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79回目 "Tell Me How Long the Train's Been Gone" を読む(第8回/読了回)。 Leo が世に出る、そのしっかりした手掛かりを捉えた日の喜びを読者が共有できる箇所です。

舞台に上ったと言っても名ばかりの端役しかないままに日が過ぎていきます。アルバイト仕事も途絶えることがあります。路上生活者との違いは自分の心に辛うじて生き残っている自尊心だけです。この時の心情は次のように表現されています(原書 318 頁)I didn't want to know the people in my condition -- I didn't like my condition, I was not going to make peace with it, I was not going to enter the marijuana-drenched, cheep-beer-and-whisky-soaked camaraderie of the doomed. (camaraderie = 仲間意識)

自尊心を維持することは路上者たちの仲間に加わらないということでもありました。すなわち徹底した孤独の中に生きることになります。雇ってくれるレストランの店長だけを頼りに、寝床にも困る日々が続くのですが、とうとう浮上する日は来たのでした。


1. ギリシャからの移住者である演劇監督が Leo を主役に据えたいとして誘ってくれました。

直ぐに演劇の準備、演技の指導、練習がはじまります。朝10時から夜10時までの特訓が何週間か続き、明日の夜には開演ということで最後のリハーサルを終え、アルバイト先のバーベキュー・レストランに駆け着けたのですが。

[原書 1] 'Your brother's out there,' he said. 'He's been here for more than an hour.'
  I was peeing and it suddenly splashed all over my hand and all over the floor.
  'My brother?'
  'Reverend Proudhammer,' he said, 'your brother.'
  I washed my hands, and dried them. I said, 'Oh, shit.'
  'Well,' he said, 'he's here.' He watched me in the mirror. 'It might be some kind of trouble in your family, I reckon, so' -- he watched me; he was a pale Negro, with reddish skin, freckles all over his face; I liked Red very much, and he liked me -- 'if it is, you just go on with him and don't worry about nothing.' He started out the door. 'How's it going downtown?'
  'It's going pretty well,' I said. I turned and looked at him. He could see it in my face. He could hear it in my voice. He smiled -- a smile I've seen only on the faces of black Americans. 'Red. It's going very well.' I couldn't help it. I said. 'Red, you know, I'm going to be very good! You're going to be very proud of me.'
[和訳 1] 「お兄さんがお待ちです。既に 1 時間はお待ちですよ。」と彼(店長)が教えてくれました。
  私は小便中でしたが、尿をそこら中にまき散らしてしまいました。自分の手と床をすっかり濡らしたのです。
  「私の兄ですって?」
  「そうです。レベレンド(低ランクの牧師)のプラウドハンマーさん。」との答え。
  私は手を洗い、水気を拭いながら「やれやれ、嫌なことだな。」と呟きました。
  「さあ、お兄様はこっちですよ。」と店長は鏡の中の私に目を向けました。「あなたのご家族に何か問題が起こったご様子ですよ。私の勘ですが。」と言うと店長は私を見つめました。この男はブラックではなく、もっと薄い色の肌を持つ黒人です。まあ、赤い肌です。顔中にそばかすが出来ています。私はこの男、レッドが大好きで、彼も私を気に入っていました。「私の勘通りなら、そのままお兄様と出て行っていいですよ。後のことは心配いりません。」と言うと彼はドアから店の方に歩き始めました。「今日のダウンタウンで(の練習)の調子はいかがでした?」
  「うまく行っていますよ。」と私は答えると、レッドの方に目を向けました。うまく行っていることは私の顔に溢れていました。私の声を聞くだけでも解ったことでしょう。レッドは私に笑みを返してくれました。その笑みはアメリカに居る黒人だけに認められる種類のものでした。「レッド、練習はすごく順調だよ。」と私ははしゃいでいました。とても黙ってはいられなかったのです。「レッド、解るでしょう。私の演技は最高だよ。私の演技を見るとあなたも鼻を高くできるよ。」といつの間にか声を上げていました。

Lines between line 1 and line 18 on page 328, "Tell Me How
Long the Train's Been Gone", a Penguin Classics paperback


