親友の遺灰をもって放浪の旅に出るOLの話がおもしろかった。【マイ・ブロークン・マリコ】
偶然の世界に人間が何を求めたって、無関係なのだ。
明日楽しみにしてる行事の敢行を願って、てるてる坊主をつるしたって雨は降る。理想の結婚相手を思い描いても所詮赤の他人。たまたまそこに現れた人との縁があって永遠の愛が結ばれただけ。すべての偶然は授かりものなのだ。それを活かした人が当たりを引くのである。理想を忘れずに我が道を進みたいのだけれど、そうはいかない。
元日、僕は冷やかしに家電量販店に初売りセールを見ていた。なにかあったら買うつもりでいたが、めぼしいものがなかった。その後、書店とヴィレッジヴァンガードにも行ったがこれといったものがなかった。後悔と反省は2022年に置いてきたのに、元日からさっそく後悔した。意にかなわない元日をすごしてしまったが、これも偶然なのだということにしよう。
来たからにはと、写真だけ1枚
思い立ったが吉日とはいうも、偶然は僕を味方にしなかったようだ。神社に寄ってお願いをしようと思ったが、これも「日々の偶然が重なった結果起こるものだしどうせお願いをしてもなぁ」と訳分からぬ理屈を自分に言い聞かせて、お昼頃、大人しく自宅に戻って、親戚がやってくるまでの間、漫画と映画を漁っていた。
まずは新年のご挨拶をば。
あけましておめでとうございます。今年も精力的に投稿を頑張りたいとともに、今年は飛躍の年にしたいと思う。
飛躍の年……?
年初めに「今年1年、どんな年にしたいですか?」と問われてこのように答える人が多い。飛躍の年になるかどうかは客観的な判断になるので、自分で言うことではない気がする。それに飛躍の年になったかどうかは年末にならないとわからないのでは?
なら、もっと具体的に決めたほうがよい。
・頑張って貯金して○○を買う
→そのためにはムダな買い物しない。自炊する。
→毎日お弁当を作って食費を押さえる。
マンダラートのように、大きな目標を立ててから細分化するほうがよい。ゴールを決めないと何のためにやってるのかわからなくなるからである。やるからには目的意識をもつべきである。なので、「飛躍の年」になるかどうかは年末振り返ってようやくわかることであり、ゴールのない目標を立てると、途中で絶対に挫折する。そして負の感情が生成されてしまう。やるからには徹底的に。だ。
と、偉そうに言ってる私ですが、この方、今年の目標はというと……
今年はがんばらない
……これでいいんだ。昨年は頑張りすぎた結果、身体を壊しかけたのだ。その経緯はこちらから。
大それた目標なんて立てなくていい。今の自分にあった目標でいいのだ。生殺与奪なんて相手に握らせない。僕に生き方を説くんなら3回くらい生まれ変わってからにしなさい。
さて、毎週月曜日に投稿しております「noruniruの頭の中」というマガジンですが、今年から記事の見出し画像を変えました。
最近の本の表紙に多くないですか?
手書きのフォント
エモいとされる本の表紙は間違いなく手書きのフォントが使われている。
これにならって見出し記事の画像も手書き(風)のフォントにした。ちなみにCanvaで「ふい字」というフォントを使ってそれっぽくしてみた。
紹介したいマンガがある。これもまたオシャレな手書きフォントの表紙である、『マイ・ブロークン・マリコ』だ。
OL・シノイは、テレビのニュースで親友・マリコが亡くなったのを知る。
亡くなったマリコは学生時代から父親から虐待を受けていた。そんなマリコのためになにかできないかと考えたシノイは、マリコの魂を救うために、マリコの遺骨を奪うことにする。
「刺し違えたってマリコの遺骨はあたしが連れてく」
というパワーワードを言い放つ。
虐待を受けた父親に弔われたってマリコは一生苦しむだけだ。そんな思いからマリコの遺骨を奪って、マリコとともに放浪の旅に出るのだ。
このマンガの面白いところは「究極の女の友情物語」である。
ここまで友だちを大事にしたいと思える人がいるのはすごく羨ましい。自分にはない未知の世界だ。「親友の遺骨を奪う」という紹介文に目を奪われ思わず手に取ってしまった。
生きることは希望でもあり絶望でもある。もうこの世にいない人と出会うには、自分が生き続けるしかない。後追い自殺はどちらも幸せをよばないのだ。偶然が生み出した産物だ。人間、今生きている世に抗うしかなく、偶然によって産み出されたものにしがみつくしかないのだ。
いいマンガすぎて泣けてくる。シノイとマリコの世界に没入してしまった。
そんな『マイ・ブロークン・マリコ』は映画化されていてAmazonプライムビデオでも配信されている。
そんなシノイ役をつとめる永野芽郁の迫真の演技に注目だ。