モームの作品とは、社会の中下層に居る人々の暮らしが楽しみに溢れているものだと、読者の頭に誤認させる、読者を錯覚に落とし込む、そのような作品群なのかと思えてきます。だから駄目だと唾棄するのでなく、解った上で、ひとときを「錯覚によるやすらぎ」で過ごし元気をもらう読書です。
読書対象の作品は ここに公開 されています。
1. In A Strange Land では Turkey の田舎に旅行。 この短編は語り手自身の生活様式、基本的な姿勢の「表明」で始まります。
今回の投稿で読むことになる三篇の全てについて、語り手モームがこのような目で人々を見ているのだと解った上で読む。すると、この「表明」がこれら作品を読んでいる読者の頭の一画をくすぐるような効果を発揮します。
[原文 1-1] I am of a roving disposition; but I travel not to see imposing monuments, which indeed somewhat bore me, not beautiful scenery, of which I soon tire; I travel to see men. I avoid the great. I would not cross the road to meet a president or a king; I am content to know the writer in the pages of his book and the painter in his picture; but I have journeyed a hundred leagues to see a missionary of whom I had heard a strange story and I have spent a fortnight in a vile hotel in order to improve my acquaintance with a billiard-maker. I should be inclined to say that I am not surprised to meet any sort of person were it not that there is one sort that I am constantly running against and that never fails to give me a little shock of amused astonishment. This is the elderly Englishwoman, generally of adequate means, who is to be found living alone, up and down the world, in unexpected places.[和訳 1-1] 私は同じ土地に定住するのでなく、常に移動し続けることを旨とする人間です。とはいっても、人を圧倒するような建造物は、好きになれず私の旅の目的にはなり得ません。美しい景色も直ぐに飽きが来るので同様です。人と話すことが楽しみで私は旅に出ます。偉人と逢うのは気が進みません。どこぞの会長だとか王様だと言う人間に会うために策を練ることもありません。作家を知るにはその人の著作を読めば、画家を知るにはその人が描いた絵を見れば事足ります。しかし、私は百リーグ(400 km)先であったのに、この人と話す為ならと出かけたのです。この人は、母国から遠く離れた地に一人で生きる人間であって、その人に纏わる風変わりな逸話を耳にしていたのです。そこでビリヤード台の製作職人(どうして生活の糧が稼げるのか私には想像不能の存在)である当人と少しは近しい関係が出来るまではと、2週間に渡り貧弱なホテルに腰を据えました。威張る訳ではありませんが、私はどのように常軌を逸する人間に出くわすとも腰を抜かしたりするタイプの人間ではありません。但し、その方が常に私の想定と真逆な生き方をしているタイプで、その人のことが解ると、微笑まずにはおれないような驚きを与えてくれる人間は例外です。今回、知遇を得たのは高齢の英国人女性で、一言でいってお金に不自由することなく、世界中のあちらやこちらには予測を裏切るような場所がいくつもある、そんな中、一つの土地で、お一人で暮らされていました。
Lines between line 1 and line 19 on page 38,"In a Strange Land" from the short-story collection 'Cosmopolitans' 語り手は、遠い世界の辺鄙な(英国人が考えるところの)村には何らかの特徴ある人物が居るという、どこからか聞きつけた話に心惹かれて旅します。今回はトルコ Asia Minor の小村でホテル経営をしている Englishwoman と話す目的での旅です。
この短編の読者は、人生とは何かとのこの女性の考え方を、すなわちモームが言う「人の魅力」とは何かを発見する楽しみを味わいます。
ホテルに着いた翌朝には早速、口実を見つけ、この度の目的である Englishwoman への approach です。このホテルのオーナーの Signora Niccolini と言葉を交わす機会を得ますが、以下の引用部の冒頭に She gave me a polite little nod and withdrew. とある通り、最初は体よく会話を終了させられます。
