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最近読んだ本の感想「悼む人」


ともだちの勧めで読んでみました。

天童荒太 「悼む人」

各章の記述部分にその章の位置づけが書いてある。

プロローグ
高校生の男子が一方的に好意を寄せていた女子高生を駅前で刺した。
親友がそれを目撃し、その後、静人が悼む現場に遭遇していた。
<悼む人>という表現は、最初ここで登場している。

第一章:目撃者
静人を観察する人としてゴシップ記者?の人のプロフィールを紹介している
彼の目を通した静人を表現している。
※この段階で静人の行為に現実感をみいだせずに、この本を読み進めなく
なる人がいるかもしれない

第二章:保護者
静人の母親(巡子)を紹介している。
静人の旅に反対はしていた、今でも静人の帰りを待っている。
妹はその兄の素行(警察による身元確認)のため、結婚がちゃらになる
(兄を恨んでいる)。

第三章:随伴者
夫殺しをしてしまった女性の肩に死んだ夫の頭がのっかるというオカルト的内容
→それが随伴者?
→これは、多重人格者の症例なのかとおもって調べてみたけれど、多重人格者は、ときどき人格が入れ替わり統一性がなくなるということであって、もう一つの人格が肩にのるということはないようだ
→じゃあ、これは作者の考える幽霊?(頭だけで、倖世の肩に乗ってくる)
※この段階で作者の作り出した幽霊にリアリティを感じられずに、読み進めなくなる人がいるかもしれない
※朔也の幽霊がでてきたとき、コレを思い出した→千と千尋の神隠しのなかに登場する「頭」

第四章:偽善者
蒔野は静人の情報を仕入れるうちに、いつも書くゴシップ記事が変化し、読者受けする記事を書く。
静人の情報を寄せた女子大生が、静人のことを<悼む人>と呼んでいた。
記者になったことを褒めてくれなかった父親、死期が近づいた父親には会い
にいかなかった、憎み続けていたい。
プロローグの事件がここで登場する、被害者女性の親友が女子大生になってメール送信してきていた(この女性が<悼む人>と表現した)。
※残酷な事件ほど加害者のことは記憶しても被害者については名前も残らない(p212)という一文がある、作家の気持ち?、静人の気持ち??

第五章:代弁者
静人の妹の結婚を予定していた男性への静人の生い立ち説明(巡子が話す)
→早死にした人の生きる時間をもらったとか、いくつかのそれらしい理由はあるけれどそれが静人の悼む旅を説明できるかというと無理がある。
蒔野が現れ、巡子に問い詰める
「(静人が)ああなったことには、なにか歴然とした事件があったのでしょう?」
これは読者の疑問にこたえるための質問のような気がする

第六章:傍観者

いじめで亡くなった子どものアルバムを見せながら、母親が語る思い出をきいたのち、再度悼みをする静人をみながら、倖世は、胸のうちに少年が息づくのを意識して驚きとともに気がついた。静人の悼みとはもしかしてこういうことなのだろうか。
倖世が朔也を殺したいきさつが語られる

倖世に、自分を殺してほしいと言ったあとの朔也の言葉
・寺での暮らしで、死体はモノに過ぎないと幼いころにはもう理解していた。
・だが、生きている者たちは、死体を言葉や物で飾り、飾りつけの華やかさで死者を永遠化しようとしたり、その人生をランク付けしたりする。
・人間が生きる理由は、愛も夢もない。細胞の力だ。
・ヒトという種を残すために発達した脳が、いわば副作用としてゾウリムシと同等なのを恥じ愛や仕事のために生きているだの、神仏の聖なる存在に生かされているだのと、愚かな言い訳を創造したのさ。
・死そのものではく、自分の死が無意味だということ、懸命に生きてきた人生が原生動物の死と同じものに帰す、という真実が怖いんだ。
・愛なんて、人やモノへの執着に過ぎないよ。それを巧みに言い換えたものさ。

つきつめれば、そう言えるかも。しかしそれに気が付いたからといって、すぐに殺してほしいとなるか?過去の家族との軋轢が彼をそうした方向に押しやってしまったのかもしれない。

そしてそうしたことをうすうす感じながらもヒトは、明日に向かって自分を鼓舞するのじゃないのかな。

ヒトが動物などと同じと考えると、単に種の保存のための行為や子育てだけが意味を持つことになるけれど、そうじゃないと思う。
ヒトは、人間社会のあらゆること、自然界(宇宙までも)に関心をもち真実を追求してきた。科学技術を探求し、それを文字や数式で後世につないでいく、色彩に関心をもつヒトは絵画や写真を追求し、音に関心をもつヒトは音楽を創作し、演奏し、歌い、もちろん文学に興味をもつヒトは、小説詩歌、エッセイを書くわけだし、その文学をこよなく愛するヒトもいる。
その背景にあるのは、自然への畏敬の念だったり、真実の探求だったりすると思う。そこにはわずかな自己満足感があるかもしれないけれど、探求心のほうが、はるかに大きいように思う。

