パルメニデス以後のエレア学派⑦ メリッソス(前5世紀)

メリッソスの生まれはエレアではなく、イオニア地方のサモス島である。
サモスの政治家・軍人として、アテナイとの戦いで勝利を収めたなどの逸話が残っている。

メリッソスはまた哲学者として、パルメニデスの思想を承継しているので、エレア学派の一人とされている。
その思想内容は、全体としてはパルメニデスと大きくかけ離れているものではない。主な違いを探すとすれば、まずパルメニデスは自身の思想を叙事詩の形式で、女神からのメッセージという形で残したのに対して、メリッソスは散文形式で、極めて論理的に整理された文体をもって論証したようである。

メリッソスのもう一つの功績としては、パルメニデスの「あるものは均質な球体である」という、何やらモワッとした、納得して良いものやら悪いものやら、いや恐らく納得してはならないような結論を、より発展させたことにある。つまり「あるもの」を、時間だけでなく空間的にも「一」なるものとしたのである。

パルメニデスの言うように、あるものが円い球体であるならば、その球体の外側があるはずである。つまり、球体の内側と外側、という「多」が存在することになる。これは大きな矛盾である。
メリッソスは、あるものは時間的にも空間的にも無限である、とした。

他にも色々述べようと思えば述べられるのだが、ここまでにしておいて、次回はタレスからエレア学派までの流れを大きくまとめてみたい。

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