2. Barbara の家族一同がケンタッキーからニューヨークにある Leo の住まいを訪れます。

初めて演じた主役、その演劇 "The Corn Is Green" (炭鉱夫たちの苦悩の物語)は大成功。それをきっかけに、演劇に加え映画にも出演する等で数年の内に、いわゆる大スターの一人になっていました。Barbara も Barbara で、Leo に勝るとも劣らない勢いで大スターの座を勝ち得ていました。そんな中、孤独感に襲われることが多くなった Barbara は Leo と一緒に暮らすことを考え始めるのでした。

Barbara は、自分が家出した後も、故郷ケンタッキーに暮らしていた両親・兄夫婦・家族付き合いの男一人、合計5人を引き連れて Leo の立派なマンションを訪れます。Leo との生活を始めることの同意を Leo に迫る下準備の一策でした。

この小説のところどころ、Leo にまつわる苦しい日常の生活シーンでは Dinah Washington の歌、Blow Top Blues が Leo の持つレコードから流されていました。

Leo の住まいを訪れた白人たちに質問攻めをされる Leo は客人たちに断るわけでもなく、いつの間にか鳴らせた歌は Billie Holiday の Strange Fruit だったのです。そっと黙って白人たちに向けた攻撃・プロテスト・ソングです。

白人たちが漏らす言葉の一つひとつは黒人たちへの陰湿な攻撃だったのですが、その一例がこれです。

[原文 2-1] 'Hush, children,' said Mrs King, 'we didn't come here to fight. Why, we're embarrassing Mr Proudhammer.' And she finished her drink, and set it down; the old girl could drink.
  I rose to give her a refill. I said, 'You're not embarrassing me. But there's no point in pretending that Negroes are treated like white people in this country because they're not, and we all know that.'
  'But look at you,' sad Ken. 'I don't know what you make a year, but I can make a pretty shrewd guess. What have you got to complain about? It seems to me that this country's treated you pretty well. I know a whole lot of white people who couldn't afford to live in this apartment, for example--'
  'Of course you do,' said Barbara, drily, 'and they work for you, too.'
[和訳 2-1] 「お黙り、子供たち。私たちは喧嘩しにやって来たのではないのよ。」とキング夫人は自分の息子たちを叱りました。「そうでしょう、私たちはプラウドハンマーさんを苦しめるだけの質問を続けているのです。」と言うとキング夫人はグラスのアルコールを飲み干してテーブルに置きました。年取った女性の飲みっぷりは、誰でもとはいかないものの、何とも見事です。
  私は立ち上がり、キング夫人のグラスにアルコールを注ぎ入れました。そして私は、「いいえ、皆さまは私を困らせていらっしゃるのではありませんよ。しかしです、今に及んで、この国においては、黒人たちが白人たちと同じ待遇を受けているなどと格好をつけても何の役には立たないでしょう。何をおっしゃろうが、社会から受けている待遇は双方で違います。皆さんもご存じの通りです。」と言い切りました。
  するとケン(バーバラの兄)が口を出しました。「だけどあなたのこと、あなたの収入がお幾らなのか確とは解りませんが、私にもそこそこ見当が付きます。それだけの収入をお持ちなのに何がご不満なのでしょう? 私が考えるに、この国はあなたに結構な条件で遇してきたと言うのが事実です。一例ですが、私はこの様に立派なお住まいに暮らすことが出来ない、そういう白人を本当に大勢知っています・・・。」
  「あなたは知っているでしょうよ。当たり前です。それってあなたが雇っている人たちのことなのですから、そうでしょう。」とバーバラはすぐさま、ケンにぴしゃりと平手打ちを喰らわせました。

