次の断り書きが「前触れ」です。こんなのも小説に許される手法とは、私にとって驚きでした。

[原文 2-1] Though he had answered freely, talking about a book with a Russian official frightened the fixer. He's testing me, he thought. Still when all's said and done, better questions about a book than a murdered child. I'll tell the truth but speak slowly.
  "Would you mind explaining what you think Spinoza's work mean? In other words if it's a philosophy what does it state?"
  "That's not so easy to say," Yakov answered apologetically. "The truth is I'm a half-ignorant man. The other half is half-educated. There's a lot I miss even when I pay the strictest attention."
  "I will tell you why I ask. I ask because Spinoza is among my favorite philosophers and I am interested in his effect on others."
[和訳 2-1] 彼(Yakov)は質問に自由に思うところを述べたとは言え、ロシア人の官僚と一つ特定の著書に関して話し合う訳で怖い思いに襲われもしました。この男は私を試験しているのだと自分に向かって注意を促しました。そうではあったのですが、終わって考える段階になってみるとそんな著書に関する質問であったことがあり難く思えたのでした。殺された子供に関する質問であったらこんなわけには行かなかったのですから。(語り手の)私はじっくりと時間を掛けて正直に報告することにします。
  「スピノザの著作があなたにとってどのように重要なのか教えてください。あなたの関心がその哲学にあるのなら、その著者の哲学はどうなのかを話してください。」
  「それを話すなんて簡単ではありません。私はその半分が未だ無知のままの人間であるというのが正直なところです。あとの半分も中途半端に教育されたのみです。どれだけ注意を払ったところでその読解にあっては気付けないで読み落とすことが多々あります。」
  「言っておきますが、スピノザは私の好きな哲学者の一人なのです。そのよう訳で、スピノザが他の人々にどのように読まれているのか、私は聞かせて欲しいのです。」

Lines between line 6 and line 20 on page 76, 'The
Fixer', Farrar, Straus & Giroux paperback, edition 2004

このようなやりとりで始まる哲学的やりとりは長々と、この後 4 pages も続きます。その中から「私が気に入った部分」を少し引用します。

留置所独房で進行した逮捕容疑の正当性を調べる尋問が続き、まだ Yakov の緊張と恐怖が治まった訳ではないタイミングでのやり取りです。Yakov は検察主任 Investigating Magistrate の尋問を受けています。

[原文 2-2] "Would you say you have a 'philosophy' of your own? If so what is it?"
  "If I have it's all skin and bones. I've only just come to a little reading, your honor," he apologized. "If I have any philosophy, if you don't mind me saying so, it's that life could be better that it is."
  "Yet how can it be made better if not in politics or through it?"
  That's a sure trap, Yakov thought. "Maybe by more jobs and work," he faltered. "Not to forget good will among men. We all have to be reasonable or what's bad gets worse."
  "Well, that's at least a beginning," the magistrate said quietly. "You must read and reflect further."
  "I will just as soon as I get out of here."
[和訳 2-2] 「あなたは自分自身の哲学をお持ちですか? そうならそれを聞かせてください。」
  「もし私が、その(哲学の)皮と骨位だけながら知っていると言えたとしても、少しばかりの読書を始めたばかりという段階です、先生。」と言い訳がましく彼は切り出しました。「哲学なるものの一部を私が身に着けていると、恐れながらも、言えるとしての話ですが、生活は現状よりも良い物であって然るべきだという思想です。」
  「それではですが、それは政治の力、あるいは政治の影響を受けた動きによって達成されるという意味ですか、それともそれ以外の方法を考えているのですか?」
  Yakov は即座にこれは落とし穴だぞと気付きました(政治の所為だとはこのロシア社会では言えないのです)。「もっと就職口とか仕事があるとよくなるのではないでしょうか?」と彼はごまかしました。今少しと考え、「人々が『善意』の大切さを忘れないことも意味あるかと。誰もがある程度理論的に行動できることも大切でしょうね。そうでないと良くない状態がますます悪化するのですから。」と言い足しました。
  「そうですね。その辺が勉強の始まりでしょうね。あなたはもっと読書を続け考えをもっと深めるべきですね。」とこの検察主任は答えました。
  「私はそう致します。この部屋から出所できたら直ぐにでも。」