[原文 1-2] She gave me a polite little nod and withdrew. I wondered how on earth it came about that a funny old Englishwoman like that should be the landlady of a hotel in Asia Minor. It was not easy to make her acquaintance, for she knew her place, as she would herself have put it, and she kept me at a distance. It was not for nothing that she had been in service in a noble English family. But I was persistent and I induced her at last to ask me to have a cup of tea in her own little parlour. I learnt that she had been lady's maid to a certain Lady Ormskirk, and Signor Niccolini (for she never alluded to her deceased husband in any other way) had been his lordship's chef. Signor Niccolini was a very handsome man and for some years there had been an "understanding" between them. When they had both saved a certain amount of money they were married, retired from service, and looked about for a hotel. They had bought one on an advertisement because Signor Niccolini thought he would like to see something of the world. That was nearly thirty years ago and Signor Niccolini had been dead for fifteen. His widow had not once been back to England.《 英語文章を理解する 》 この段落では、各文章の字ずらが示す意味に留まらず、それが暗示する事情・心情・観念が読みどころだと思えます。この短編の真髄をなす段落かと思います。(当該文章の筆者が、書くだけの値打ちがここにあると考えている根拠がこれだと思える読みに至れるか否かが『理解できたか否か』の判定基準です。)[和訳 1-2] 彼女は一線を隔する主旨の会釈を残してその場を離れました。私には一体どのようにしてこの高齢の変な英国人女性が、トルコなんて国に立つホテルのオーナー社長をすることになったのだろうと、好奇心が高まりました。彼女と会話できる関係を作りたいのですが簡単ではありません。なぜなら、彼女自身の口から出た言葉が暗示したところに依ると、彼女には自分の立場上、踏み越えてはならないとする一線が頭に頑として存在することが明らかでした。それが証拠に彼女は私との間に頃合いの距離を保ったのです。かつて彼女が英国の高貴な家族のバトラーとして仕えることが出来たことは、彼女が唯者でないことを示しています。そうではあっても、私は粘り強さを発揮しまし、その結果、彼女にその気にならせることに、やっとのことで成功しました。彼女は自身専用の休息室でお茶をと招いてくれました。彼女、どこかの貴族のご婦人(オルムスカーク家の奥方)に付き添うメイドをしていたのだと聞かされました。セニョール・ニッコリーニはその一家のご主人の料理長でした。(彼女はこの料理長のことを私に話す時も、彼が自分の夫であったにも拘わらず頑としてセニョール・ニッコリーニと呼びました。) セニョール・ニッコリーニは器用な男で、彼女との間に数年に渡って変わることの無い、将来に向けた構想を温めていました。そしてそこそこのお金を蓄えた時点で結婚することにし、貴族の家族の仕事を切り上げ、売りに出ているホテルを探し始めました。そして売り広告に出ていたのがこのホテルでした。セニョール・ニッコリーニは外の世界を見て見ることを夢見ていた男だったことから、これを買ったのでした。30 年近く昔の話です。セニョール・ニッコリーニが亡くなって 15 年になるとのことでした。その後も、この男の未亡人は英国に一時帰国すらしていません。
Lines between line 15 on page 42 and line 2 on page 43, "In a Strange Land" from the short-story collection 'Cosmopolitans' 英国でそんな人がいらっしゃると聞いた時点ではどんなに風変わりな人だろうと好奇心を膨らませた割には、直接言葉を交わすとさもありなんといった普通の人物だったとの感慨を私は覚えました。しかし、ここにくるまでの一日一日には苦労や不安や、敢えて冒険を選んだであろう決断力等々が想像できます。そした次には、この女性の達成感が十分以上に彼女を幸福で満たしただろうと羨ましくなります。
2. The Luncheon では駆け出し作家の私が 40 絡みの演劇俳優に Paris のレストランで昼食を振る舞います。 語り手が 20 才代で初めて作品を出版。それを読んだ女性から賛辞が届き、それにお礼の手紙を送った事をきっかけに昼食を一緒することになります。語り手はこの当時パリに下宿住まい中です。相手は俳優の女性です。
[原文 2] I answered, thanking her, and presently I received from her another letter saying that she was passing through Paris and would like to have a chat with me; but her time was limited and the only free moment she had was on the following Thursday; she was spending the morning at the Luxembourg and would I give her a little luncheon at Foyot's afterwards? Foyot's is a restaurant at which the French senators eat and it was so far beyond my means that I had never even thought of going there. But I was flattered and I was too young to have learned to say no to a woman. (Few men, I may add, learn this until they are too old to make it of any consequence to a woman what they say.) I had eighty francs (gold francs) to last me the rest of the month and a modest luncheon should not cost more than fifteen. If I cut out coffee for the next two weeks I could manage well enough. I answered that I would meet my friend--by correspondence--at Foyot's on Thursday at half-past twelve.