Lines between line 8 and line 20 on page 362, the same paperback

[原文 2-2] He threw an exasperated look towards the kitchen, but held his peace, and looked at me. I realized that I was beginning to be angry, but I also realized that it was a perfectly futile anger. I had not been surprised by Christopher, nor had I been in the least surprised by this family. But I was a little surprised by Barbara, who seemed to be paying off old scores. I didn't care at all what these people felt, or thought. Talking to them was a total waste of time. I just wanted them to get loaded on the Bloody Marys and get out of my house. I was a little angry at Barbara for having brought them here at all. And yet, I was aware, with another part of my mind, that Barbara was showing me something -- showing me, perhaps, part of the price she had had to pay for me? -- and she was, at the same time, exhibiting her credentials to Christopher. This argued an uneasiness on Barbara's part which, again, after all these years, surprised me.
[和訳 2-2] ケンは怒りをこらえているという表情で(バーバラのいる)キッチンに目を遣りました。何とか爆発させずに乗り切った彼は、直ぐに私の方に目を戻しました。私もその時自分の内にこみ上げる怒りを意識したのでした。しかしその怒りたるや声に出したところで何の役にも立たないことに気付いてもいました。ところで私は、(少し前の)クリストファー(Leo の生活の世話係の名目で Leo の住まいに自由に出入りしている若者、黒人男性)の歯に衣を着せない意見にも珍しい発想があるとは思えなかったのですが、同様に訪問客であるご家族の人々それぞれの意見にも、何ら新しい発見があった訳ではありません。しかし、バーバラには驚かされました。私にはバーバラが長い過去から引きずる恨みを晴らそうとしているのではないかと思えたのです。(バーバラの発言に対して)この家族の人たちがどう感じたり、考えたかかに、私の関心があるのではありません。ですからこれら家族の人たちに質問する気もしないのでした。ただただ、彼らはこのブラディ・マリーに酔い潰されて私の住まいから退散してくれることを望んでいました。私はバーバラがこのような人々をここに連れてきたことには少し腹を立てていたのですが、その一方でバーバラには、こうすることで私に何かを見せ解らせようとする、明確な意図があるなとも気付いていました。私と一緒に暮らすために、彼女が被ることになる負担を解らせようとしていた可能性です。それに加えて、彼女はクリストファーの指摘した問題の重要性に自身が同意している旨を解らせようとしている可能性です。バーバラの発言は、バーバラが悩み続けてきた問題に関するものであったのですが、その発生時点からすると何とも長い年月を経たこの日になってなお聞かされたことも、私には驚きでした。

Lines between line 21 and line 35 on page 362, the same paperback


3. プロバガンダ小説ではなくてプロテスト小説というのが正しいのではと思います。

時間をかけてじっくりと読み進めてきて、今、最終行にまでたどり着きました。プロパガンダとは誰かの信条・自身の確信を他者にその結論・核心部分だけを鵜呑みに挿せて仲間に引き入れんとする行為であると言えます。

一方、この小説にあっては、
次から次へと現れる事態の詳細な説明、原因とその結果を読者に伝えようと工夫を凝らした文章が現れます。誰かが発言すると、その背景にある心情を細かに説明する文章が現れるのが常です。

ここまで著者の主張にその根拠・理由を丁寧に、巧みに、書き連ねる小説をプロパガンダ小説とは的外れな表現・定義であるというべきだというのが私のまとめです。プロテスト小説と言うべきでしょう。


もう一つ、私の頭をよぎることがあります。
蛇足ながら加えさせて頂くことにします。生きる事、生きて行く人々の前にはだかる苦悩の「タネ」がこの小説のテーマなのですが、私がこの意味からの連想で思い出した小説に、長塚 節の小説「土」、そしてそれにそっくりだとされるThomas Hardyの「ダーバヴィル家のテスTess of the d’Urbervilles」があります。

これら二つ、古い時代のものには社会やその伝統的側面を変えることが出来るかもしれないし、変えることを目指す努力を自らがすると言った観点が欠落しています。ボールドウィンのこの小説を読んでみて、この点を私は明確に意識するところとなりました。


4. Study Notes の無償公開

今回の読書対象であったPages 305-376 に対応するStudy Notes をダウンロード・ファイルの形で無償公開します。A-5 サイズの用紙に両面印刷すると左閉じすることで一束に纏められます。
このように調製した理由は、これによって特定のページのみをプリントするのが容易になるとの発想です。

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