Lines between line 2 and line 16 on page 79, 'The
Fixer', Farrar, Straus & Giroux paperback, edition 2004


3. 皇帝 Tsar を筆頭に出来上がった権威の傘をうまく使う技術こそ我が飯の種として平然としている人たち

反ユダヤ主義がはびこる Kyiv の街の事業家がユダヤ人排斥の手段として虚偽の申し立てをしたことをきっかけに拘置所に留置され、Investigating Magistrate 検察主任(Bivikov)から、当日と翌日朝からの尋問を受けた Yakov、その後には休憩もなく秘密警察組織に属する Prosecuting Attorney 法廷検察官(Grubeshov 別名 Vladislav Grigorivitch)の尋問を受けます。

Malamud の手になる Prosecuting Attorney の「威圧感」と「よくもまあと驚く論理」が我々世界の「権力側のやり方なるもの」を Symbolic に浮かび上がらせます。以下はこの Prosecuting Attorney が Yakov に "Now answer me directly, you are a circumcised Jew, aren't you?" 「今後はここに居る検察主任でなく、直接、私に返答しなさい。あなたは割礼を受けたユダヤ人だろう、どうだ違うかね?」と挑発され、それに Yakov が答える場面からです。

上記 3 人の他にこの部屋には Bivikov 着きの書記である Ivan Semyonovitch と Grubeshov に同道して入室してきた Colonel Bodyansky がいます。

[原文 3] "I'm a Jew, your honor, I'll admit to that and the rest is personal."
  "I've already gone through all this, Vladislav Grigorivitch," said Bivikov. "It's all in the notes of the testimony. Read it to him, Ivan Semyonovitch, it will save time."
  "I must ask the Investigating Magistrate not to interrupt," Grubeshov said testily. "I have no interest in saving time. Time is immaterial to me. Please let me go on without useless interruption."
  Bivikov lifted the pitcher to pour himself a glass of water but it was empty.
  "Shall I refill it, your honor?" whispered Ivan Semyonovitch.
  "No," said Bivikov, "I'm not thirsty."
  "What's this freethinker business about?" said the colonel.
  "Not now, Colonel Bodyansky, I beg you," said Grubeshov. "It is not a political party."
  Colonel Bodyansky lit a cigarette.
[和訳 3] 「私はユダヤ人です、先生。私はここの点までは同意いたします。これ以上の私的事情の開示にはお答えいたしかねます。」
  「 Vladislav Grigorivitch 様、その辺りの質問は既に私が確認済みです。すべて尋問記録書に記載されています。 Ivan Semyonovitch 君、先生に読み上げて聞いて頂いてください。時間が節約できます。」と Bivikov が割り込みました。
  Grubeshov は苛立った声をあげました。「私、恐縮ながら検察主任殿には、横やりを入れない様お願いいたします。私は時間の節約に意味があるとは考えません。無駄な横やりに妨げられることなく質問を続けさせてください。」
  Bivikov は水差し瓶を持ち上げグラスに水を注ごうとしました。しかし空になっていました。
  「私が水を入れて参ります、先生。」と Ivan Semyonovitch が小声で伝えました。
  「いいえ、私は大丈夫です。」
  「あの『自由に思考を広げる人間』とは何のことかね?」と(Yakov に向かって)大佐が質問を発しました。
  「Bodyansky 大佐殿、今のところはお控えください。『自由思考の人間』うんぬんは政治絡みの党・集団ではないのですから。」と Grubeshov が制止しました。
  Bodyansky 大佐はタバコに火を点けました。

Lines between line 17 and line 36 on page 99, 'The
Fixer', Farrar, Straus & Giroux paperback, edition 2004

駐車違反のステッカーを貼られ、警察署に出頭、ステッカーの不当性を主張し撤回を求めて言い訳を始めると「私はこれが仕事だから時間が掛かることは何ら問題ではありません。どうぞ思いのたけをしゃべっていてください。諦めが付いたらそれにハンコを押してください。お引き取り頂けます。」と言われて窓口に放置されたという私の経験を思い出しました。