[和訳 2] 私はお礼の手紙を送っていました。彼女からの二度目の手紙が今しがた届いたのです。彼女、パリに寄る予定がある、ついてはお会いして雑談をしたいと言うのです。今週の木曜日の朝のルクサンブールで仕事があるのでその後、Hotel Foyot's レストランで軽い昼食をご一緒したいが都合はどうかというのです。Foyot's はフランス国会の議員たちが食事するところで私が暮らす金額のレベルを超えるもので、行こうと考えたことの無いレストランでした。しかし裕福であろうと思われたのがうれしかったのした。併せてご婦人の誘いを断るすべを知るには若すぎたのでしょう。(断っておきますが、私に限らずこの断るという選択で女性の頼みに応じられるのは、お付き合い不能なまでによぼよぼになった男以外はいないのです。) 私の手持ちは 80 フラン(金貨)でした。その月の末までの暮らしに丁度足りる程度の額です。このホテルでの昼食といっても 15 フランあればなんとかなるだろ位の気持ちでいました。この先月末までの2週間だけコーヒーを注文しないことにすれば何とかなるという計算でした。 私は返信の手紙を書きました。私の友人へ。私は木曜日の12時半にあなたとの食事のため、Foyot's にてお待ちします。
Lines between line 17 on page 47 and line 18 on page 48, "The Luncheon" from the short-story collection 'Cosmopolitans' この返事を出した後には彼女との luncheon が始まります。この短編、上記引用の後には価格表示のないメニューとふところの心配との軽い昼食に冷や汗の連続というシーンが展開します。
3. Salvatore では Naples 近くの小島の海岸。そこで目にした 30 才手前の男とその幼い子供たちの光景。 以下の引用はこの短編の最後の段落です。しかしこれはこのお話の楽しい部分をネタ漏れさせるものではありません。
面白いお話が終わったあとで、著者、モームがしてやったりと満足するシーンです。
[原文 3] I started by saying that I wondered if I could do it and now I must tell you what it is that I have tried to do. I wanted to see whether I could hold your attention for a few pages while I drew for you the portrait of a man, just an ordinary Italian fisherman who possessed nothing in the world except a quality which is the rarest, the most precious and the loveliest that anyone can have. Heaven only knows why he should so strangely and unexpectedly have possessed it. All I know is that it shone in him with a radiance that, if it had not been so unconscious and so humble, would have been to the common run of men hardly bearable. And in case you have not guessed what the quality was, I will tell you. Goodness, just goodness.[和訳 3] 「私にこんなことが出来るだろうか」と書き出しに述べて、この短編を開始しました。「私が工夫を凝らして書き上げたのがこれです」とここで述べさせて頂くほかありません。私が目指したのは読み進まれる皆様の関心を数ページに渡って維持することでした。この数ページにおいて、私は一人の男の姿を描き出すのです。誰であっても持ち得る、しかし稀にしかない、最も貴重な、そして愛くるしい、そんな気質を持っている以外には特別なところの無いイタリア漁夫の肖像です。何故にこの男がそのように奇妙にも、そして予期されることもないままにこの気質を持つに至ったのかは誰にも分かりません。私が知っているのはこの気質がこの男の中で光を放ち輝くことです。ですから、この男のこの気質が自分の意識するところとなったり、謙虚さを持っていなかったとしたら、周囲の人たちにとっては容赦しがたい、ありきたりの男の気質に潰えていただろう処です。皆様の中にここまでの話でこの気質を感じ取ることがまだできないとおっしゃる方がもしもいらっしゃるならと配慮し、そんな方々の為に私は申し上げます。良きもの、本当に良きもの、なのですと。
Lines between line 15 on page 63 and line 5 on page 64, "Salvatore" from the short-story collection 'Cosmopolitans'
4. Study Notes の無償公開 今回の読書対象の短編、3作品に対応するStudy Notesを無償公開します。 Word形式とPDF形式の2種類のファイルがありますが、内容は同一です。