『白の闇』ジョゼ・サラマーゴ 理性や社会秩序が失われた世界とは
2020年春以降、世界に広がった新型コロナウイルス感染症。
こうした感染症や伝染病に人間社会が脅かされる姿を描いた作品はいくつかあります。
『白の闇』(原題:BLINDNESS)もその一つ。1998年にノーベル文学賞を受賞したポルトガルの作家、ジョゼ・サラマーゴの長編小説です。
『白の闇』のザックリとしたあらすじ
街の交差点で信号待ちをしている車列ー、その最前列の車の運転手が突然目が見えなくなりパニックに陥ります。
この”最初に失明した男”を家に送り届けたのち”車を泥棒した男”、失明した男を診察した”医者”、眼科に通院していた”サングラスの女””斜視の少年”などが次々に失明していきます。
「目の前が真っ白になる」症状は感染症と判断され、政府は発症した人と感染の可能性がある人を今は使われていない精神病院に隔離収容します。
収容所には医療や介護の担い手はおらず、環境は劣悪。失明した人が次々に増え秩序を失い、やがて人間の尊厳すら脅かされていきます。
その収容所の中には失明を偽装した唯一の目が見える人、”医師の妻”がー。
感染症パニックのその先
ある日突然視界を失い(しかも、真っ暗ではなく真っ白)、次々と感染が拡大し、ついには世界全体が目が見えなくなってしまうというこの話は奇想天外とも言えます。しかし、当たり前に過ごしていた日常が奪われる脅威は、新型コロナウイルスの感染拡大で世界が直面した状況と同じです。
『白の闇』はどこの国のどこの都市という背景は一切出てきませんが、政府の非人道的な対応、そしてその政府も機能不全に陥る展開は「最悪のありうる現実」をつきつけます。
国や政府が守ってくれる範囲は期待や想像よりもはるかに小さい。社会秩序が崩壊した先にあるのは、人間の醜い本性がむき出しになった醜い世界なのです。
評)「視界」を失った世界の「あるもの」と「ないもの」
『白の闇』では、文字通り「視界」を失った世界を設定していますが、人間や社会が失うものを感情や理性、社会秩序に置き換えて読むことができます。
試される「誰にも見られていないけれど、自分が見ている」
物語には生来の盲人の男が登場します。もともと視力がないこの男は、数日前に失明した人々に比べて聴力や空間認識力に勝り、ともすればこの状況を救う存在となりえたはずです。が、男はその力を悪用するのです。
人はどこまで理性を保てるのでしょうか。「誰にも見られていないけれど、自分が見ている」という思いをどこまで持ち続けることができるのでしょうか。
「視界」ほかにも”ない”ものが
前述したとおり、『白の闇』には舞台となっている国や土地の記述はなく、登場人物にも名前がありません。名もなき人たちが互いをどう認識し合っているのかは会話の中に読み解くことができるのですが、その会話文に「」がないー、地の文章と会話の区切りがないのです。
唯一の目が見える人”医者の妻”が狂言回しの役割ですが、かといって、この人の視点で描かれているわけではありません。そして「なぜ医者の妻は感染しなかったのか」についても作者は答えていません。
段落のない長文で、反復的な言い回しがどこまでも続き、誰の目線なのか、誰の言葉なのか分からなくなる。手探りで何かにしがみついていなけれならないような、まるでこの『白の闇』の世界に入り込んでしまったかのようなー、そんな読み心地の1冊です。
映画化作品『ブラインドネス』
『白の闇』は、2008年にフェルナンド・メイレレス監督によって映画化されています。
医者の妻をジュリアン・ムーア、医者をマーク・ラファロ、最初に失明する男を伊勢谷友介というキャストです。
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