自己肯定感ってそんなに簡単には上がらない 映画『人生はローリングストーン』
2023年11月12日
「自己肯定感、低っ……」と思ったこの映画。いや、自己肯定感という言葉がいつ頃からこうも頻繁に使われるようになったんだっけ。少なくとも自分が子どもの頃には誰も口にしていなかった気がするのだけれど。ま、そんなことはどうでもいい映画の話です。
映画『人生はローリングストーン』(2015年)
自死した作家デヴィッド・フォスター・ウォレス(1962-2008年)の成功し脚光を浴びることで歪められていく自意識や自尊心の葛藤を描く。
新進気鋭の人気作家ウォレスに興味を持った記者デヴィッド・リプスキーは密着取材を申し出、5日間を共に過ごすことに。自身も作家志望のリプスキーはウォレスに親近感を抱く一方、どうしても埋められない距離感を覚える。その密着取材から12年が経ちウォレスの訃報がー、という話。
脚光とともに作られていく自己像と本当の自分との葛藤を抱えるウォレス。薬物やアルコール依存、鬱、などによって苦しみは増していきます。
とにかくこのウォレスが吐くセリフがキツイ。グッサグサ心に刺さります。
「シャイな人は自分に夢中になりすぎて他人といるとつらい」
「いい自意識もあれば毒性で体が硬直するほどトラウマ的な自意識もある」
「俺は自分の型を守るのに必死だ 飾らずに構えずに人と接することができたらどんないいだろうか」
「売れない自分を慰めていた言い訳が売れた理由に暗い影を落とす」
ウォレスの言葉が心に刺さるのはリプスキーも同じ。ウォレスの家に泊めてもらうことになったリプスキーはウォレスの部屋の中で眠ろうとしますが、そこには積み上げられたウォレスの自著が。そこでウォレスの、だけでなく自分自身の本心に気づいてしまう。もしこれが自分の書いたものだったらー。分身ともいえる自著にがんじがらめになり押しつぶされそうになりー。そこに犬が入ってきてホッとする。この映画、犬が救いです。
もう一つ救いといえば、ウォレスの朗読会のコーディネーターの女性。ジョーン・キューザック演じるこの女性は2人に会うなり著名人の誰それに会っただの、あの人はあーだったこーだったとしゃべりまくる。自意識に囚われるウォレスやリプスキーとは真逆のタイプです。その俗人っぷりに「人間多少はこんな風なほうが生きやすいだろうな」と思わされました。
ちなみに自己肯定感というのは自尊心の下位概念として位置づけられるもので、この両語を分けて考えようという意見もあるそうな。
自尊心には「自分、スゲェ!」だけじゃなくて「ダメだな、自分……」という否定的感情も含まれるのに対し、自己肯定感は「ありのままの自分でいいんだ」というもの。
成功して注目を浴びる自分、それが怖くて酒や薬に依存してしまう自分、脚光を浴びることを気に入ってしまう自分ー。そんな自分でいいんだと思えなかったウォレスの苦悩。わからんでもない。
ウォレスを演じるのはジェイソン・シーゲル。M・ナイト・シャマランの『サイン』の啓示にハマる主人公を演じた映画『ハッピーニート おちこぼれ兄弟の小さな奇跡』(2011年)でもこじらせ男を好演。対するリプスキーのジェシー・アイゼンバーグは安定のせわしなさと内省感で魅せる。そして前述のジョーン・キューザックの存在感。
デヴィッド・フォスター・ウォレスについてももう少し書いておきたい。
『これは水です』というケニオン大学でのスピーチが有名(らしい)で、デビュー作『ヴィトゲンシュタインの箒』ほかいくつかの著作が翻訳されていますが、聞くところによるとかなり哲学的で読みにくいと。
少なくとも自己肯定感って上げようと思って上がるもんじゃないんじゃないかな、と思わされた映画『人生はローリングストーン』でした。
ナンやねん、と言いたくなる邦題にちなんでローリングストーンズの18年ぶりの新作がスゴイという話。枯れも老いも感じさせない。ラジオでヘビロテ状態の「アングリー」なんてかっこよすぎるでしょ。
私にはかねてから一つ決めていることがあります。
歳をとって老人ホーム的なところでお世話になることになったら、1日の始まりはぜひ『スタート・ミー・アップ』 (Start Me Up)でお願いしたい。
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