4. 留置場の室内では「ヨブ記」を思い出させるシーンが現出します。

15 年程も前のことですが、その暫く前に亡くなった母が残した数少ない本のなかに見つかった岩波新書、浅野順一著「ヨブ記」を読み、他には無いような暗さを感じたことがありました。その時の暗さが突然にして記憶の底から蘇ってきたのが以下の部分です。

Grubeshov 法廷検事の尋問を受けた日以降、Yakov は別の留置室に入れられました。そこは他の二人の男と共用です。一人はどこぞの無政府主義者と間違えて放り込まれたとしか思えないと主張する男、服の仕立て職人であったという Akimytch です。もう一人は小用を足すからしばらくこれを持って待っていてくれとカバンを持たされ、仕方なく立ち止まっていると警官につかまりカバンから出てきた書類が反政府活動に関わるものだとして逮捕された男、ガリガリに痩せた Potseikin です。

この部屋では一枚ずつ、古い汚い藁のマットがあてがわれその上に寝るのでした。二人がこの部屋に放り込まれるまでの経緯を吐露しました。次は Yakov の順番です。

[原文 4] "No, of course not. Why would I kill an innocent child?"
  They whispered once more and Potseikin said in a thick voice, "Tell us the truth, are you a Jew?"
  "What difference would it make?" Yakov said, but when they were whispering again he was afraid.
  "Don't try anything or I'll call the guard."
The one in rags got up and approached the fixer, sneering. "So you're the bastard Jew who killed the Christian boy and sucked the blood out of his bones? I saw it in the papers."
  "leave me in peace," Yakov said. "I've done nothing like that to anybody, not to speak of a twelve-year-old child. It's not in my nature."
  "You're a stinking Jew liar."
  "Who else would do anything like that but a mother-fucking Zhid?"
Potseikin pounced on the fixer and with his rotten teeth tried to bite his neck. Yakov shoved him off but Akimytch, foul-breathed, was on his back beating the fixer's head and face with his clammy bony hands.
[和訳 4] 「いいえ、勿論やってはいません。幼い子供を殺す理由なんかある訳ありません。」(Yakov が答えました。)
  彼ら二人は小声で声を交わしました。するとその一人、ポツェキンが低音で「お前はユダヤ人じゃないのかね? 本当のことを言いな。」と責め寄りました。
  「そんなこと今は関係ないだろうが?」Yakov は反発します。再びその二人が声を交し合うと今度はその男、怯えた風に言いました。
  「我々に何か手を出さないでくれよ。そんなことになったら守衛を呼ぶぞ。」
  もう一人の男、ボロを身にまとった方が立ち上がり修理屋に近づきました。罵ったのです「分かったぞ。お前はやくざなユダヤ人なのだ。あのキリスト教徒の男の子を殺してその血をすっかり吸い取ったのだろう? 新聞で読んだのだから。」
  「私のことは静かにほっといてくれ。何もそんなことはしてはいないのだから。どこの誰に対してだって。12 才の子供に限ったことでもありません。私はそんな性質の人間ではないのです。」Yakov は言いました。
  「お前は臭いニオイのユダヤ人、それも嘘つきなのだよ。」
  「ぞっとするようなユダヤ人でなければ一体だれがそのようなことをやらかすと言うのかね?」
  ポツェイキンが修理屋に殴りかかり、次にはその虫食いだらけの歯で首筋に噛みつこうとしました。Yakov はそれを押しのけたのですが、今度は臭い息を吐くアキミッチが彼の後ろ側に回り込んで修理屋の頭をそして次には顔を頑丈な骨でなる両手で殴りつけたのです。

Lines between line 8 and line 28 on page 107, 'The
Fixer', Farrar, Straus & Giroux paperback, edition 2004

弱い者が更に弱い者を見つけると、互いの苦しさを知っているからと助け合うというのが人間とは限らないのです。これでは、深みに嵌まり込む以外に何も良いことは起こらないのです。私の記憶にある限り、ヨブ記にあっては延々とこんな苦しみがこれでもかこれでもかと手を変え品を変えして描かれています。


5. Study Notes の無償公開

今回の読書対象は Chapter III, pages 71-108 です。この部分に対応する私のStudy Notes を無償公開します。いつもの通り A-5 サイズの用紙に両面印刷するとステープラー止めにて冊子にできるようにレイアウトしてます。word 形式と pdf 形式の二種類のファイルですが、その中身は同じです。

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