※このあたりから下巻も読んでみたいと思うようになった。
※ヒトの意識は脳内の電磁波であることは知られている。ヒトが死に、脳内物質の活性がきえるとその電磁波を維持できないので、「無」になってしまう。それは恐怖でしかないわけで、ヒトは「あの世」を作ったのかもしれない。

第七章:捜索者
蒔野は、父親の死に際にたちあわず、父親に抵抗するため、女子中学生を買おうとする。
生きたまま焼き殺された女性の身元探索をはじめる蒔野。その姿勢は静人に通じるところがあった。そしてその女性は子どもを産んで、夫とも子どもとも仲むつまじい生活を送っていたが、ある事故により二人を失い、人生に絶望していた。そして、悪い仲間と出会い、殺された。
決して最初から浮ついた女ではなかった。
その後、女子中学生の密告により、蒔野は殺されかかる。そのとき、蒔野は、悼む人のことをこう思う。
「おまえを<悼む人>にしたのは、この世界にあふれる、死者を忘れ去っていくことへの罪悪感だ。愛する者の死が、差別されたり、忘れられたりすることへの怒りだ。そして、いつかは自分もどうでもいい死者として扱われてしまうのかという恐れだ。~こうした負の感情の集積が~おまえを<悼む人>にした。」
実体験が人を動かす。

第八章:介護者
巡子の回想
父親が死んだあの日、確認のために訪れた海で、静人は涙をこらえていたが、「誰もしらないんだね」とポツリと言った。注目されない死、かえりみられない死がある現実を知り、死それぞれの重さは変わらないのに、なぜと...と思ったことが、今の彼の行動に結び付いたのじゃないかと。
※平成20年の統計では、年間114万人以上の方が亡くなっている。単純計算で1日に3000人以上を悼むことになる。新聞等の報道や道端の花などにより行動しているので、ごく一部の方を悼んでいることになる。

蒔野は一命をとりとめていたが、巡子が見舞に行ったとき、静人のような振る舞いをしていた。
日に日に死期が近づく巡子にまわりが温かい支援を続ける。死を目前にした人がなにを優先するのか、考えさせられる。
※巡子は介護される側とおもうが

第九章:理解者
静人が足をねんざし、廃車のなかにいるとき、朔也と直接話をすることになった。悼みに関する静人の気持ちが表現されている。
「悪質な犯罪には、感情的にもなります。すると、事件や事故という出来事のほうを、また犯人のほうを、より覚えてしまうことに気が付いたんです。 ~ 亡くなった人の人生の本質は死に方ではなくて、誰を愛し、誰に愛され、何をして人に感謝されたかにあるのではないかと亡くなった人々を訪ね歩くうちに、気づかされたんです。」
このあたりは、作者が作り上げた静人(の行為)に現実感をもたせるためにあるような気がする。
読者の疑問に答える形のようだ。悼むときに、死者の行いについて想像が含まれていることを朔也がついて、静人も認めている。死者の温かい感情の遺産のようなものを見いだすことで悼みを続けることができる。そうだろう。
また、倖世が朔也を殺した最後の場面を静人に話し、静人が「朔也さんは、あなた(倖世)を愛していたんです。」ということを告げたあと、朔也は倖世を離れていく。彼の心残りを静人が話してくれたからなのでしょう。
森のなかで倖世が自殺しようとしたとき、静人がとめる。そして、小屋にもどり、二人は愛し合う。その後、倖世が別れをつげる。私といると、悼みを続けづらくなるからと。そして朔也を悼んだあと静人と同じように悼む旅にでると。

エピローグ
がん末期の巡子の最後の闘病生活が記されている。美汐への感謝の言葉、夫への感謝(彼の描いた巡子の絵にも)。蒔野が訪ねてくる。しかしここからは巡子の妄想。彼は静人がもうすぐ帰ってくる私も悼みの旅にでると話す。そして静人と思われる人物がやってきて巡子を抱きしめる。その後、臨死
体験の領域へ。走馬灯のように昔のこと、愛した人を意識していく。そして最後とおもわれるときに美汐が産んだ赤ちゃんの泣き声が聞こえてきた。感動的。
※人は死ぬとき、最後の最後まで聴覚だけは生きているといわれている。
結局静人は戻ってこず、でも巡子は幸せになくなったということなんでしょう。のちに静人が帰ってきたとき、どう悼むのでしょうか。

まとめ

静人の悼むという行為を軸に、人々(身内、他人問わず)の生きることの意味、死の意味、感謝されること、感謝すること、人を愛すること、人に愛されることをさぐる物語だったように思います。素晴らしい!!

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